諏訪湖は、長野県のほぼ中央部に位置しています。面積は、わずかに13平方キロメートル、周囲の長さも16キロ程度とされる、小じんまりとした湖です。この湖から注ぐ河川が、天竜川。伊那の渓谷を南下して、遠州灘に流れています。
諏訪湖の湖辺の周りには、今は、ホテルや住宅地などが連なって、湖を囲んでいます。湖は、西側が岡谷市で、東側は諏訪市です。そして、北には下諏訪町。3つの市町が、湖を取り巻いているのです。
諏訪湖の水面は、中山道の塩尻峠辺りから、或いは、中央自動車道路からも、その姿が望めます。そして、湖の北東側の小高いところを通過する、甲州道中の道筋からも、ところどころで、その雅な姿を、目にすることができるのです。
湖を見下ろす道中は、独特の景観を放っています。その昔、この道を往き交った人々は、きらめく湖面に目を奪われながら、足を進めたことでしょう。
※中央自動車道諏訪湖SAから諏訪湖を望みます。甲州道中は、湖の対岸、山の緑と住宅の境辺りを通っています。
宿場町
下諏訪の宿場町は、主には、中山道沿いにありました。ただ、甲州道中の街道沿いにも、わずかながらも、宿場町は続いています。
通りには、静かに軒を連ねるように、旅館や老舗の店舗などが並んでいます。
※甲州道中側にある下諏訪の宿場町。街道は、真っすぐと細い道に向かいます。
秋宮
甲州道中の宿場町は、やがて、道幅が狭まって、諏訪大社の下社である、秋宮へと向かいます。道は、右に大きく迂回する、舗装道路もありますが、街道は、真っすぐの方向です。
街道の正面に見えてくる、木々が茂る森こそが、秋宮の境内です。宿場町のすぐ傍に、神聖な社が鎮座しているのです。
※諏訪大社下社の秋宮。
諏訪大社は、上社(かみしゃ)と下社(しもしゃ)に分かれていて、湖の上(南東側)には上社があり、湖の下(北側)には、下社という具合です。
また、上社には、本宮と前宮が、下社には、春宮と秋宮が境内を構えています。なぜ、このような状況なのかは分かりませんが、そこには、諏訪信仰の、脈々とした歴史が潜んでいるのだと思います。
宿場の東口
甲州道中の宿場の境は、下社秋宮の辺りです。秋宮の鳥居の脇には、「番屋跡」と刻まれた石碑が置かれ、そこが、江戸側の入口であったことを伝えています。
街道は、この先で、上諏訪宿への道中に入ります。右手には、立派なケヤキがそびえていていて、旅人の安全を、見守ってくれているように感じます。
このケヤキの大木は、専女の欅(とうめのけやき)と呼ばれています。樹齢が千年にも及ぶ古木で、重厚感も放っています。
※左、番屋跡の石碑。右、専女の欅。
道中の始まり
専女の欅を右に見て、その先へと進んで行くと、道は、緩やかな下り坂に入ります。道沿いは、新しい住宅が並んではいるものの、所々に、古い建物なども見られます。
※甲州道中の始まりの辺りの街道の様子。
上諏訪宿へ
街道は、下諏訪から、最初の宿場、上諏訪宿を目指します。この間の道中は、諏訪湖の北東を辿る道。左に連なる山並が、諏訪湖へと裾野を広げる斜面の中を、横切るように進みます。
街道の左右には、斜面の地形をものともせずに、民家などが立ち並びます。ところどころで右手を見ると、諏訪湖の湖面も見下ろせます。
ここから先、上り下りを繰り返し、右に左に弧を描くようにして、甲州道中の道筋は続きます。
※街道の右側に境内を構える威徳寺から、諏訪湖を眺めます。
一里塚
しばらく歩くと、新しい住宅地の一角に、「一里塚」と刻まれた、立派な石碑がありました。ここは、冨塚の一里塚。江戸から、53里のところです。
甲州道中の一里塚は、東海道ほど、よく残ってはいませんし、塚跡の表示についても、それほど多くはありません。ただ、冨塚の一里塚は、道中の最初で最後の一里塚。その証を残すのは、重要なことだと思います。
街道は、上り基調で、山際の道を進みます。
※左、冨塚の一里塚。右、斜面に続く街道。
島木赤彦
幅の狭い、往時の道筋を辿りながら、街道は、南東の方向へ。やがて、道沿いの厳かな住宅の石積みに、「島木赤彦住宅跡」と記された、案内板が現れました。そう言えば、諏訪湖のほとりに、赤彦記念館という、一風変わった建物を見たような気がします。
ただ、私自身、島木赤彦がどのような方なのか、全く知識がありません。興味を抱くことなく、通り過ぎることになりました。*1
しばらくすると、右側に、茶屋跡の建物です。
※左、島木赤彦住居跡前。右、茶屋跡の建物(右)。
茶屋跡
この茶屋跡は、木造の立派な構えの建物です。街道の古の雰囲気が感じられる佇まいは、旅情をそそる、貴重な遺産と言えるでしょう。
茶屋のことに関しては、下諏訪町発行のパンフレットに、「橋本政屋(ましもとまさや)」との表題で、次のように書かれています。
「上諏訪宿と下諏訪宿の間に残る中の茶屋。江戸時代の面影がそのまま残っています。門は高島城の門を移築した物か、あるいは写しと言われ、医薬門という格式ある形式。旅人の安全を祈願し、門の上には南無阿弥陀仏の札と一緒に円鏡が掲げられています。」
※橋本茶屋跡の正面。
立派な建物前を通り過ぎ、道中を、さらに先へと向かいます。道は相変わらず、右に左に弧を描くような街道筋。道沿いには、新しい民家が張り付いて、静かな空気が流れています。
※甲州道中の様子。