磐田の街と見付宿
磐田市は、元々国府が置かれ、遠江の国の中心地だったところです。今も、府八幡宮が街道沿いに姿を留め、遠江国分寺跡や数々の史跡が残ります。この磐田市にある見付の宿場は、古くから、東西をつなぐ街道の要衝地。江戸期には、東海道が公に整備されることになりますが、人々の往来が増すに従い、賑わいも加速されていったことでしょう。
見付の宿場は、東海道と姫街道の分岐点・合流点でもあるところ。浜名湖を挟んで南を渡る東海道と、北を通る姫街道。御油宿と見付宿を、別ルートでつないだ街道は、それぞれが異なる景色を描きます。
街道は、JR東海道本線磐田駅近くで左折して、北向きに大きく進路を変更します。この交差点を南に下がったすぐ先が、磐田駅。駅前広場に姿を見せる、樹齢700年と言われている、巨大なクスノキが見事です。
このクスノキは、元はこの地に構えていた、善導寺という寺院の境内にあったもの。いつしか寺院が移転して、クスノキだけがここに残されたということです。
磐田市の駅前辺りは、中泉町と呼ばれるところ。かつては、寺院や神社、徳川家康の御殿などが建ち並ぶ、宿場郊外の、厳かな一角だった様子です。
北へ
駅前付近で宿をとった私たち、翌朝は、北に向かって出発です。街道は、磐田駅から真っすぐに北に延びる駅前通り。ジュビロードと名付けられたこの道は、幾つかのビルやマンションが林立し、商業施設も並びます。
途中の歩道のところには、サッカーの、ジュビロ磐田に所属した、選手たちの足形などが写された、タイルの装飾などもありました。今では、サッカーだけでなく、ヤマハ発動機のラグビーチームも名を馳せる、フットボールのメッカでもあるのです。
府八幡宮
駅前通りをしばらく進むと、街の様子は落ち着いた住宅地に変わります。街中を通り過ぎ、少し郊外に近づいたという印象です。右手には緑地も現れ、心地よい雰囲気です。
木々が茂り、林のような面持ちのところが、府八幡神社です。厳かな鳥居の奥には、立派な社があるのでしょう。磐田市が発行している観光ガイドブックには、「国府の守護神として、天平年間(8世紀前半)に勧請された」と記されています。
府八幡神社から、通りを挟んだ向かい側が、遠江の国分寺があったところです。中泉町の古地図にも描かれていた国分寺。詳細な発掘調査の成果もあって、全国で初めて、国分寺の寺院内の配置が明らかになったということです。今は、この史跡跡は、国の特別史跡に指定され、厳格に保存されている様子です。
※左、駅前道路の先の街並。右、府八幡宮。
見付宿へ
街道は、府八幡宮を過ぎた辺りで、少しだけ、右側の旧道に入ります。弓型の旧道は、直ぐに元の道に戻るため、見逃しやすいところです。
旧道から駅前通りに戻った先が、加茂川の交差点。横切る道は、県道です。この交差点には歩道橋が架けられていて、私たちは、そこを利用して横断です。
※駅前通りと県道との交差点。(加茂川交差点)
さらに、北に向かってっ進んで行くと、左側には、由緒ある西光寺の境内が見えました。かつては、もうこの辺りから、見付の宿場だったのかも知れません。
街並みは、民家とお店とが入り混じる、ごく普通の景色です。西光寺を通り過ぎると、十字路の交差点。ここを右折した辺りから、見付宿の名残が残る通りへと変わります。
※左、西光寺門前。右、右方向が見付宿。
姫街道
これまでも、何回か触れてきた、東海道の脇街道として有名な姫街道は、この交差点で、東海道と合流します。逆に言えば、東海道との追分であり、姫街道を利用して、西に向かう場合には、交差点を左折せず、真っ直ぐに西の方へと進むのです。
西に向かって、浜松へ。姫街道は、そこで進路をやや北に変え、浜名湖の北、引佐の町を目指します。引佐には、気賀の関所が控えていますが、東海道を辿る場合は、新居の関所が難関です。
姫街道は、関所の先で、三ケ日に入ります。その後、本坂の峠を越えて三河の国へ。そして、東海道35番目の宿場である、御油宿につながります。
女性が多用したとされる姫街道。ロマンの響きを感じながら、28番見付宿に入ります。
見付宿
見付宿は、緩やかな上り坂が続きます。今はもう、宿場町の面影を、ほとんど感じることはない街ですが、この街道を歩いていると、どこか往時の香りが漂います。
道は広く整備され、街並みは、ある種今日的な商店街のようでありながら、懐かしさが漂う空気感は、どこからやってくるのでしょう。
※見付宿の様子。
宿場町を東に向かうと、左手奥に、一風変わった洋館風の建物が見えました。この建物は、旧見付学校と呼ばれていて、「明治8年に建てられた現存する日本最古の木造擬洋風小学校校舎」だということです。今は、資料館になっていて、教育資料などが展示されているようです。
明治期のこの建物は、インパクトある雅やかさを放ちます。背景の緑とあいまって、歴史感が味わえる風景です。
※旧見付学校。
私たちは、歴史の香りを感じながら、見付の宿場をさらに東へと向かいます。