二所之関
街道は、いよいよ、陸奥(みちのく)の地に入ります。下野と奥州との境界は、東西に小高く連なる尾根の上。坂道を上った先の、峠あたりに境界線が通っています。
この峠には、下野側と奥州側に、それぞれ、由緒ある神社が佇みます。玉津島明神と住吉明神の2つの神社。芭蕉と共に旅をした、曾良が記した『曾良旅日記』には、「関明神、関東ノ方ニ一社、奥州の方ニ一社、間廿間計有」と書かれています。
今では、境の明神という名で知られる、国境の2つの神社。別名、”二所之関”とも呼ばれています。”二所ノ関”、とは、相撲部屋の名前として、時々耳にするものですが、その語源になるのが、この”二所之関”だと言われています。
芭蕉の時代から、国境に鎮座する2つの神社は、長い月日の流れの中で、いつの日も、街道の往来を見守ってくれているのでしょう。
泉田の一里塚
寄居の集落を通り過ぎ、国道に戻った街道は、緩やかな上り道を進みます。
しばらくすると、左前方に、それと分かる一里塚が見えました。この一里塚、泉田の一里塚と呼ばれています。美しく整えられた姿を見ると、大切に保存されていることが分かります。
※緩やかな坂道を進んで行くと、一里塚が見えてきます。
一里塚の前面には、しっかりとした案内板も置かれています。この中に記載されてはいませんが、泉田の一里塚は、下野最後の一里塚。奥州との境界は、もう、それほど先ではありません。
※泉田の一里塚。
国道と旧道
国道と国道傍の旧道を交互に辿りながら、山間の道を進みます。道端には、石像なども残っていて、街道の名残りを伝えています。
※石像などが残る街道筋。
やがて、右に大きく迂回する旧道も現れますが、ほどなく、国道に舞い戻るという状況です。
※山中の集落に向かう旧道。
山中という集落を通り過ぎると、再び国道に入ります。この辺り、もう道沿いには、農地ができる空間はありません。左右から山が迫り、道筋だけがその隙間を埋めている状態です。
※左右から山が迫る国道。
国境へ
道は、少しずつ標高を高めながら、奥の地へと向かいます。この辺り、急勾配ではないために、それほど身体に負担はかかりません。国境の風景を楽しみに思い描きながら、足取りを進めます。
しばらくすると、立派な、馬頭観音像。ここにも、街道の風景が残っています。
※左、山の中をすり抜ける国道。右、道路脇に残る馬頭観音像。
最後の集落
さらに進むと、今度は、左上の崖地の上に、これも大きなお地蔵さんが見えました。「明神の地蔵様」と呼ぶようで、傍には、石像なども置かれています。
道の先の集落は、それほど戸数はありません。地図を見ると、もうそろそろ、国境。下野(しもつけ)最後の集落かも知れません。
※明神の地蔵様が置かれた街道筋。
街道は、大きく右に曲がります。その先は、少し勾配を増した上り坂。一気に、尾根の上へと向かいます。
道沿いには、まだ、何軒かの民家が見られます。斜面伝いのわずかな場所で、畑作などが行われているようです。
※尾根に向かって勾配を強める街道。
国境(くにざかい)
坂道の勾配が、さらに強まったところには、栃木県の境界ゲート。「お気をつけて」と書かれています。目の前は、峠でしょうか。坂道が頂のような状態で、その上に、「福島県」「白河市」と表示された標識が置かれています。
上り坂の左には、鳥居の姿もありました。これが、冒頭で紹介した、下野側に置かれた神社、玉津島明神なのでしょう。
いよいよ、国境(くにざかい)。街道は、陸奥(みちのく)を迎えます。
※国境を視野に捉えた街道。
玉津島明神
鳥居の前まで足を運ぶと、その傍に、「境の明神 玉津島神社」と表示された表示柱がありました。
私たちは、境内へと歩を進め、本殿前で参拝です。
『曾良旅日記』には、この辺りの様子について、次のように記しています。
「両方ノ門前二茶や(ママ)有。小坂也。これヨリ白坂ヘ十町程有。」
かつては、この門前に、峠の茶屋があったのでしょう。往き交う人は、2か所ある境の明神に参詣して、茶屋で一息入れたのかも知れません。
※津島明神(下津側)。
国境の峠
玉津島明神を後にした街道は、ほどなく、峠を迎えます。ここが、下野と奥州の国境。いよいよ、街道は、陸奥(みちのく)の地に入ります。
住吉明神(境神社)
国境を越えたすぐ先は、今度は、住吉明神の鳥居です。私たちは、ここでも参拝の柏手を打ちました。
※住吉明神(境神社)
境の明神
ここまで、2つある境の明神の名称を、下野側=玉津島明神、奥州側=住吉明神、として紹介してきましたが、実は、反対に書かれた資料もあるため、少し注意が必要です。
この混乱を解決する糸口が、奥州側の住吉明神の説明板に書かれていたので、少し紹介したいと思います。
「旧奥州街道に面して、陸奥(福島県側)と下野(栃木県側)の国境を挟んで境の明神が二社並立している。陸奥側の境の明神は、玉津島明神を祀り、下野側の明神は住吉明神を祀っている。」(注:この段階で神社名は反対になっています。)
「玉津島明神(女神・衣通姫(そとおりひめ))と住吉明神(男神・中筒男命)は、国境の神・和歌の神として知られ、女神は内(国を守る)、男神は外(外敵を防ぐ)という信仰に基づき祀られている。このため、陸奥・下野ともに自らの側を「玉津島を祀る」とし、反対側の明神を「住吉明神を祀る」としている。」
つまり、どちらも、津島明神であり住吉明神であるという、不思議な状態が、ここ、境の明神では、受け入れられているのです。
※奥州側の住吉明神本殿。
街道は、国境を過ぎた後、奥州最初の宿場町、白坂宿へと向かいます。