旅素描~たびのスケッチ

気ままな旅のブログです。目に写る風景や歴史の跡を描ければと思います。

歩き旅のスケッチ[熊野古道]5・・・大坂本王子から牛馬童子口へ

 峠の先へ

 

 十丈峠を越えた先は、富田川の流域から、日置川の流域に入ります。熊野の山地は、峰々が幾重にも重なる地形。それぞれの峰の間に、深い谷間が形成されて、そこには水の道が通ります。

 川の流れは、谷底を削りながら、蛇行を重ねて、ひたすら海へと向かいます。熊野の谷の清流は、山々の豊かな養分を、海の命につなぐのです。「豊かな山は、豊かな海を作ります」この言葉は、四半世紀も前のこと、私がこの地を訪れた時、教わった名言です。山を愛し、山を育て、山と共に生きてきた、人々の熱い思いが伝わります。

 

 

 もう一つの峠へ

 十丈王子を過ぎた先は、小高い丘に登るように、まばらな木々の斜面を進みます。その後、しばらくすると、道は再び深い山の中に分け入ります。

 ここから先の熊野古道は、杣道のような山の斜面や峠に登る急坂が、入り混じるような道筋です。

 

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※次の峠に向かう古道。

 

 小判地蔵と悪四郎屋敷跡

 この辺りの道沿いには、ところどころに、史跡の案内板が置かれています。

 最初は、小判地蔵の案内板。その傍には、小さな石の地蔵様がおられたような気がします。熊野の巡礼をしていた人が、飢えと疲労で、小判をくわえたまま倒れていたため、その人を弔うために、地蔵様を祀ったというのです。

 説明書きでは、地蔵様に刻まれた、この人の戒名から、豊後の国(大分県)有馬郡の人と分かるとのこと。また、この人は、伊勢参りの帰り道に熊野参詣を終えた後、この古道を通って紀州紀三井寺に向かっていたということです。

 このような小さな史跡も、一人の人間の人生の一コマを伝えているとは、何とも不思議な気がしてなりません。

 

 小判地蔵から、5分ほど坂道を登っていくと、今度は、悪四郎の屋敷跡の表示です。かつて、この辺りに十丈四郎という人の屋敷があったということが、その説明に書かれています。

 悪四郎は、悪い人というよりも、勇猛で強い人のことを指すようです。伝説上の人とされ、この奥の山も、悪四郎山と名付けられているそうです。

 

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※左、小判地蔵。右、悪四郎屋敷跡。

 長い下り道へ

 やがて、急坂も一段落。道は、峠を越えたように、下り道が中心です。途中には、一里塚の石標もあり、山の斜面に切り開かれた、細い道筋を辿ります。

 

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※悪四郎山の斜面の道を進みます。

 

 上多和茶屋跡

 熊野古道は、やがて、もう一度、つづら折れの坂道に。そして、峠のような、平坦な場所に到着します。そこには、茶色のしっかりとした説明板が立てられていて、上多和茶屋跡(うわだわちゃやあと)との表示です。

 江戸期から明治期まで、ここに茶屋があったようですが、奥深い山の生業は、たやすくはなかったと思います。

 

 十丈王子からこの茶屋跡まで、およそ2Kmの道のりです。私たちはこの間を、およそ1時間の時をかけて歩くことになりました。

 

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※上多和茶屋跡。

 三体月伝説

 上多和茶屋の峠を越えると、道は一気に下り坂に入ります。バスの時刻を気にしつつ、下り道で一気に距離を稼ぎます。

 途中には、再び、道端に、興味深い案内板がありました。”三体月伝説”と記された説明には、次のような言い伝えが書かれています。

 

 「今は昔、熊野三山を巡って野中近露の里に姿を見せた一人の修験者が、里人に『わしは11月23日の月の出たとき、高尾山の頂で神変不可思議の法力を得た。村の衆も毎年その日時に高尾山に登って月の出を拝むがよい。月は三体現れる。』半信半疑で村の庄屋を中心に若衆達が、陰暦の11月23日の夜、高尾山に登って月の出を待った。やがて時刻は到来、東伊勢路の方から一体の月が顔をのぞかせ、あっというまにその左右に二体の月が出た。三体月の伝説は、上多和、悪四郎山、槙山にもある。」

 

 この現象が事実かどうかは分かりませんが、気象条件が重なると、蜃気楼のような現象が、実際に起こったのかも知れません。昔からの言い伝えや慣習は、時が経つと失われてしまうもの。大切に、伝承していってほしいと思います。

 

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※三体月伝説の説明板。

 

 大坂本王子へ

 道は再び下り坂。ひたすらに、大坂本王子を目指します。途中、山道は、右上へと向かう道と、左下への道に分かれることに。その分岐には、標識が掲げられ、右方向が、先ほどの、三体月の観賞地。左へ向かう下り坂が熊野古道との表記です。

 

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※左、左の道が大坂本王子方向へ0.9Kmの地点。十丈王子からは3Km。右上への道が三体月鑑賞地。右、熊野古道は手前から右方向へ。

 道は、一気に下ります。下り坂は、上りと異なり、随分とスピードが速まります。この調子では、心配していたバスの時刻も、余裕でクリアしそうです。

 疲れた体も、幾分回復基調のような状態で、残りの行程を進みます。

 

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※大坂本王子への下り道。

 

 標高が随分下がったところに来ると、道を横切る沢なども現れます。親切に、丸太の橋が架けられていて、安全に渡ることができるのです。

 

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※沢に架かる丸太の橋。

 

 大坂本王子

 森の中の下り道を歩き続けて、先の十丈王子から3.9Kmの地点に来ると、次の目標地点である、大坂本王子に到着です。

 ここには、青い案内標識と併さって、古くからの石の碑などもありました。大坂峠、あるいは、逢坂峠の麓にある王子ということで、この名が付けられたとのことで、麓の里は、もう近くに迫っているのでしょう。

 

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※大坂本王子。

 

 牛馬童子口へ

 大坂本王子を出ると、牛馬童子口までは、およそ0.8Kmの道のりです。川のせせらぎの音が聞こえて、平坦な道に変わると、どこからか、車の気配などが感じられるようになりました。

 右側の斜面の上に、自動車道路があるような場所まで来ると、牛馬童子口はもう間もなくのところです。最後の力を振り絞り、もう一息の歩みを進めます。

 

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牛馬童子口近くの古道。

 

 牛馬童子

 牛馬童子口(ぎゅうばどうじぐち)は、熊野古道にある、牛馬童子像へと向かうための入口です。ここには、国道311号線が通っていて、「道の駅熊野古道中辺路」の施設がありました。この道の駅、熊野観光の一つの休憩所となっているようです。

 牛馬童子のことについては、次回のブログに譲ることにして、とにかく、この日の長丁場の行程は、この道の駅で終了です。

 

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※左、牛馬童子口のバス停がある道の駅の施設。右、牛馬童子のモニュメントと道の駅。

 私たちは、道の駅のバス停から、この日の朝、車を置いた、滝尻王子のバス停まで、路線バスで戻ります。そして、次の日に、再び、このバス停を訪れて、ここから、牛馬童子へと向かうことになるのです。