中山道の最終章
今回から、再び「歩き旅のスケッチ、中山道」です。
このシリーズの第1章は、美濃路の難所に向かう49番御嵩宿から、今回の最初の宿場、26番芦田宿まで。峠越えを繰り返しながらも、往時の中山道を楽しむことが出来ました。
続く第2章は、東海道との並走に別れを告げる68番草津宿から、49番御嵩宿。平坦な近江路と木曽三川を越える美濃路です。
いよいよ、このシリーズも最終章。信州立科町にある、26番芦田宿から一気に江戸に向かいます。
変化に富んだ信濃路
芦田宿は、中山道最大の難所とされる和田峠を越え、その後に控える笠取峠を下ったところ。街道は、信濃路の後半に入ります。
ここから先の信濃路は、難所と呼ばれるところは無いものの、丘を越え川を渡り、変化に富んだ道筋です。
※芦田宿本陣跡。
芦田宿へ
芦田宿に向かうには、JR篠ノ井線の篠ノ井駅から、しなの鉄道に乗り換えて大屋駅へ。そして、大屋駅から東信観光バスを利用して、終点の立科町役場で下車します。*1バスの乗車時間は30分。千曲川を越え、蓼科山に向かう丘陵地を縫って走る、心地よいルートです。*2
芦田宿
芦田宿に着いたのは、11時前。前回、笠取峠を下って到着した、立科町役場からスタートです。
芦田宿は、幾つかの往時の建物が残ってはいるものの、全体として、宿場町の面影はありません。今では、民家や小さなお店が街道伝いに並んでいて、ところどころに、行灯などが置かれています。
笠取の松並木が終わり、芦田の宿場に入ると、街道は概ね真っ直ぐに延びています。その先の宿場の後半、道はかぎ型になり、右折をすると、間もなく宿場から離れます。
※芦田宿の様子。
間の宿、茂田井(あいのしゅく、もたい)
芦田の宿場を後にすると、少しなだらかな坂道を進みます。家並みはまばらで、農地なども見られます。
しばらく進むと、道は三差路に。真っすぐの方向が、今来た道の続きの車道で、左手が中山道です。この三差路の角には、茂田井の案内看板や、中山道を印す木造りの道案内がありました。
※左、茂田井の案内看板。右、中山道方向への三差路。道案内には、塩名田宿(しおなだじゅく)まで10.9Kmと印されています。
三差路の左方向は下り坂。集落の中へと入っていきます。集落の入口には、茂田井の一里塚の石碑が。そして、その先を越えて急坂を下っていくと、次第に宿場町のような雰囲気に変わります。
※茂田井の集落。
ここは、間の宿(あいのしゅく)の茂田井。宿場と宿場の間にある町で、休憩所のような役割をもっていたとのこと。*3
芦田宿から、わずか1Kmほどの場所に、どうしてこのようなところがあるのか、不思議でなりません。信濃路の後半は、軽井沢宿まで、ただでさえ宿場の間隔が短い区間です。
あるいは、和田峠と碓氷峠の間の旅の調整区間であったのか、またあるいは、塩名田宿の千曲川越えの影響なのか。何らかの、必要に迫られた結果なのでしょう。
※茂田井の街並。
茂田井は、かつての街道の面影をよく残しています。町中には水路が走り、旧家も多く残っています。特に集落の後半には、何軒かの造り酒屋の屋敷が構え、その重厚さに圧倒されます。
望月宿へ
茂田井を出ると、142号の道路下を潜り抜け、林の中の緩やかな下り坂に。その後、農地をすり抜けて行くと、真っすぐに下る坂道に入ります。
その先が、望月宿。芦田宿から5Kmの道のりです。
※左、望月宿への街道。右、この先が望月宿。
25番望月宿
望月宿は、道幅が広く、新しく拡張された道路の様子。そのためか、宿場町の名残はあまりありません。替わって、かつてそこが宿場町であったことを伝える資料館や、脇本陣跡の広場などが良く整備されています。
宿場の後半には、歴史ある建物も幾つか確認できるものの、町の姿は大きく変貌しています。
※左、望月宿の様子。右、資料館入口付近。
瓜生坂
望月宿を出ると、すぐ左手の細い街道に入ります。鹿曲川(かくまがわ)に架かる橋を渡って進むと、次は急な坂道です。それほど長い距離ではありませんが、旧道や車道を交互に進む感じです。
この辺りは、瓜生坂と呼ばれるところ。峠のようなところに、道標がありました。
※左、瓜生坂に向かう街道。右、瓜生坂の石碑。
八幡宿へ
瓜生坂を下ると、142号に沿った道を進みます。昼が過ぎ、空腹を抱えての街道歩きになりました。沿道沿いの食堂を探しながら歩みを進めても、なかなか看板は出てきません。
半ば諦めつつ、八幡宿を目指して歩いていくと、ようやく「くまさん」の大きな看板が。地元で人気のレストランのようで、遅い時間でも、たくさんの客で賑わっていました。
※142号沿いの食堂。