旅素描~たびのスケッチ

気ままな旅のブログです。目に写る風景や歴史の跡を描ければと思います。

歩き旅のスケッチ[東海道]52・・・小夜の中山峠と菊川

 広がる茶畑

 

 延々と続く坂道は、やがて、茶畑が際限なく見渡せる、牧之原の台地に入ります。お茶の葉は、畝状に美しく刈り取られ、緑の波がどこまでも広がります。これほどの見事な茶畑の景観は、これまで、目にしたことはありません。

 緑の垣根に囲まれながら、街道は峠へと向かいます。

 

 

 丘陵地への道

 二の曲りからの街道は、木々に覆われ、山道のような様相を呈します。勾配は、緩まることなく、旅人に試練を与え続けます。

 東海道中膝栗毛の、やじさんときたさんは、この道を駕籠で乗り切り、松尾芭蕉は馬で越えたようですが、駕籠かきや馬を引いての生業(なりわい)は、この地域では重要な役割を果たしていたのかも知れません。

 

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牧之原台地への道。

 

 坂道が、少し勾配を緩めると、次第に空が開けます。緩やかな斜面には、茶畑が姿を現し、作業をする人々の影も見られます。斜面の中の畑作業は、大変な重労働。苦労の中で摘み取られたお茶の葉は、どこまでも、深い味わいを醸し出すことでしょう。

 この先の街道は、勾配の緩急を繰り返しつつ、小夜の中山峠を目指します。

 

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※丘陵地の入り口辺り。

 

 牧之原台地

 延々と広がる丘陵は、牧之原台地と呼ばれています。どの範囲が牧之原の区域なのか、はっきりとは分かりませんが、東海道の道辺りから、御前崎に至るまでの、扇形に広がる台地を指すのだと思います。

 街道は、扇の縁を辿るように、金谷の宿場へと向います。

 

 牧之原の台地の風景は、茶畑が中心です。幾つもの小高い山が連なる中で、茶畑がその領域を占拠して、木々の範囲を侵し続けているように感じます。

 茶畑がその存在を誇示している象徴は、街道の向かいの斜面に、大きく描かれている「茶」の文字です。お茶の木を配して作った、いわゆる、”茶文字”とも言うべきもので、その姿は圧巻です。

 

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牧之原台地の茶畑と、斜面に描かれた「茶」の文字。

 芭蕉の足跡
 丘陵地に延びる街道の道端には、ところどころに、芭蕉の句碑が置かれています。何か所ほど、その句碑があったのか、定かではないものの、そこそこの数だったように思います。その場その場で詠まれた俳句。結構な頻度で詠まれたものだと感心します。

 

   馬に寝て 残夢月遠し 茶のけぶり

 

 「早立ちの馬上で、馬ともども目覚めが悪く、残りの夢を見るようにとぼとぼ歩いている。有明の月は遠く、山の端にかかり、日坂の里から朝茶の用意の煙が細く上がっている。」

 句碑とともに、俳句の解説も刻まれて、往時の様子が偲ばれる道筋です。

 

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芭蕉の句碑。

 峠へ

 広々とした景色が広がる斜面に沿って、街道は峠へと向かいます。途中には、小さな祠の白山神社。往く人の息災を見守るように、道端に静かに佇みます。

 

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白山神社

 

 街道は、緩やかな勾配から、少しずつその角度を増して、峠へと近づきます。右手には、森のような小山が現れ、その先に、佐夜鹿(さよしか)の一里塚の標識がありました。

 この地域は、佐夜鹿と呼ばれているため、佐夜鹿の一里塚と言うようですが、街道の解説書では、「小夜の中山一里塚」の表現が主流です。

 この先にある峠の名前は、小夜の中山峠と呼ばれます。鈴鹿峠、箱根峠と、並び称されるほどの、東海道の難所です。

 

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※佐夜鹿の辺りと、一里塚。

 峠の辺りは、何軒かの民家があって、ちょっとした集落の様相です。かつては、峠の休憩所などがあったような、なだらかな地形が広がります。

 ただ、ここまでの道のりは、想像以上の坂道で、まさに難所と呼ばれる所以です。

 

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※峠辺りの様子。

 

 富士の雄姿

 峠を越えて、下り坂に入ったところで、正面に富士の雄姿が見えました。青空を突くような頂は、ほどよく雪化粧がされていて、優美という他ありません。

 余りにも突然に現れた、富士の姿を眺めていると、峠越えの疲れた体も、少しは癒されたような気がします。

 

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牧之原台地の先に、富士山を認めます。

 下り道

 街道は、今度は下り道に入ります。一気に高度を下げる坂道は、東から西に向かう場合も、相当の難所であることが分かります。

 坂道の途中には、掛川市島田市の境界を示す標識がありました。この先は、谷底に落ちるように、菊川の里の方へと向かいます。

 

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掛川市島田市の境界標識。

 菊川へ

 辺りには、依然として茶畑が広がります。行く手から、3人の親子連れのような人たちが、リュックを背負ってこの坂道を上ってくる姿が見えました。この先の金谷から、日坂に至る丘のルートは、格好のトレッキングコースと言えなくもありません。道行く人とすれ違い、私たちは、下り坂を進みます。

 坂の下には、菊川の集落が近づきます。その向こうを見渡すと、さらに丘陵地が行く手を阻んでいるようで、金谷宿がどの辺に位置しているのか心配です。

 どのルートを辿って金谷に行くのか、再びの急坂の道なのか、不安が脳裏をよぎります。

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※菊川への下り坂。

 菊川の里

 坂道を下りきると、谷間のような地形のところに、集落が広がります。ここが菊川の集落で、街道は、集落を貫くように続きます。

 菊川と言えば、菊川市を想像しますが、地図で確認したところ、そこは、もう少し南側になるようです。菊川の集落は島田市で、菊川市には、菊川と言う集落は無いのかも知れません。

 

 行く手を阻む丘陵の斜面には、国道1号線が張り付いて、多くの車が往き来する様子が窺えます。

 緑濃い、牧之原の丘陵地は、まだこの先も続きます。

 

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