旅素描~たびのスケッチ

気ままな旅のブログです。目に写る風景や歴史の跡を描ければと思います。

歩き旅のスケッチ[甲州道中]29・・・花咲2宿へ

 花咲

 

 次に目指す宿場町の花咲(はなさき)は、大月市の中心部にほど近いところです。今では、中央自動車道路の、大月ジャンクションが設けられ、町の姿は大きく変貌しています。

 このジャンクション、東京の八王子方面への本線と、富士吉田や御殿場方面に南下する自動車道路の分岐点。笹子川の流れを挟んで、壮大な高架橋が複雑に絡んでいます。南下する高速道路は、中央自動車道路の河口湖線。花咲からすぐ先の、花咲トンネルを通り抜けると、リニア見学センターのすぐ傍を通ります。

 かつては、深い山に囲まれていた宿場町。時代と共に、求められる役割も、移り変わっているのでしょう。

 

 

 初狩宿の東端

 緩やかな旧道の坂道を上って行くと、やがて、家並みは途切れます。道の先には、JR中央本線の踏切が見え、道は、山際の尾根の裾へと向かっています。

 踏切の手前には、下初狩宿の表示板。そして、その隣には、頂部が欠けた石柱の歌碑がありました。

 

 「今はとて かすみを分けて かへるさに おぼつかなしや はつかりの里」

 

 傍に置かれた案内板を読まないと、歌碑に刻まれたこの和歌を判読することはできません。この歌は、15世紀後半の、聖護院門跡だった、道興という人の作品で、北の国への岐路に飛び立つ雁(かり)の姿を詠んだとか。

 初狩の地名の謂れについては、諸説があるとのことですが、この歌碑を見る限り、渡り鳥の”雁”からきたと言われても、あながち、間違いではないような気がします。

 

初狩宿の東端の様子。

 

 山裾の道

 街道は、踏切を越え、山裾の道に入ります。その先は、土石を扱う事業所で、その脇を迂回しながら進みます。

 この辺り、事業所があるために、本来の街道の道筋は、良く分からない状態です。今となっては、案内板の指示通り、国道の方向へと向かう以外にありません。

 

※事業所の脇を通る街道。三叉路を指示通り左方向へ向かいます。

 

 枝分かれした道筋は、幅の狭い土道です。木々が迫る坂道をゆっくりと下っていくと、やがて、左手に、JR中央本線の軌道が走り、そのすぐ向こうには、笹子川が流れています。

 鉄道と川に沿って、崖下の砂利道を進みます。

 

※JRの軌道と笹子川に沿った道。正面に見える橋を左に渡り、国道に入ります。

 国道と旧道

 砂利道を進んだ先で、左に架かる橋梁へ。その後、笹子川左岸を通る国道に入ります。この先、しばらくは、国道の歩道伝いに歩くのですが、わずかに、旧道へと舵を切る場所も現れます。

 

※国道からわずかに迂回する旧道。

 国道は、この辺り、右に左に、大きくカーブを繰り返し、幾つかの集落を縫うように進みます。途中、もう一度、笹子川を越えますが、本来の街道は、川の右岸を辿り続けて、花咲に向かっていたのかも知れません。

 

※大きなカーブを繰り返す国道20号線。

 

 上花咲

 街道は、大月の高速道路ジャンクションを通り過ぎ、川伝いに東へと進みます。やがて、中央自動車高速道路、大月インターチェンジへの、導入路のサインです。

 周辺は、山が削られ、開発が進んでいる様子です。

 途中、上花咲のバス停があったため、この辺りが、上花咲になるのだと思います。ただ、宿場町は、もう少し先に行かなければなりません。

 

※上花咲の様子。

 

 花咲2宿

 街道は、やがて、上花咲の宿場町に入ります。そして、ほどなく、下花咲の宿場です。隣り合う2つの宿場は、500mほどの間隔で、つながっていたということです。

 今となっては、どこまでが上花咲で、どこからが下花咲なのか、俄かには分かりません。沿道の雰囲気は、国道の町並みが一体的に続いているため、その境目は、判然としないのです。

 花咲の2つの宿場は、全体として、往時の面影を感じるところは、それほど多くはありません。

 

※上花咲宿と下花咲宿の境界あたり。

 

 上花咲の宿場町には、本陣1軒、脇本陣2軒、問屋1軒が設けられ、旅籠は13軒あったということです。一方で、下花咲は、本陣1軒、脇本陣2軒、問屋1軒と同数で、旅籠は22軒ありました。

 これらを見ると、花咲の2つの宿場は、相当な規模を誇っていた様子です。

 

 本陣跡

 宿場町の面影が無い中で、唯一、本陣跡の建物だけが、往時の様子を伝えています。この本陣跡は、星野家住宅という名称で重要文化財に指定され、保存が図られている様子です。

 重厚な2階建ての建物は、歴史の証を今に伝えているようです。

 

※本陣跡。西から東向きの方角です。

 

 建物の玄関先には、星野家住宅に関する説明書きがありました。

 

 「星野家は甲州街道下花咲宿にあって、江戸時代に本陣、庄屋、問屋をつとめた旧家です。現在の主屋は天保六年(1836年)に焼失した後、再建されたもので、大きな建築部材が用いられた意匠などは本陣建築の性格をよく表しており、後世の改変も少なく、細部まで当初の形を残した貴重な建造物です。」

 「星野家住宅は、参勤交代の大名が宿泊する本陣としての利用だけでなく、荷物の継送りをする問屋場としても利用されました。」

 

※東から西向きに見た本陣跡。

 一里塚

 本陣跡を過ぎた後、街道は、国道の道筋に沿いながら、かつての、下花咲の宿場町を通ります。緩やかに弧を描きながらの道だけが、街道らしさを残していますが、町並みは、どことなく、雑然とした光景です。

 やがて、家並みが途切れた辺りに、小さなスペースの緑地帯。標識には、一里塚跡の表示です。

 ここは、下花咲の一里塚。江戸から数えて、24番目の一里塚だということです。傍には、幾つもの石仏や石碑などがあるようですが、国道の向かい側を通っているため、確認は出来ず仕舞いとなりました。

 

※下花咲の一里塚跡。

 

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