巡礼の道
いよいよ、熊野詣の聖地である、熊野本宮大社に迫ります。かつて、ここまでの道のりは、参詣者の目的ごとに、幾つかのルートがありました。
都から、直接参詣に向かう場合には、川を下って難波に入り、紀州を経て、今の田辺市辺りから東に広がる熊野の峰へ。この道は、中辺路(なかへち)と呼ばれていて、多くの人が辿ってきたルートです。
一方で、高野山の参詣を兼ねた人たちは、紀伊の山地を真っ直ぐに南下する、小辺路(こへじ)の道を利用して、熊野へと足を向けました。さらには、伊勢参りを遂げてから、尾鷲を通り、熊野の山へと足を進めた旅人も、少なくはなかったということです(伊勢路)。
様々なルートを有する熊野の古道。歴史のロマンが溢れます。
果無山脈
発心門王子から、中辺路の最後の区間の歩き旅。次の目標地点は、伏拝王子(ふしおがみおうじ)です。
しばらくの間、舗装道路を進んだ後で、坂道を上ります。坂道を上ったところは、さらに眺望が開けていて、果無山脈(はてなしさんみゃく)と表示された案内板がありました。
この位置から北を望んだ山々が、果無山脈と呼ぶようで、解説には、「和田の森(1,049m)、安堵山(1,083m)、黒尾山(1,235m)、冷水山(1,270m)、石地力山(1,140m)の連山を呼び、東西に18Km連なり、稜線は奈良県境となっている。」と記されています。
また、「高野山と熊野本宮大社を結ぶ参詣道が残り、今なお行きかう人々もある。」とのこと。この深い峰を越え、熊野古道は、神宿る聖地へと人々を誘ってきたのです。
※果無山脈。
伏拝王子へ
果無山脈の素晴らしい眺望を左に見ながら少し進むと、道はやがて草地の上り坂に入ります。道伝いには、「南無神変(じんぺん)大菩薩」と表示された、派手な幟がありました。
「神変大菩薩」とは、修験道の人である、役行者(えんのぎょうじゃ)、或いは、役小角(えんのおづぬ)のことを指すようで、それこそ、熊野山中を修行の地として駆け回っていた草分けの人の諡号(しごう)です。
奈良時代より、さらに昔の世の中で、山々に溶け込んで修行を重ねた人の姿は、あの空海も手本にしたとも言われています。熊野の地ならではの、役行者を崇める姿。少し、不思議な光景を味わうことができました。
※伏拝王子に向かう草地の道。
伏拝王子(ふしおがみおうじ)
草の生えた坂道を少し上ると、小高い、丘のようなところに出てきます。その後、道は下り坂。その先に、休憩所のような建物が見えました。
この建物は、伏拝王子の休憩所。トイレなども併設されて、古道を歩く人たちが一息つける施設です。
休憩所から、古道を挟んだ向かいには、伏拝王子に向かう石段が森の上へと続いています。この石段を少し上ると、わずかに開けた場所があり、そこに、伏拝王子がありました。
王子跡には、祠などの建物はなく、幾つかの石碑だけが、ひそかに木陰に佇みます。
伏拝王子の謂れについては、これまでに、何度か触れた地図中の解説に、次のように書かれています。
「昔人々は、苦労を重ね古道を踏破し、眼下遥かな熊野川と音無川の出合う森の中に熊野本宮大社を初めて目にした時、感激のあまりにひれ伏して拝んだといわれています。」
※左、伏拝王子の休憩所。右、伏拝王子。
伏拝王子から、後ろを振り向いてみたところ、展望所のような、開けた空間がありました。そこからは、遥か下の谷底に、本宮大社の鳥居*1が望めるとのことですが、私の視力では、かないません。
昔の人は、ここから熊野本宮大社を目に止めて、感動に浸りながら、伏し拝んで行かれたのだと思います。
※写真の中央やや右側の谷底が、その位置になるようです。
三軒茶屋跡
伏拝王子から、道は再び山道へと変わります。それでも、下り坂が中心で、歩きやすいところです。
次に目指す目標は、三軒茶屋跡。文字通り、かつて、三軒の茶屋があった場所だということです。
※左、三軒茶屋跡に向かう森の道。右、舗装道路をまたぐ橋を渡って三軒茶屋跡へ。
三軒茶屋跡
森の中の坂道を下っていくと、やがて、舗装道路をまたいでいる、橋の道を通ります。この舗装道路は、十津川へと通じる道らしく、高野山と繋がっている、小辺路と呼ばれるルートです。
橋を渡ると、もうそこが三軒茶屋があった場所。往時の茶屋を彷彿とさせるような、凝った意匠の休憩所がありました。
※三軒茶屋跡。
九鬼ケ口関所
三軒茶屋跡から先に向かうと、再び山道に入ります。その山道の入口に、九鬼ケ口関所(くきがくちせきしょ)、と表示された木の門がありました。
この関所については、地図中の解説に、「小辺路(高野山に続く古道)を行く人々からの通行料を徴収していた『九鬼ケ口関所』が模式的に再現されています。」と記されていて、小辺路から熊野本宮大社に向かう人に対して、通行料が徴収されていたようです。この関所は、元は、小辺路を少し北に向かった辺りにあったようで、今は解説にあるように、「模式的」に作られているのです。
※九鬼ケ口関所。
祓殿王子(はらいどおうじ)へ
熊野古道は、再び山道に入ります。緩やかな上り道もありますが、全体として下り道。木々に覆われ、古の空気を味わいながら、最後の古道歩きを楽しみます。途中には、展望所へ行く脇道もありますが、私たちは、真っすぐに古道の坂道を下ります。
※熊野古道の醍醐味が味わえる道筋。
やがて、徐々に空が開けてくると、里が近づいた雰囲気を感じます。その後、石積みの塚跡がある、祓殿石塚(はらいどいしづか)遺跡に到着です。
遺跡前には、案内板が置かれていて、「祓殿石塚遺跡」の説明書きがありました。この石塚は、江戸期に築かれたということで、「参詣者たちが自らの穢れを清めることや参詣道中の安全などを祈念するために、石を積み上げたとされている。」と書かれています。
※左、里に続く古道。右、祓殿石塚遺跡。
祓殿王子
道は、その先で、石畳の坂道を一気に下り、舗装道路に下り立ちます。ここからは、普通の集落の道路です。車の通りはほとんどなくて、穏やかな雰囲気のところです。
※左、舗装道への下り坂。右、舗装道へ下り立ったところ。
舗装道路をしばらく進むと、右側に、祓殿王子(はらいどおうじ)がありました。この王子は、熊野本宮大社を目前にした位置にあり、熊野を訪れる人にとっては、この上なく、重要な場所だったのだと思います。
祓殿王子は、身なりを整え、熊野本宮大社にお参りする禊(みそぎ)の場でもあったのです。
※祓殿王子跡の標識。
祓殿王子社跡
祓殿王子跡の少し奥まったところには、祓殿王子の社跡がありました。祠などはないものの、石造りの社を模した彫像は、王子の面影を伝えています。
※祓殿王子社跡。
熊野本宮大社裏鳥居へ
祓殿王子を通り過ぎると、もう間もなく、熊野本宮大社に到着です。熊野古道は、熊野本宮大社の裏鳥居に通じていて、そこから、大社の正面へと向かいます。
※熊野本宮大社裏鳥居。