旅素描~たびのスケッチ

気ままな旅のブログです。目に写る風景や歴史の跡を描ければと思います。

歩き旅のスケッチ[甲州道中]51・・・日野宿

 新撰組の故郷

 

 日野の宿場を歩いていると、幾つかの、由緒ある建物が見られます。また、宿場に関する案内板も、ところどころに設置され、往時の様子が偲ばれます。

 この日野の街中で目を引いたのが、”新選組”という文字でした。観光案内所が入っている、日野宿交流館で頂いた資料にも、「新選組に会えるまち日野」という、キャッチフレーズが書かれています。

 実は、この街は、新選組の副長だった、土方歳三の出身地。そして、日野宿本陣に設置された道場で、後に新選組の局長となる、近藤勇を始めとして、土方歳三沖田総司など、幕末に名を馳せた浪士達が、武術の稽古に励んでいたということです。

 壮絶な最期を迎えた、新選組。歴史の波が大きく押し寄せ、新しい時代へと変貌する過程において、彼らのとった行動は、これからも、語り継がれていくのでしょう。

 

 

※日野宿交流館で頂いた資料。

 日野駅

 急坂の街道は、中央高速自動車道路の、高架橋を潜った後も、まだしばらく続きます。道の左は、高台の名残りの斜面。そして、反対の右側は、JR中央本線の軌道です。

 街道は、真っ直ぐに、日野駅目指して下ります。 

 

※JR日野駅を目掛けて下る街道。右はJR中央本線

 日野宿へ

 下り坂が終ったところは、JRの日野駅です。駅前は、ロータリーとなっていて、バスや車が巡っています。それほど広くは感じない、駅周辺の空間ですが、どことなく、学生風の若者が、目立っていたように思います。

 

 街道は、駅手前にある、JRの軌道下を通り抜け、駅の東側へと向かいます。その後、日野駅東交差点を左折すると、飲食店が点在する、静かな街に入ります。

 道筋には、往時の面影はないものの、この辺りはもう、日野宿があったところです。八王子宿から約6キロ。江戸から数えて、6番目の宿場町に着きました。

 

※日野宿に入ったと思われる、駅東の道筋。

 

 日野宿

 日野宿には、本陣、脇本陣、問屋が各1軒設けられ、旅籠は20軒だったということです。山あいの宿場町に比べれば、少し大きめではありますが、甲州道中44次の宿場の中では、平均的な規模でした。

 街道は、次の交差点を右折して、日野台の坂の上で一旦別れた県道と、ここで再び出合います。

 

※県道に合流した街道。

 

 八坂神社(やさかじんじゃ)

 県道を少し進むと、右側には、日野八坂神社の境内です。街中の神社とあって、たくさんの人の姿を見かけます。

 この神社には、剣術上達祈願として奉納された、ひとつの額があるとのこと。そこには、日野宿の剣士とともに、近藤勇沖田総司など、新選組の浪士の名前も、刻まれているということです。

 

※八坂神社の鳥居と境内。

 

 境内には、また、「甲州道中分間延繪図」とされる、西暦1800年頃の宿場絵図が置かれています。

 よく見ると、左方向の街道が、右に折れた付近には、赤い鳥居も見られます。その位置は、まさに、日野八坂神社があるところ。古絵図にも描かれたこの神社、古くから、街道の往来を見守り続けてきたのでしょう。

 

※八坂神社境内にあった宿場絵図。左側から右に向け、街道が屈折したすぐ先の右側に鳥居があります。

 

 本陣など

 私たちは、八坂神社でお参りし、宿場町に戻ります。

 かつての宿場の街道を進んで行くと、左手には、趣のある建物が。小さくはありますが、由緒がありそうな構えです。この建物、渡辺家の蔵ということで、江戸後期から明治初頭の建築だとか。前面は、補強されてはいるものの、よく保存されていると思います。

 

※渡辺家の蔵

 

 さらに足を進めると、お店などが点在し、時には、意匠が施された建物なども見られます。全体として、宿場町の面影はないものの、どことなく、良い雰囲気が感じられる道筋です。

 

※日野宿があった通りの様子。

 しばらく進むと、今度は、右側に本陣跡。少し奥まったところにある、表門の辺りなど、厳格な空気感が漂います。

 

※通りから見た本陣。

 

 表門から中を覗くと、立派な庭や、厳かな本陣建屋が見えました。一見すると、往時の姿そのままを、残しているようにも感じます。

 表門の右脇に置かれた説明板を見たところ、やはりこの本陣は、歴史を背負った建物です。ここで、その内容を、少し紹介したいと思います。

 

 「日野宿本陣は、江戸時代末期に日野宿名主を勤めていた下佐藤家の住宅として建てられたものである。・・・元々名主であった隣の上佐藤家と共に交代で名主を勤めてきたといわれる。・・・現在の建物は嘉永二年(1849年)正月の火事で焼失した後再建されたもので、文久三年(1863年)四月には上棟し、元治元年(1864年)末に完成したものである。」

 「日野宿本陣は瓦葺の建ちの高い大屋根と入母屋玄関を持ち、本陣建築として意匠的に優れている。建物の保存状態も良好であり、甲州道中のみならず都内に遺る唯一の本陣建築として、歴史的、建築史的価値が非常に高い。」

 

※表玄関と本陣建物。

 

 新選組の人たちが、剣術の稽古に励んだこの本陣。揺れる日本のひとつのページが、この地とつながっていたのです。

 

 多摩川

 日野宿の本陣前には、新しい建物の、日野宿交流館がありました。中では、宿場町の展示など、日野市の歴史などが学べます。資料も豊富に揃えられ、是非とも、立ち寄って頂きたいところです。

 私たちは、日野の宿場を歩き進んで、新奥多摩街道入口の交差点を左折です。街道は、この先で、武蔵の国の大河川、多摩川を迎えます。

 

新奥多摩街道入口を示す道路標識。