旅素描~たびのスケッチ

気ままな旅のブログです。目に写る風景や歴史の跡を描ければと思います。

歩き旅のスケッチ[甲州道中]40・・・吉野宿から与瀬宿へ

 相模原市

 

 相模の国の甲州道中。この国の街道の沿線は、ことごとく、相模原市緑区に属しています。この地域、元々は、神奈川県の藤野町だったところです。平成の合併で、相模原市になりました。

 深い山でありながら、多くの家が建ち並び、住みやすそうなところです。街道は、相模湖の北に構える急峻な山の斜面に沿うように、入り組んだ地形の道を、蛇行しながら進みます。

 

 

 吉野宿

 街道は、沢井川に架けられた吉野橋を越えた後、T字路の、吉野郵便局前交差点を迎えます。道沿いは、民家が並ぶ住宅地。それでも、この辺りから、相模の国の2番目の宿場町、吉野宿になるようです。

 

※吉野郵便局前交差点。

 

 前の宿場の関野宿から、わずかに3キロ離れたところ。相模の国の宿場町は、間隔を開けることなく続いています。

 吉野宿には、本陣、脇本陣、問屋が各1軒設けられ、旅籠は、わずかに3軒だったということです。点在する宿場町には、逗留する旅人も分散するということなのか。何れの宿場も、小規模の備えです。

 

 旅籠ふじや跡

 国道沿いの、かつての宿場町を進んで行くと、右側に、少し変わった、趣ある建物が見えました。これは、旅籠ふじや跡。相模原市緑区の資料には、「吉野宿の名残をとどめる、築120年の建物(市登録有形文化財)」と、書かれています。

 今は、郷土資料館となっていて、歴史や地域文化など、各種の展示が行われている施設です。

 

※三角窓を持つ建物が旅籠ふじや跡。

 本陣跡

 目を転じて、ふじや跡の向かいを見ると、かなり傷んだ土壁の建物がありました。今にも壊れそうなこの土蔵。道端に設置された案内板には、宿場町の、貴重な遺構であると書かれています。

 「吉野家土蔵」という表題の、次の記述を紹介します。

 

 「吉野宿の旧本陣は、かつて五層楼(明治9年の建築)がそびえ立ち、明治天皇の御巡幸時の行在所務めました。五層楼は明治29年の吉野の大火により焼失しましたが、3階建の大型土蔵は大火を耐え現存しています。しかも建築年代は江戸時代に遡る可能性が高く、本陣時代の唯一の遺構としても貴重です。」

 

※今も残る吉野家土蔵。

 斜面の道へ

 吉野の宿場を過ぎた後、街道は、国道を左にそれて旧道へ。この先、しばらく、斜面の道が続きます。

 旧道の入り口辺りの道沿いは、石垣などで整地された、住宅が並びます。そこそこの急勾配の坂道は、蛇行を重ね、一気に標高を高めます。

 

※左、旧道の斜面の道の入り口辺り。右、急坂が続く街道。

 

 ここからの道筋は、峠道というよりも、崖地伝いに続く道。相模川が堰き止められた、相模湖の湖面からも、随分高い位置を通ります。どうして、このような道筋になったのか。その理由は、色々とあるのでしょう。

 相模川の洪水を避けるため。或いは、街道を造りやすい、地形だったのかも知れません。

 やがて、街道からは、相模湖の上流部分が見下ろせるようになりました。緑深い山の中。水を湛えた相模湖は、まだこの辺りでは、幅の広い運河のような姿です。

 

※相模湖の上流部を見下ろします。位置的には、相模湖ICの直ぐ下辺りになります。

 古道

 さらに高度を上げた街道は、その先で、古道と呼ばれる山道に入ります。林の中に分け入るような感覚で、細い道を進みます。

 

※古道の入口。

 木々が覆う街道は、沢に架かる木橋を渡り、土でできた階段を上ります。そして、やや開けた場所に出て行くと、道は、舗装道路に変わります。

 

木橋などを通りながら、林の中を進みます。

 

 観福寺と赤坂

 舗装道路の坂道を、わずかに上ったその先は、観福寺のT字路です。この先の街道は、右に行くのが正しいと、勝手に理解した私たち。迷うことなく、上り坂の坂道を進みます。

 

※観福寺を左に見たT字路。私たちは右方向へ。

 

 ところが、坂道を少し上ったその先に、「甲州古道赤坂」と記された、標柱がありました。この標柱の左には、草が覆う旧道の坂道です。その道は、観福寺の境内へとつながっているように見えました。

 遅ればせではありますが、この時地図を見たところ、確かに、赤坂古道の道筋は、観福寺の境内を、回り込んでいたのです。つまり、先のT字路を左に折れて、境内の外側から、この赤坂に進んでくるのが正解だったという訳です。

 なかなか難しい街道歩き。地図は、片時も、離すことはできません。

 

※赤坂の標柱。ここを左下から上って来るのが正解です。

 

 跨道橋

 街道は、さらに坂道を進みます。やがて、中央自動車道路の跨道橋。高速道路を下に見ながら、まだ続く、崖地の道に向かいます。

中央自動車道路に架かる跨道橋。

 

 里山の景色

 跨道橋を越えた後、まだしばらく、坂道は続きます。道沿いには、疎らではありますが、新しい民家などが点在します。

 民家と民家の間には、畑地なども見受けられ、狭い土地でありながら、上手く活用されている様子です。

 やがて、街道は、少し広い舗装道路に合流です。この道は、相模湖の北に構える山並の、最も高い位置を通る道。高いところに築かれた、集落同士をつないでいます。

 新しい民家が並ぶ舗装道。街道は、右折して、その道を辿ります。

 少し進むと、民家は途切れ、山が迫る崖地の道へ。そして、その後は、街道の前面は、里山の景色に変わります。勾配もなだらかになり、この道の最高点は、通り過ぎた感じです。

 

里山の景色に変わった街道沿い。