旅素描~たびのスケッチ

気ままな旅のブログです。目に写る風景や歴史の跡を描ければと思います。

歩き旅のスケッチ[中山道総集編]2・・・馬籠と妻籠(後編)

 峠道

 

 馬籠と妻籠は、木曽路を代表する宿場町。そして、2つの宿場を結ぶ峠道は、かつての街道の風情を、色濃く残す区間です。

 この趣き深い道筋は、海外の人達にも大人気。トレッキングの気分で、多くの人が訪れます。

 

 馬籠峠へ

 馬籠宿の展望台を後にして、山道に向かいます。道幅は狭く、傾斜はかなり急。それでも、舗装された道もあり、所々で民家風の屋敷の傍をすり抜けます。街道は、次第に木々が覆い茂り、山登りの雰囲気です。

 落合の宿場を出てからは、ここまでほとんど上り坂。しかも、急な坂道が多くあり、この峠越えは、長くて厳しい道中です。

 馬籠を出て、およそ45分。ようやく、2つの宿場をつなぐ、自動車道路に合流です。

 少しだけ、自動車道路を上って行くと、その先に”長野県 南木曽町”の標識が。岐阜と長野の県境に到着です。この県境こそ、馬籠峠。峠茶屋の小さなお店と、ちょっとした広場がありました。

 

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※県境と、その先右手が馬籠峠。

 

 元々馬籠は、長野県に属していて、それだからこそ、木曽路であった訳ですが、平成の大合併の流れの中で、岐阜県中津川市になりました。それ以降、県境は馬籠峠に。木曽路を代表する2つの宿場の中央で、境界が引かれることになったのです。

 

 一石(いちこく)へ

 馬籠峠を越えると、今度は一転、下り坂。林間に延びる急な坂道を、一気に駆け下ります。この下りの道は、舗装のない山道です。足元が悪い反面、昔ながらの街道の雰囲気が味わえます。

 20分ほど下っていくと、左手に、趣ある、木造の古い建物が見えました。玄関口には、”木曽一石栃 いちこく御休み処”の表札が。中を覗いてみると、たくさんの海外からの来訪客が休憩中です。

 この休憩所には、一人の、お世話をされている男性がおいでになって、「自由に休んでいってください」と声を掛けてくださいました。

 おそらく、この建物が、立場茶屋(たてばちゃや)。昔からの、街道の休憩所だった様子です。

 

 それにしても、たくさんの観光客。国籍もまちまちで、皆さん、馬籠と妻籠の間を歩かれている様子です。中山道を歩きつないでいる私たち。この区間ほど、多くの旅人とすれ違い、出会ったところはありません。

 

 一石は、”一石栃(いちこくとち)”というのが、正式な地名かも知れません。元々ここには、一石栃白木改番所(しらきあらためばんしょ)と言われる施設があって、木曽を産地とする木材などの、出荷の取り締まりが行われていたとのこと。

 

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 ※左、一石の休憩所。右、白木改番所

 

 妻籠

 一石は、表示板にあるように、馬籠から3Km、妻籠へは4.7Kmの地点です。

 妻籠へは、引き続いて山中の街道で、杣道(そまみち)や渓流などを越えながら、坂道を下ります。

 鬱蒼とした森の中。それでも、空気が爽やかで、心地良く歩けます。

 

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※渓流を見ながら進みます。

 

 山道の途中には、”男滝女滝(おだきめだき)”という、見所案内がありました。美しい滝のようですが、遠回りを避けて、先を急ぎます。

 幅の狭い道筋を進んでいくと、自動車道路を横切ります。そして、舗装された旧道へ。そこは、宿場町のような集落で、間の宿(あいのしゅく)*1、大妻籠と呼ばれるところです。

 

 42番妻籠

 大妻籠の集落は、小さいながらも、由緒ある建物が並んでいて、さながら宿場町の様子です。急な坂道もほぼ終わり、里の空気を感じます。

 畑地を抜けて、川伝いの細いあぜ道のようなところを通り過ぎると、宿場町観光の駐車場が見えました。

 

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妻籠の南側にある駐車場。正面の道を進むと馬籠宿です。

 

 駐車場を越えて、左手に蘭川を見ながら先に進むと、右側の山裾に沿った道際には、朽ちかけた家屋などが現れます。そして、いよいよ妻籠の宿場。江戸時代にタイムスリップしたような、幻想的な宿場町の世界に入ります。

 

 私が初めて妻籠を訪れたのは、今からもう、随分と昔です。当時は、馬籠と妻籠の間を歩く人はほとんどおらず、薄暮に訪れた妻籠の宿場も、ひっそりとした町でした。

 それでも、1970年代中頃の当時でさえ、妻籠の印象は強烈で、宿場町の姿がそのまま残る家並みを見て、不思議な感動を覚えたものでした。

 当時から、40年を超える月日が経っても、この町の姿はそれほど変わることはありません。ただ、訪れる人の数は比較にならず、今や馬籠とともに、木曽路観光の中心です。土産物店や旅館、民宿なども数多く、往時の雰囲気を楽しむ人達の、人気のスポットとなっているのです。

 

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妻籠宿の様子。この日は雨模様で、観光客は少なめです。

 

 歴史的環境

 今では、もう、聞き慣れなくなった、「歴史的環境」という言葉。1980年前後には、全国で盛んに論じられたものでした。歴史ある建造物や景観などが、経済成長を背景とした開発などで、次第に姿を消した時代です。地域の人たちが守り伝えた、歴史的価値のある場所を、何とか後世に残し、伝えていかなければならないと、訴えかけられた言葉です。*2

 

 歴史的環境の保存と再生。この頃から、重要伝統的建造物群保存地区の指定制度などが設けられ、日本の各地で保存運動が広がっていきました。妻籠は、まさにその先駆者です。これからも、この素晴らしい歴史の証が引き継がれていくことを願います。

 

 南木曽への道

 妻籠を過ぎて、次の宿場の三留野宿(みどのじゅく)に向かいます。この日の目標地点は、三留野の直前、南木曽駅(なぎそえき)。妻籠宿の北はずれ、御触れなどを掲げる高札場を通り過ぎて山道へ。その先は、もう、人の姿はありません。鬱蒼とした山の中、雨が次第に激しくなって、木の陰で休みながらの歩みです。

  蛇行を繰り返しながら、坂道の街道は続きます。途中には、上久保の一里塚。そして、石畳の道を下ります。小さな集落を幾つか抜けて、空が徐々に開けてくると、ようやく、木曽川の谷筋です。右手には、木曽の山並みが迫る道。私たちは、一旦街道からそれて、南木曽駅へと向かいました。

 

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※左、上久保の一里塚。右、石畳の坂道。

 

 

 この続きは、「歩き旅のスケッチ5」をご覧頂ければと思います。ここまで、中山道を歩きつないで、残されたスケッチの、馬籠と妻籠はここまでです。

 次回からは、文字通り、中山道の総集編。印象深い、街道の風景を振り返ります。

 

*1:間の宿については、これまで何度か記述してきました。特に、「歩き旅のスケッチ9」で記した木曽路の平沢は、見所あるところです。

*2:この当時、木原啓吉という方が「歴史的環境」という本を、岩波新書から発刊されています。この方の考え方が、妻籠をはじめとした、重要な景観保全を牽引したように記憶しています。