中山道という言葉を聞いて、すぐに思い浮かぶのは木曽路です。馬籠宿(まごめじゅく)や妻籠宿(つまごじゅく)は余りにも有名ですし、島崎藤村の「夜明け前」は、木曽路への魅力をいざないます。
木曽路への想いに急かされて、前回、46番大井宿に辿り着いた私たちは、わずかひと月後、再び中山道に戻ってきました。
大井宿から中津川宿へ
中央線の恵那駅に着いたのは、朝、11時頃のことでした。私たちは、早速、中山道に向かいます。中山道の宿場、大井宿は、恵那駅を出て100mほどのところにあります。今は商店街や住宅地となっていて、宿場町の面影を残す風景はそれほど多くありません。それでも、要所要所に残る街道の名残を楽しみながら、45番中津川宿へと向かいます。
※大井宿の様子。
大井宿を後にして中央自動車道を横切ると、街道は少し勾配のある坂道になっていきます。舗装された道路伝いに進んでいくと小高い丘に。しばらくは住宅地、そして山道を通り抜けると、昔ながらの農村風景です。街道は、ゆるく湾曲しながら、中央線の美乃坂本駅方面に向かいます。
茄子川、坂本を過ぎ、中津川のインターチェンジ辺りで休憩を、と思っていた頃、街道沿いに食堂の看板が見えました。”かわせみ”という名のお店です。
昼も過ぎ、良いころ合いで昼食時間となりました。
※街道沿いの食堂。
中津川宿
”かわせみ”を出て街道沿いの町を抜けると、中央高速の中津川インターチェンジです。中津川宿まであと少し、と思いきや、街道はまだまだ続きます。上宿、駒場という昔ながらの集落を通り、中津川橋を越えてようやく宿場に到着です。
中津川は、宿場町の面影を残しつつ、商店街へと姿を変えているところも。それでも、街道の趣を充分に感じることができます。
大井宿からここまでは、およそ10Km。休憩を挟んで3時間半の街道歩きになりました。
※左、中津川宿。右、茶屋坂と高札場。
44番、落合宿へ
翌朝、中津川宿を発ち、落合宿に向かいます。商店と住宅が混ざる通りを進んでいくと、宿場のはずれには茶屋坂が。ここからしばらくは上り坂です。一部急な坂道を上り、さらに小高い丘を越えていきます。のどかな山里の集落が見えると、今度は下り坂。正面に控える、木曽の山並みを望みながら、一気に国道19号まで下りていきます。そしていよいよ落合宿です。
落合宿は木曽の山中に向かう玄関口。逆に、江戸から都に向かう旅人にとっては、木曽の山道を無事に乗り越えた、難所の出口でもあったことでしょう。
「夜明け前」でも、落合宿は度々舞台となります。木曽路がいよいよ近づいてきたという期待感高まる宿場でした。
※落合宿。
落合の石畳と十曲峠
落合の宿場を出て県道を横切ると、木曽に向かう坂道がやってきます。右手上方には、中央自動車道の鉄橋でしょうか。高い峰の山腹をつなぐ、赤い橋が見えています。
街道沿いの民家が並ぶ坂道を進むと、落合川。この川を横切り、山道に入ります。ただ、道路はそれでもまだアスファルト道。医王寺を過ぎるまではこんな感じで進みます。
落合は、石畳の街道としても有名なところです。ほどなく現れた案内板に従って、その石畳に。ここからは、十曲峠と呼ばれる山道です。
※左、落合の石畳入口。右、十曲峠の案内看板。
石畳の街道はよく整備されていて、上りやすい道となっています。途中には詳しい案内看板も。石畳が終わると、再びアスファルト道となり、山が少し開けた感じになってきます。先を進むと、新茶屋の旅籠が見えてきました。
いよいよ木曽路
新茶屋には、2軒ほどの宿と休憩所があります。馬籠に向かう道中で、少し息をつくのに最適な場所です。
ここにはまた、島崎藤村の筆による「是より北 木曽路」の石碑が建っています。いよいよ木曽路に、という、感慨が深まります。*1
中津川宿から新茶屋まで、距離にしておよそ7Km、2時間半ほどの行程となりました。
※左、新茶屋。道は馬籠宿へと続く。右、「是より北 木曽路」の石碑。
木曽路の始まりは、美濃路の終わりでもあります。数多くの峠道が連なる東美濃の街道は、中山道の厳しさをまざまざと見せつけてくれました。いよいよ始まる木曽路は、果たしてどのような街道なのでしょう。
細久手宿の大黒屋さんのご主人が話してくれました。
私たちはこの後、馬籠宿を経て妻籠宿へ、そして、41番三留野宿(みどのじゅく)の直前にある南木曽駅(なぎそえき)に向かいました。
馬籠宿と妻籠宿は余りにも有名ですし、この区間は、海外からの観光客も含めて、たくさんの人が行き交います。また、既に多くの方がこの間の様子を紹介しておられます。
従って、私は、いずれ機会があれば、この木曽路のハイライト的な区間について記すとして、次回は、南木曽駅に跳ぶこととします。宿場で言うと、三留野宿から37番福島宿まで。木曽川伝いの歩き旅をお伝えしたいと思います。*2