旅素描~たびのスケッチ

気ままな旅のブログです。目に写る風景や歴史の跡を描ければと思います。

歩き旅のスケッチ[東海道]54・・・金谷宿と大井川

 大井川の拠点

 

 静岡県の金谷と言えば、大井川鉄道の拠点の町として有名です。元は、町政が敷かれていましたが、大井川を挟んだ対岸の島田市と合併し、今は島田市に属します。

 大井川鉄道は、金谷駅と大井川上流の千頭駅(せんずえき)とをつないでいる、大変人気のある路線です。新金谷駅に拠点が置かれ、SLのメッカとしても知られています。SLに揺られながら、大井川の流れを楽しむ鉄道は、多くの人に愛され続けているのです。*1

 東海道は、金谷の町から、大井川の川越しへと向かいます。

 

 

 再び金谷駅

 4か月ほどの時を経て、再びJR金谷駅に戻ってきたのは、昨年(2020年)の夏も間近の頃でした。

 駅を降り、東に向かう坂道を少し下ると、右側から、JRの軌道下を通る道が合流します。この、線路下の小さな道が、東海道。前回、この合流地点で街道歩きを終えたのです。

 今回は、この地点から、街道歩きを始めます。

 

 一里塚

 合流点のところには、木製の高札板が置かれています。何とも弱々しい姿ながら、一里塚跡の表示です。かつてはここに、金谷の一里塚があったことが分かります。

 この辺りは、すでに、金谷宿の宿場内。ここから先の街道は、往時の宿場町を通過して、大井川へと向かいます。

 

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※金谷の一里塚の高札板。

 

 金谷宿

 金谷の宿場は、今は、往時の面影はありません。事務所やお店、住宅などが混在する街並みは、どこにでもありそうな、地方都市の姿です。

 道は、わずかに下り坂。宿場の名残を探しつつ、整備された歩道を歩きます。

 

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※金谷宿の様子。

 

 脇本陣

 しばらく歩道を歩いていると、道路を挟んだ向かいの歩道に、高札を模した案内板を見つけることができました。

 道路を渡って確認すると、そこが、金谷の脇本陣跡。勿論、今はその姿はありません。案内板の存在だけが、往時の様子を伝えています。

 この案内板の記載によると、西暦1700年前後には、2軒の本陣と1軒の脇本陣があったとのこと。ところが、寛政3年(1791)に大火があって、本陣・脇本陣を含む金谷宿のほとんどが消失してしまったということです。

 その後、本陣は復興されますが、脇本陣はしばらく建設されない状態が続きます。そして、幕末に近い頃、この高札が置かれた地で、「角屋・金原三郎衛門家」が、脇本陣を勤めることになったというのです。

 大火に見舞われ、宿場町が消失したとの歴史の事実は、至る所で耳にするお話しです。木の文化を築いてきた、日本の町の宿命なのかも知れません。

 

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脇本陣跡。

 本陣跡

 脇本陣を通り過ぎ、ほんの少し先に進むと、今度は、柏屋本陣跡。JAの建物前に、修景が施された小公園が設けられ、その中に、その存在を誇るように、大きな碑が置かれています。

 この先も、他の本陣跡の標識を確認することができますが、何れも、標識が立つのみで、往時の建物はありません。宿場の町は、年を重ねて、その表情を少しずつ変化させ、遂には、まったく別の町へと、その姿を変えていくのです。

 

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※左、柏屋本陣跡があるJA前。右、本陣跡の碑。

 往還橋

 街道は、やがて、少し細まった道に変わります。主要道路が左に向かっていく中で、そのまま真っすぐ、道なりに進んで、この細道に入ります。

 そして、大井川の支流のひとつ、大代川(おおしろがわ)に架けられた、往還橋を渡ります。”越すに越されぬ大井川”は、もう目前のところです。

 往還橋から南(太平洋側)を見ると、少し先には、牧之原台地が居座ります。大井川は、その台地に行く手を阻まれ、大きく東に蛇行することになるのです。

 

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※左、細くなった街道。右、往還橋。

 

 大井川鉄道

 往還橋を過ぎた後、もう少し先に進むと、大井川鉄道新金谷駅に向かう交差点に至ります。

 新金谷駅は、冒頭でも記したように、SLのメッカとも言える駅。かつてこの駅から、SLを利用して、千頭駅まで向かったことを思い出したものでした。

 そういえば、千頭の先には、寸又峡温泉(すまたきょうおんせん)という、秘境の温泉が、隠れるように佇む他に、井川ダムに向かうトロッコ電車や山あいの絶景なども楽しめて、別世界の雰囲気を味わえます。大井川鉄道は、大井川の魅力が満喫できる路線です。

 

 大井川へ

 街道は、大井川鉄道の踏切を越え、さらに東に向かいます。次第に街の様子が変わる中、前方には、大井川の堤が目に入ります。もうこの辺りは、郊外の風景です。

 やがて、水神公園のところに来ると、「金谷宿川越し場跡」と記された、大きな案内板がありました。

 その昔、大井川の川越えは、この辺りが中心地。旅人は、ここから河原に出た先で、様々な手段によって、大河を渡って行きました。あるいはまた、東から来た人たちは、この先の岸に着き、金谷の宿場に、吸い込まれるようにして、その姿を雑踏に紛らわせていったことでしょう。

 

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※水神公園。

 今は、水神公園の少し先に、大井川の堤防が、がっしりと構えています。頑丈に築かれた、その堤防に辿り着くと、空間が一気に開けて、視界は見渡す限りの広々とした景観を捉えます。雄大な大河や山の峰々は、すがすがしくもありながら、その存在を、厳格に主張しているようにも感じます。

 大井の大河は、悠然として横たわり、この先の、駿河の国との往来を、容易に許さない威圧感を放ちます。

 

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※左、大井川の上流側を望みます。右、大井川の下流側。この先で、川は大きく左に蛇行します。

 

 川越し

 今日の、私たちの川越しは、県道の橋を使います。川の右岸の堤防道を、県道までさかのぼり、そこに架かる、長大な橋を渡るのです。

 この橋は、空の色に溶け込むような、水色の美しいアーチが見事です。「大井川橋」と書かれたモニュメントの前を通り過ぎ、アーチ橋の右脇の歩道橋をたどります。

 

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※大井川橋。

 

 島田宿へ

 目指す宿場は島田宿。大井川の川越遺跡は、ぜひとも訪れなければなりません。

 

*1:正確には、大井川鉄道は、千頭駅からさらに上流に向かいます。千頭駅からトロッコ電車で、大井川の奥にある、井川ダムへと向かうのです。若い頃利用したことがありますが、静岡の奥地のダムは、秘境とも言える場所でした。