本陣が残る宿場町
本陣は、重要な役職の人たちが宿泊する施設です。特に、参勤交代の制度によって、江戸と領地を往き来した大名たちは、この本陣で逗留するのが、習わしだったということです。
大名の往来時には、多くの家臣が従って、行列を作りながら、街道を進んだものでした。宿場町では、このような公儀の一行を、丁重にもてなさなければなりません。とりわけ、本陣に与えられた役割は、相当なものだったと思います。
小原宿(おばらじゅく)では、この本陣の建物が、往時のままで、その姿を残しています。小原宿活性化推進会議が発行している資料には、「大名の宿であった本陣という建物は、神奈川県下では、東海道と甲州街道で合わせて26軒ありましたが、現在建物として残っているのは、小原宿1軒だけ」と書かれています。
貴重な本陣の建物を見学させて頂きながら、宿場町の香りを感じる、小原の町を堪能し、甲州道中随一の、難所の道へと向かいます。
小原宿
小原の宿場に到着すると、何軒かの、趣ある建物が見られます。中には、往時の旅籠そのものなのか、造りの技が見て取れる、歴史ある屋敷なども残っています。
小原の宿場は、本陣、脇本陣、問屋が各1軒で、旅籠は7軒あったということです。この宿場町も、山あいの、甲州道中の各宿場町と同様に、大変小さなものでした。
直前の、与瀬の宿場と協力して運営された小原宿。小規模の宿場同士が協力し合う形態は、甲州道中の沿線では、よく見受けられる姿です。
本陣
国道の道沿いに、軒を連ねる宿場町。しばらくすると、左手に、立派な構えのお屋敷が見えました。
この屋敷こそ、神奈川で、唯一残る本陣です。石垣と、その上は、ツツジでしょうか。塀自体も独特で、重厚感が漂います。私たちは、引き寄せられるようにして、本陣の門をくぐることになりました。
※小原宿本陣の外観。
立派な本陣の建物を、正面からも、ご覧いただければと思います。
※小原宿本陣正面。
本陣の内部
小原宿の本陣は、内部が公開されていて、誰でも自由に、見学することが可能です。建物は、1階に幾つかの部屋があり、2階と3階は、養蚕室がありました。
規模としては、間口が12間(約22m)、奥行7間(約13m)ということで、特別大きなものではありません。
私たちは、東側(向かって右側)の土間から入り、広間へと上がります。その後は、畳の部屋を一回り。本陣の内部の様子を見学させて頂きました。
※本陣内部の様子。
大名が宿泊したのは、西側(向かって左側)の奥座敷。その最奥は、”上段の間”と呼ばれていて、大名が床に就いたところです。
下の写真は、その部分を写したもの。意外と質素な造りです。(例えば、東海道草津宿の本陣と比べると、随分質素に見えてしまいます。)
※本陣奥座敷の様子。
小原の郷
本陣の見学を終えた後、国道の歩道伝いに、さらに東へと向かいます。
しばらくすると、正面に、粋な造りの建物が見えました。これは、「小原の郷」と名付けられた資料館。私たちは、ここでも、少しだけ寄り道です。
中を覗くと、館内は、それほど広くはありません。主に、相模湖の周辺地域の歴史や文化が紹介されていたように思います。
この施設、一息つくには、絶好の場所ですが、飲食できる店もなく、少し勿体ない気がします。もう少し、人が集える場所であったら、小原宿との相乗効果も図られるのでは、と、ふと感じたものでした。
※街道沿線にある小原の郷。
失われた道
実はこの先、街道は、少しの間、国道伝いに進むのですが、小原の郷で頂いた資料を見ると、本来の道筋は、別にあったということです。
本陣の直ぐ東から、山あいに向かう、古の道。今では、既に失われた街道のルートです。
時代と共に、新しい道路などの整備によって、道の姿は変容し続けているのでしょう。
※小原宿活性化推進会議発行の資料(『甲州道中歴史案内図』)から。左上の囲い込み記事に、「古道不通区間の表示があります。」
底沢橋(そこさわばし)
私たちは、古道近くの道を辿って、峠の道に向かいます。
小原の郷から、国道をしばらく進むと、街道は、底沢橋を迎えます。これまでの、国道20号線の先線は、橋を渡って右に折れ、その後、高尾の山の南に延びる、山の尾根へと向かいます。一方で、街道に近づく道は、橋の手前で左折です。
この先は、木々が覆う狭い道。相模川の支流の谷に沿うように、緩やかな上り道を進みます。
※底沢橋と街道に戻る道の入口。
峠の道へ
道は、少しずつ、山の中へと向かいます。途中には、JR中央本線の軌道下を潜り抜ける場所があり、そのポイントを見逃さないよう、細心の注意が必要です。
今は、工事の関係で、警備の方が配置され、「←小仏峠へ」の標識が見えにくい状態です。
※JRの軌道下を潜ります。その先で、街道の古道に戻ります。
JRの軌道下を潜った後は、少しの間、線路を右手に見ながら進みます。そして、この直線道路の後半で、かつての街道の道筋に戻るのです。
ただ、この辺り、古道のルートは、JRにも分断されているようです。私たちは、この先も、しばらく、今通れる道を辿るしかありません。
※部分的に旧道に合流している直線道路。
道は、次第に、深い山へと近づきます。峠に向かう山道は、もう間もなくのところです。