旅素描~たびのスケッチ

気ままな旅のブログです。目に写る風景や歴史の跡を描ければと思います。

歩き旅のスケッチ[中山道総集編]1・・・馬籠と妻籠(前編)

 今回から、「歩き旅のスケッチ」に戻ります。これまで、38回にわたって紹介してきた中山道の街道歩き。その中で、唯一触れることのなかった、馬籠(まごめ)と妻籠(つまご)。中山道の最も人気の区間は、やはり、外すことはできません。総集編の出始めに、趣深い木曽路の風景をお伝えします。

 今回からの総集編では、もう一つ、街道のハイライトを紹介したいと思います。そのテーマは、宿場町、峠道、街道筋など。総延長530Kmに及ぶ中山道の、印象深い風景を振り返ります。

 

 

 馬籠と妻籠

 

 中山道と言えば、木曽路があまりにも有名です。そして、木曽路の中でも、馬籠(まごめ)と妻籠(つまご)は、宿場町の代表格。これらの宿場を訪ねる観光客は数多く、休日ともなれは、さながら、街中のメインストリートの様相です。

 また、2つの宿場をつなぐ街道は、中山道の難所のひとつ、馬籠峠の峠越え。トレッキング気分で歩く人にとっては、恰好のコースです。

 

 新茶屋から

 馬籠宿は、江戸から数えて、43番目の宿場町。私たちが歩く、京からは、42番落合宿の次に控える宿場です。

 落合は、木曽路の西の端。美濃路の最後の宿場とも言えるところです。「歩き旅のスケッチ4」で記したように、この辺りから、いよいよ木曽の山道に入ります。

 落合の石畳としても有名な、十曲峠。長い上り坂ではありますが、足元は、よく整備されていて、上りやすい坂道です。途中には、街道の詳しい案内看板も。

 石畳が終わると、アスファルト道。山が少し開けたその先に、新茶屋の旅籠が現れます。

 

f:id:soranokaori:20191002152131j:plain
f:id:soranokaori:20191002152005j:plain

※左、落合の石畳入口。右、十曲峠の案内看板。

 

 いよいよ木曽路

 2軒ほどの宿と休憩所がある新茶屋は、落合と馬籠の中間点。昔から、街道の休憩所であったとのこと。今でも、馬籠に向かう道中で、一息つくのに最適の場所と言えるでしょう。

 新茶屋には、また、島崎藤村の筆による「是より北 木曽路」の石碑があって、いよいよここからが、木曽路の始まりです。

 

f:id:soranokaori:20191002152025j:plain
f:id:soranokaori:20191002152042j:plain

※左、新茶屋。道は馬籠宿へと続く。右、「是より北 木曽路」の石碑。

 

 馬籠宿へ

 新茶屋を過ぎると、舗装された坂道が続きます。道幅も、それほど狭くはありません。周囲には、農地なども現れて、空が開けてくるところもありました。

 所々で振り返り、遠方の里の景色を眺めてみると、家々は、もう随分遠くにかすんでいます。坂道を上り進んで、山へ山へと向かいます。

 途中、街道際には、果樹園も。傾斜地の、果樹の林で作業していた方からは、「採りたてですよ」と、新鮮なブルーベリーを頂きました。

 

 坂道が緩やかになってくると、民家などが現れます。街道は、なだらかな起伏の道に。その後、諏訪神社を過ぎ、山里の農地に挟まれながら進んでいくと、再び道は急勾配。その先に、馬籠の宿場が見えました。

 

 43番馬籠宿

 馬籠宿の入口付近は、観光地の様相です。大きな駐車場や、土産物店などが幾つもあって、多くの人が往き交います。

 観光バスや路線バスの出入りも多く、人気のある、一大観光スポットです。

 馬籠宿は、他の宿場町と同様に、何度も大火に見舞われました。明治期や大正時代においても大火事があり、今では、かつての建物はほとんど見かけることはありません。それでも、宿場町の名残を留めるために、町は再生されました。

 隣の妻籠が、歴史ある建造物を保存できたことと反対に、大火によって失われてしまった建物を再生し、今日を迎えた馬籠宿。手法は全く違っても、お互いに、見事な取り組みだと思います。

 

f:id:soranokaori:20180819112354j:plain

※馬籠宿の西(南)の入口付近。

 

 馬籠宿の特徴は、急傾斜の山道に展開する宿場町であるということです。石畳の道、石垣が廻らされた、建物の土台。空が広がり、まるで尾根を上って行くような感覚です。

 山水が水路を流れ、急流を利用した水車も趣を誘います。建物の一つひとつは小ぎれいで、それでも、意匠等は昔風。訪れる人へのもてなしに、力を注ぐ、町の意気込みを感じます。

 

f:id:soranokaori:20180819114532j:plain

※馬籠宿の急坂。 

 

 「夜明け前」

 馬籠宿は、島崎藤村の「夜明け前」の舞台です。藤村は、馬籠宿の本陣を営む、素封家の息子として生を受け、文学の道に進みます。そして、自身の父親をモデルにして、明治維新という、日本の夜明け直前の、慌ただしい世界を描きます。

 この小説で、今も印象深く記憶に残っているのが、やはり皇女和宮の行列です。馬籠自体は、皇女の宿泊地ではなかったものの、行列の荷物のさばきや馬などの手配に、てんてこ舞いの様子が窺えます。*1

 明治以降、街道の役割は、次第に薄れ、「夜明け前」の主人公、藤村の父親も、決して幸せではない境遇に陥ります。日本史上の大転換。この国の隅々にまで、様々な影響を与えることになりました。

 

 宿場町の中ほどには、島崎藤村を偲ぶ、”藤村記念館”が佇みます。もともと、この辺りが本陣で、藤村の生家であった様子です。記念館は、それほど広くはないものの、今も、たくさんの資料などが展示されています。

 

 馬籠を後に

 石畳の街道は、さらに勾配を増しながら、続きます。宿場町のはずれには、高札場の跡が。そして、その先には、展望台。はるか向うに、美濃の山々が望めます。

 そこから上は、観光客の気配が次第に薄れ、中山道妻籠へと向かう人達だけが、馬籠峠を目指して、進みます。

 

f:id:soranokaori:20180819120506j:plain

※展望台から。 

 

*1:和宮一行は、前日に中津川宿を出て、この日は、落合宿・馬籠宿・妻籠宿を通過して、三留野宿泊りであったようです。この山道、22Kmもある難関です。皇女を乗せた輿の歩みは大変だったにちがいありません。