旅素描~たびのスケッチ

気ままな旅のブログです。目に写る風景や歴史の跡を描ければと思います。

歩き旅のスケッチ[東海道]112・・・品川宿から品川駅へ

 第1番目の宿場町

 

 江戸日本橋を起点とする東海道。京の都、三条大橋までの間を、53か所の宿場町でつなぎます。品川宿は、その第1番目の宿場町。見送る人と別れを惜しみ、あるいは、これから始まる長旅に、気を引き締める旅人もいたでしょう。それぞれの旅人たちの、思いが詰まる、特別な宿場町だったのだと思います。

 一方で、私たちの街道歩きは、中山道草津宿が起点です。東海道中山道が分岐する、草津追分を出発し、江戸を目指して来たのです。この場合、品川は東海道最後の宿場町。江戸日本橋は、もう目前です。

 その昔の旅人たちも、江戸の町を目の前にした品川で、はやる気持ちに、心を引き締めていたのかもかも知れません。

 東海道の歩き旅、いよいよ、最終盤を迎えます。

 

 

 品川橋

 品川の宿場町は、前回に記した通り、大きくは、南品川と北品川に分かれます。もう一つ、徒歩新宿(かちしんじゅく)があるようですが、今は概ね、南北の分類が、一般的な区切りのような気がします。

 この、南と北を分断するのが、目黒川。私たちは、南品川を通り抜け、目黒川に架けられた、品川橋を渡ります。

 

東海道と品川橋。橋の向こうが北品川の宿場町。

 北品川

 品川橋を越えた先で、街道は、北品川に入ります。道幅は、これまでと同様に、狭いままで続きます。わずかに傾斜をつけた坂道と、緩やかに弧を描いて延びる街道は、往時を彷彿とさせる道筋です。

 この辺りから、品川の宿場通りに続いている修景の柱の表示も、「北品川商店街」へと変わります。

 

※北品川の宿場町。

 

 品川宿交流館

 街道の道の流れとは異なって、街の様子は、宿場町の面影が残るところはありません。どこを見ても、近代的な街並みが続きます。途中には、「品川宿交流館 本宿お休み処」と記された、一枚板の看板が掲げられた、小さな建物がありました。

 道ゆく人の休憩所であり、地域の方の集いの場でもあるのでしょう。私たちは、建物を眺めるだけで、先の行程を急ぎます。

 

 しばらくすると、東海道北品川の交差点。その先の右側に、「品川宿本陣跡(聖蹟公園)」と記された案内板がありました。公園は、少し奥の方にあるようですが、本陣の敷地の跡が、今も公園として残されている様子です。

 公園の入口の松の木は、街道の趣きを、盛り上げる役割を果たしています。

 

※左、品川宿交流館。右、本陣跡に植えられた松の木。

 

 商店街
 北品川の街道は、次第に、お店の密度が増していき、賑やかそうな商店街の風景に変わります。古くからの商いが、今も続いているような、由緒あるお店なども並んでいます。

 

※北品川の商店街。

 

 品川宿石柱

 商店街をさらに北へと進んで行くと、右側に、小さな公園が現れます。修景が施されたトイレが置かれ、一休みできるところです。

 公園の入口には、「品川宿」と刻まれた石柱が置かれていて、幾つかの案内板などもありました。

 宿場町を紹介した、案内板には、次のような記載もあって、町の歴史を伝えています。

 

 「・・・旅人は、品川宿を経由して西を目指し、また家路についた事から「東海道の玄関口」として栄え、宿内の家屋は1600軒、人口7000人規模で賑わっていた。今でも品川宿周辺は、江戸時代と同じ道幅を保ち、かつての宿場町として、活気が息づいている。」

 

※石柱が置かれた公園。

 八ツ山(やつやま)へ

 街道は、北品川の宿場を終えて、八ツ山と呼ばれるところに向かいます。おそらく、この辺りの道沿いが、徒歩(かち)新宿と呼ばれていた、比較的新しい宿場町だったのだと思います。

 途中、前方に、品川プリンスホテルでしょうか。高層のビルの姿も望めます。この先で、街道は、京急本線の踏切へ。

 

京急本線の踏切を越え、八ツ山へ。

 京急本線の踏切を越えた先は、ちょっとした高台に出てきたようなところです。歩道も広々とした印象で、品川宿を紹介する、街歩きマップなどの案内板もありました。

 その昔、この辺りには、海に面した岬のような場所があり、いくつかの突端が突き出していたということです*1。今では、想像もつかないことですが、東京湾の沿岸は、大きくその姿を変貌させているのです。

 八ツ山の歩道の先は陸橋です。この橋は、八ツ山橋と呼ばれていて、その橋の下には、JRの鉄道が幾本も走っています。

 この辺り、右前方には、品川プリンスホテルを始めとした、高層の建物が、並ぶ様子が窺えます。

 

※左、八ツ山。右、八ツ山橋(橋の古い表示は「屋つやまはし」と書かれています。)

 品川駅へ
 八ツ山橋を渡ったところが、八ツ山橋交差点。国道15号線の第一京浜道路です。街道は、ここを右に折れ、国道と合流します。これまでの街道は、品川区に属していましたが、この辺りから、港区に入ります。

 この先、街道は、国道の歩道伝いに続きます。右手は、たくさんの鉄道の軌道が、大きな束のような状態で、集合する地域です。左には、高層ビルが次第に近づき、品川の駅近くの喧騒が、伝わってくるような気がします。

※JR品川駅を目前にした街道。左には、品川プリンスホテルなどの建物が建ち並びます。

 

 品川駅

 江戸を目前に控えた場所の、その昔の宿駅は、南北の品川宿。現在は、品川駅が、その役割を果たします。

 江戸時代と現在とでは、駅の役割そのものや、社会自体が大きく異なり、比較の対象にはなりません。それでも、品川の宿場を通り、品川駅に到着すると、どこか、「品川」の位置づけに思いを馳せてしまうのです。

 

※JR品川駅西口。

 

 私たちの街道歩きは、品川駅の西口に到着です。大くの人が往き来する、駅前の光景を眺めながら、江戸日本橋へと向かいます。

 

*1:「八ツ山」の地名は、この地形に由来しているということです。