旅素描~たびのスケッチ

気ままな旅のブログです。目に写る風景や歴史の跡を描ければと思います。

歩き旅のスケッチ3・・・中山道、御嵩宿から大井宿へ(後編)

細久手宿から大井宿へ

 

 細久手宿(ほそくてじゅく)の大黒屋は、往時の旅籠の面影が色濃く残る宿でした。夏の朝早く、この宿を後にして、美濃路の山中を47番大湫宿(おおくてじゅく)を目指して進みます。延々と連なる峠道、恵那市の中心地に控える46番大井宿まで、厳しい道のりが続きます。

 

 細久手宿から大湫宿

 細久手宿を出ると、しばらくは65号線の舗装道路を進みます。道はなだらかな上り下りの繰り返し。木立の中は朝の空気も気持ちよく、前日の疲れもさほど感じません。

 ほどなく、左手に弁天池*1が現れます。小さな池の小島には祠があり、ひっそりと佇んでいます。池の傍には小さなベンチも。私たちはここで小休止です。

 

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※山中の街道沿いに佇む弁天池

 

 琵琶峠

 弁天池から先に進むと、再びなだらかな起伏の道路が続きます。そして、道は石畳の急坂へ。琵琶峠と呼ばれる難所に向かいます。

 坂道は徐々に急になり、デコボコな昔のままの石畳は足への負担を増幅させます。

 急坂の石畳を、階段を上るように進んでいくと、街道が狭まったところに石碑が並んでいました。この辺りが琵琶峠。美濃の山中で標高が最も高い峠ということです。石畳は下り坂も続きます。大湫方面の東の出口まで、全長800mほどの峠道です。

 

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※左、琵琶峠の上り坂。右、琵琶峠頂上。

 

 47番大湫宿(おおくてじゅく)*2

 琵琶峠の石畳を峠の東口で降りきると、舗装した道路に入ります。そこを左折してしばらく行くと、母衣岩(ほろいわ)・烏帽子岩と呼ばれる大きな岩が。大湫宿はもう目の前です。

 大湫宿の入り口には高札場が立ち、真っすぐに宿場町に入って行きます。この宿場も細久手宿と同様、昔の面影を残す建物はあまり多くはありません。それでも、コミュニティーセンター付近には、宿場の名残が感じられる休憩所なども用意され、旅人の憩いの場となっています。

 私たちも、休憩所となっている旧家の土間で、冷たいお茶をごちそうになりました。

 この段階で、早朝に細久手宿を出発して、はや3時間が経過していました。距離にして6Kmほどとされる道のりも、峠の難所越えはそう簡単ではありません。思った以上に時間がかかる区間でした。

 

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※左、大湫宿入口。高札場も見えます。右、休憩所となっている旧家。

 

 大湫宿には、皇女和宮一行も宿をとられています。もともと、細久手宿で宿泊の予定だったようですが、細久手の大火の影響で、急遽大湫宿へと変更になったとのこと。当時の混乱の様子が伺えます。

 

 中山道は、休憩所を出ると間もなく右折です。そして、すぐ右手に1軒、小さなお店*3がありました。私たちはここで水などを購入し、次の宿場、46番大井宿を目指します。

 

 十三峠(じゅうさんとうげ)

 「大湫宿から先には、十三峠と言う、長くて厳しい峠道があります。13もの峠があることから、この名前がついたようです。大変ですがお気をつけて。」

 細久手宿の大黒屋さんのご主人が、出発前に話してくれました。そして、昼食として大きなおむすびを準備していただいたのです。

 夏の街道歩きに加えて、上り下りの険しい峠道を歩ききることができるのか。不安と自信が交錯しながら、いよいよ十三峠に入ります。

 

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大湫宿を出て間もなく、十三峠の入り口です。

 峠道に入ると、道は急こう配となります。舗装はされていますし、舗装が途切れても固まった土道で、湿気はそんなに感じません。ただ、延々と続く上り下りの峠道。体力は徐々に消耗していきます。

 次第に上り坂が急こう配になった頃、街道近くにゴルフコースが見えてきました。江戸時代を感じながらの峠越えも少し興ざめですが、今となっては仕方がないのかも知れません。ゴルフ場近くで道端に腰を下ろして少しの休息、大黒屋さんのおむすびをいただきました。

 峠の街道はまだまだ続きます。坂道を下り、小さな集落に出たかと思えば、また山道。そうこうしているうちに、少し山が開け、深萱の集落に辿り着きました。ここには、トイレと休息所があり、一息つくのにありがたい場所でした。

 深萱から1.5Kmほど南に歩くと、中央本線武並駅に行けるようですが、私たちは中山道歩きを継続。疲れが溜まるものの、大井の宿場を目指して再び山中に向かいました。

 

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※深萱の集落。休憩所近く。

 

 いつまでも続く十三峠

 深萱の休憩所を出て再び山中に入ります。深萱新明神社を見ながら進んでいくと、石畳風の坂道に。上り下りの山道はまだ続きます。里山の雰囲気が感じられる集落を越え、道が少しなだらかになると、槇ケ根立場の茶屋跡です。そして、山道が少し開けたところに西行の森と呼ばれる自然の公園が見えてきました。この辺りは、西行法師のゆかりの地でもあるようです。街道沿いには、西行にまつわる幾つかの旧跡が残されています。

 もうこの辺りになると、体力も限界に近づいてきています。休憩を繰り返して何とか先を目指しました。そして、槇ケ根の一里塚を越えるといよいよ十三峠も終わりです。

 振り返ると、本当に厳しい峠越えの道でした。

 

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※十三峠の恵那市側出口。この先、飲み物を手に入れるところがないと忠告しています。 

 

 いよいよ46番大井宿へ

 十三峠を出ると、中央高速の高架下をくぐり、中央本線の踏切を渡ります。疲れた体にはもう少しの距離でも負担です。最後の力を振り絞るように恵那駅の方向に進みました。

 そして、ようやく大井の宿場へ。大湫宿を発ってから、4時間が経過していました。大湫宿と大井宿の間は14Km。細久手宿からは20Kmの道のりでした。

 

 

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※左、恵那市、大井宿の入口。右、大井宿。

 

 細久手宿大湫宿も、美濃の山中深い所にあり、交通の便は良くありません。今ではひっそりと佇む往時の宿場町。当時の賑わいはどのようなものだったのでしょうか。

 この山中、御嵩宿から大井宿まで、美濃路の峠道は30Kmを越える長丁場です。江戸に向かう街道の最初の難所を越えました。

 

 ※ご注意

 この区間は、店や自動販売機はほとんどありません。特に夏にこの道を歩くのは、少し過酷です。余分に水などを準備して、しっかりと水分補給することが大切です。くれぐれも自動販売機の存在を期待せず、準備万端で臨んでいただければと思います。

 

*1:案内看板には「弁財天の池」と表示されています。

*2:細久手宿は「久手」の字を使いますが、大湫宿は「湫」と書きます。どうして違いがあるのかわかり分かりませんが、「大久手」と書くこともあるようです。「湫」は、沼地や湿地帯を表す言葉だそうで、峠に挟まれた大湫がこういった場所だったとのこと。

*3:この店が後々救いの店になります。記事中にも書いていますが、大井宿近くの恵那の街に至るまで、この区間中山道には、お店はおろか水分補給のための自動販売機すらありません。