旅素描~たびのスケッチ

気ままな旅のブログです。目に写る風景や歴史の跡を描ければと思います。

歩き旅のスケッチ[甲州道中]52・・・日野の渡しと立川・国立

 幾つかの都市を経て

 

 日野宿の次の宿場は府中宿。今も、多摩川を挟んで隣り合う街ですが、街道は、日野市の先で、一旦、北隣りの立川市に入ります。そして、続く都市は国立市東京の幾つかの都市を渡りつないで、府中市へと向かいます。

 府中市は、かつては、国府が置かれていた、武蔵の国の中心地。地理的にも、東京の中央部にあたります。各方面と結ばれた、関東平野の要の街は、交通の拠点としても、重要な役割を果たしている様子です。

 目指すは、甲州道中の府中宿。実は、東海道にも同じ名前の宿場町がありました。そこは、今の静岡市。かつては、駿府城の城下として発展してきたところです。徳川家康の居城であった駿府の町は、駿河府中が語源です。往時の国の中心地、府中と呼ばれた地名の名残は、今も、全国各地に残っています。

 

 

 多摩川

 街道は、日野宿を過ぎた後、一路多摩川へと向かいます。かつては、多摩川の渡しによって対岸を目指した街道も、今は、立派な橋で渡ります。

 この橋と肩を並べて渡っているのが、多摩モノレールの路線です。多摩湖がある東大和と、神奈川に隣接する、多摩市をつなぐ交通手段。空中に架った軌道を見ると、首都圏の壮大さに、驚かされるばかりです。

 

多摩川へと向かう街道の上を多摩モノレールが走ります。

 

 多摩川越え

 多摩モノレールを頭上に見ながら、多摩川の堤につづく、緩やかな上り坂を進みます。

 やがて、日野・立川の2つの都市をつないでいる、県道の立日橋。本来は、この辺りから、多摩川の渡しによって、船で渡りつないでいたようです。

 今は、対岸の立川の街を眺めながら、陸路で歩みを進めます。

 

※モノレールとともに両岸をつなぐ立日橋。

 

 多摩川は、この辺りでも結構な川幅がある大河川。この川越しは、増水時には、さぞかし危険な渡しだったことでしょう。

 甲州道中の途中には、釜無川や、笹子川など、川の難所はあったでしょうが、本格的な川越しは、この地の他にはなかったと思います。多摩川を無事に渡れば、江戸の町はもう目前。旅人の、はやる気持ちが、目に浮かぶような気がします。

 

立川市に入った街道。

 

 立川市

 多摩川を越えた後、立川の市街地へとは向かわずに、直ぐに、多摩川の左岸堤に入ります。本来、堤の道は街道ではありません。多摩川の渡しの場所へと向かうため、この道を辿りながら、街道のルートへと近づきます。

 

多摩川の左岸堤を辿って、渡しの発着点に向かいます。

 

 堤の道を少し歩いて、その先で、堤防下の小道へと下ります。静かな道を、道なりに進んで行くと、突き当りには、変わった形のモニュメントがありました。

 

多摩川の渡しを伝える石碑。

 

 日野の渡し碑

 石造りのこのモニュメント、土台には「日野の渡し碑」の表示です。ここが、日野と立川の両岸を、渡しでつないだ拠点の地。そこに刻まれていた一文を、紹介したいと思います。

 

 「日野の渡しの出来たのは  いつの頃だか誰も知らない  江戸時代中期貞享年間  この地に渡しが移されたことは  確かであろう  かつて信濃や甲斐相模への人々は  この渡しを過ぎると  遠く異境に来たと思い  江戸に向かう人々は  江戸に着いたと思ったという」

 

 渡しの舟をイメージしたこのモニュメント。人目につきにくい場所にありますが、多摩川の渡しがあった証です。これからも、この地から、その存在を伝え続けてくれるでしょう。

 私たちは、ここから再び、街道の正規のルートに戻ります。モニュメント前を左折して、少し先の県道に向かいます。

 

※日野の渡し碑。

 旧道へ

 県道に出た街道は、そのまま真っ直ぐ交差点を渡り切り、向かいの旧道に入ります。ここから先、しばらくの間、大きく弓なりに迂回する、旧道の道を進みます。

 

※県道と旧道が交わる交差点。街道は、真っ直ぐ旧道へ。

 旧道は、緩やかな上り坂。わずかな盛り上がりの地形の場所を、回り込むように進みます。道沿いには、立川市の体育館。あとは、大半は住宅地が続きます。時折、蔵のような建物も見受けられ、歴史の道の趣きも味わえるような道筋です。

 

※旧道の道筋。

 県道へ

 大きく迂回した旧道は、下り坂に入った先で、五叉路の交差点を迎えます。日野橋交差点と表示されたこの場所で、先ほど、旧道と交差した県道が、右から左に通っています。

 街道は、ここで、その県道と合流し、立川市の東隣りの国立市へと向かいます。

 

※日野橋交差点。

 

 国立市

 この先の街道は、片側2車線の県道に沿って進みます。道沿いは、それほど大きな建物はありません。それでも、街並みは途切れることなく、住宅や事業所などが連なります。

 

※県道伝いに東に向かう街道。

 

 街道は、やがて、国立市に入ります。たくさんの車が往き来する、主要道路の県道ですが、この辺りから、ところどころに、街道の名残の跡も見られます。

 

※由緒ありそうな門なども見られます。

 しばらく進むと、道端には、常夜燈の姿も見えました。元下谷保村の常夜燈と記された、説明板も傍にあり、街道の名残りが伝わります。

 

※元上谷保村の常夜燈。

 

 府中市

 県道をさらに進むと、国立1小前と表示された歩道橋。掲げられた標識には、新宿まで26Km、府中までは、4Kmとの表示です。

 立川の日野橋交差点から辿ってきた県道は、ほぼ真っすぐに、東へと向かっています。単調な道筋を、ひたすら進んで、府中の街へと近づきます。

 

国立市を通っている街道の様子。