終着点
奥州道中の終着点は、白河の宿場を過ぎて阿武隈川を渡った先の、女石追分(おないしおいわけ)のところだと言われています。ただ私たちは、前日に大田原の宿場を発った後、ここ白河まで、2日間で40数キロの道のりを歩き続けてきたために、体力の限界が近づいてきた感じです。そのために、勝手ではありますが、追分までは歩かずに、白河の宿場町を終着点と決めました。
宿場町は、JR白河駅にもほど近く、交通も便利です。あと、もう少しで阿武隈川とは知りながら、区切りの良いこの地点で旅を終えても、後悔はありません。自分自身で納得し、いよいよ、最後の宿場町、白河宿へと向かいます。
戊辰戦争古戦場跡
街道は、正面の緑の丘に突き当たり、そこから、大きく右方向に進路を変えて、丘の縁に沿うように進みます。
道が湾曲するところには、「戦死墓」と刻まれた、大きな石碑と、小さな祠がありました。石碑の傍には、「戊辰の役古戦場」の説明板。この辺りで、明治維新時の内戦が繰り広げた様子です。
※丘に突き当たり右方向に進路を変える街道。
ここで、少し長くなりますが、戊辰の役についての説明板の内容を紹介したいと思います。
「市内の九番町の西端、ここ松並にあり、南は水田が開け、北は稲荷山の小丘を慶応四年(1868)奥羽諸藩鎮定のために、薩長大垣等の西軍が大挙して三方から白河を攻めた。東軍の会津、仙台、棚倉の兵は、白河城の南西の山に陣し、これを迎え撃った。この地は白河口での激戦地で、閏(うるう)四月二十五日、会津兵は一旦西軍を退けたが、五月一日、再び来襲したので、西郷頼母、横山主税等が稲荷山に陣し迎え撃ったが、激戦、数十合、弾尽き刀折れ、戦死者数知れず遂に敗退のやむなきに至り小峰城(白河城)は遂に落城、城郭は焼失した。戦後両軍は、各々戦死者の碑を建て、霊を慰めた。」
「この白河街道の左曲する南側に、長州藩三名大垣藩三名の墓、北側に会津戦死者の墓と会津藩松平容保(まつだいらかたもり)の題字の銷魂碑がある。」
わずか、150年ほど前の出来事ではありますが、今の世と余りにもかけ離れた戦いは、いくら想像してみても、現実味がありません。それでも、ウクライナや中東などの動きを見れば、しっかりと、事実を見据えなければならないと、改めて自戒した次第です。
※戊辰戦争の戦場となった稲荷山の麓。
松並から九番町へ
「戦死墓」の石碑があったところから、街道は、緩やかな坂道を進みます。ほどなく、新しい住宅地。
松並と呼ばれるこの地域、稲荷山の丘の麓を取り巻くように続きます。
※松並の住宅地。
ぐるりと回り込んだ街道は、その先で、九番町に入ります。この辺り、町名と言い、町並みと言い、やや年代を感じるところです。江戸期からの町かどうかは分かりませんが、次第に市の中心部に近づいてきた雰囲気です。
※九番町を進む街道。
しばらくすると、小高い丘は後方に退いて、街が一気に開けます。街道が、七番町から三番町へと進んで行くと、その先で小さな川を渡ります。
道沿いは、民家が軒を連ねて、旧市街地の様相へ。奥州道中最後の宿場は、もう間もなくのところです。
※谷津田川を横切る三番町辺りの街道。
高湯山(たかゆさん)道標
三番町に続く町は、二番町。ここには、ひとつのT字路があり、その角に、「高湯山道標」と記された、古い石造りの道標と説明板がありました。
ここでは、真っ直ぐ延びる街道に、左手から、ひとつの道が合流します。道標は、「左 江戸海道」「右 那須道」と標記され、街道の分岐点だったことが分かります。
勿論、「江戸海道」は奥州道中のことでしょう。
※高湯山道標。
この、”高湯山”という言葉。この付近の古い地名のようにも思えます。ところが、実は、この名前には、深い理由があるようです。
詳しくは分かりませんが、”高湯山”は、那須嶽信仰の名称だというのです。信仰の対象の霊場は、那須茶臼岳の西にある、”御宝前(ごほうぜん)”と呼ばれている温泉の湧出地。ここへの登り口は2か所あり、その一つが、”高湯山”だと言うのです。
芭蕉と曾良も訪れた、那須湯本の温泉神社。この神社こそ、”高湯山”の入口です。その昔、この地方の人々は、白河のこの地から「那須道」を辿り進んで、”高湯山”へと向かわれたのだと思います。
白河宿
さて、二番町のすぐ先は、一番町が隣接します。この辺り、老舗の店舗の建物が何軒か見られます。
下の写真の建物は、呉服屋の奈良屋さん。趣ある松の樹形が良く映える、瀟洒な感じのお屋敷です。
※一番町の町並みと奈良屋さん。
白河宿は、先の白坂の宿場からおよそ10キロ離れています。白河藩の城下町として、或いはまた、街道の拠点として発展してきたところです。
この宿場には、本陣が1軒と、脇本陣が2件あり、旅籠は35軒ありました。今はもう、宿場町の面影は、ほとんど見ることができません。それでも、東北への玄関口の位置づけは、今も昔も変わりがないのだと思います。
少し寂し気な、かつての宿場町の道筋を、ここまでの道中を思い出しつつ進みます。
※かつての白河宿の町並み。