旅素描~たびのスケッチ

気ままな旅のブログです。目に写る風景や歴史の跡を描ければと思います。

歩き旅のスケッチ[甲州道中]24・・・駒飼宿から笹子峠へ

 笹子

 

 「笹子」という名をお聞きになると、笹子トンネルで起こった事故を、思い出される方も多いでしょう。今からちょうど10年前、中央自動車高速道路の笹子トンネル上り線で、大きな事故が起きました。この事故は、突然、トンネルの天井が崩れ落ち、たくさんの車両が下敷きになった大惨事。この時、9人の方々の尊い命が奪われました。今でも信じられない事故ですが、人が造った構造物が、劣化した時の危うさを、思い知らされた事故でした。

 街道は、このトンネルから、少し離れたところを通ります。往時は、この辺りは峠道。険しい道が、延々と続く街道です。私たちは、甲州道中最初の難所、笹子峠を目指します。

 

 

 駒飼宿(こまかいじゅく)

 駒飼の宿場町は、坂道に沿って続いています。民家と民家の間隔は、余裕がある状態で、空き地には、木や花が植えられて、沿道を飾っています。

 建物は、よく見ると、歴史がありそうな佇まい。街道と言い、建物と言い、どことなく、宿場町の面影を感じます。

 旧道を上っていくと、やがて、県道と合流です。そして、その先の右側に、本陣跡と脇本陣跡がありました。

 

※写真右の小さな標柱が本陣跡を示しています。その隣の屋敷あたりが脇本陣跡のようです。

 駒飼宿には、本陣、脇本陣、問屋が各1軒、旅籠は6軒だったということです。小規模の宿場町ではありますが、1つ手前の宿場町、鶴瀬宿とは、協力関係がありました。甲斐大和の2つの宿場は、互いに補完し合いながら、旅人をもてなしてきたのだと思います。

 

 芭蕉の句碑

 駒飼の宿場町を後にして、笹子峠へと向かいます。この先は、大変な難所の道。民家も、しばらくはないようです。少し、恐怖心も持ちながら、駒飼の集落を離れます。

 県道を少し上ると、左側に石碑群がありました。表示柱には、松尾芭蕉の俳句が書かれ、石碑のひとつが、芭蕉の句碑だと知らされました。

 

   秣(まぐさ)負ふ 人を栞(しおり)の 夏野哉(なつのかな)

 

 後ほど調べてみたところ、この俳句、奥の細道に関連した句のようです。どうして、甲州道中に、この句碑が置かれているのか、不思議ではありますが、『不安な道中でも、折った枝(栞=枝折)を目印として道に置いておけば、帰りに迷うことはない』という、一般的な道中安全の意味合いで、置かれた句碑だというのです。*1

 ここからも分かるように、この先の峠道は、本当に厳しい道でした。

 

芭蕉の句碑。

 

 県道伝い

 この先の街道は、しばらく、県道伝いに歩きます。時折、大きく屈曲している、ヘアピンカーブも越えながら、上へ上へと向かいます。

 この道中、出会った車は、数えるほどしかありません。ひっそりとした県道は、人々から、忘れられた道のよう。今となっては、それほど重要な道ではないのでしょう。

 

※左、県道伝いの街道。右、時に川を越える場所もあります。

 

 桃の木茶屋跡

 芭蕉の句碑から、1Km以上進んだところに、「史跡 桃の木茶屋跡」と記された表柱がありました。

 かつて、この辺りには、お茶屋さんが店を構えて、旅人をもてなしていたということです。

 

※桃の木茶屋跡。

 

 峠道へ

 茶屋跡を過ぎたすぐ先で、谷川の上を跨ぐ、小さな橋を渡ります。そして、その後、県道から右にそれ、山道へと向かいます。

 

※橋を越えた先を右折して山道に入ります。

 橋を渡ったところには、「甲州街道峠道」の表示板と、「笹子峠」と記された案内板がありました。ここから先の峠道。地元の方の熱意によって、昭和の終わりに、荒れた道が復旧されたということです。以下、案内板の記載の一部を紹介します。

 

※復旧された峠道の入口。中央部の擬木の側面が見える構造物が案内板です。

 

 「徳川幕府は・・・甲州街道(江戸日本橋から信州諏訪まで約五十五里)を開通させました。笹子峠はほぼその中間で・・・標高壱千九十六米、上下三里の難所でした。」

 「・・・この峠を往来した当時の旅人を偲んで昭和六十一年二月十二日、次のような唄が作られ発表されました。」

 「甲州峠唄  作詞 金田一春彦 作曲 西岡文郎」

 「あれに白いは コブシの花か  峠三里は 春がすみ  うしろ見返りゃ 今来た道は  林の中を見え隠れ  高くさえずる 妻恋雲雀  おれも歌おうか あの歌を  ここは何処だと 馬子衆に問えば  ここは甲州 笹子道」

 「この唄の発表によって旧道を復元しようという気運が高まり昭和六十二年五月、清水橋から峠まで地域推進の一環として、日影区民一同と大和村文化協会の協力によって荒れていた旧道を整備して歩行のできる状態にしました。」

 

※峠見向かう旧道。 

 

 旧道の山道へ

 地域の方の努力によって、よみがえった甲州道中。私たちは、感謝の気持ちを胸にして、旧道へと向かいます。

 旧道の入口は、擬木の枠で整備された、広くて緩やかな、土道の階段です。そしてその、すぐ先から、険しい山道に入ります。

 途中、何か所かで、谷を渡る丸太橋がありました。雨が降れば、崩れ落ちそうな場所もあり、見ての通り、心細くなるような山道です。

 

※丸太橋で谷を越える街道。

 街道は、大きな石がゴロゴロとした、杉林の斜面を通り、少しずつ、笹子峠に近づきます。

 下諏訪宿から歩き始めた、甲州道中の歩き旅。最初の難所を、身をもって体験することになりました。

 

※山道を笹子峠へと向かいます。

 

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*1:松尾芭蕉は、『野ざらし紀行』の旅で、甲州に足を踏み入れています。ところが、そのルートは、中山道を下諏訪まで歩き、その後、私たちが歩いている甲州道中を辿って江戸に向かったのか、或いは、東海道の蒲原あたりから身延道を辿って甲州に入ったのか、または、沼津から富士吉田、都留を経由し、甲州の大月へと向かったのか、諸説があるとのこと。最後の説だとすると、駒飼は、後戻りの行程となり、この句碑の場所は通っていないことになります。