旅素描~たびのスケッチ

気ままな旅のブログです。目に写る風景や歴史の跡を描ければと思います。

歩き旅のスケッチ[中山道総集編]6・・・峠道(前編)

 中山道の峠道(とうげみち)

 

 中山道は、近江から美濃へと入り、木曽、信州を経て上州に向かいます。都を発って、美濃路御嶽宿辺りまでは、平坦な道が多いものの、そこから先は、山道が中心です。ひとつひとつ、峠道を踏み越えて、進まなければなりません。

 難所と言われる峠道。それぞれに、違った味わいを出しながら、旅人を迎えます。今回からは、中山道の峠道を振り返り、その魅力をお伝えしたいと思います。

 

 

 摺針峠(すりはりとうげ)

 中山道を都から江戸へと向かう時、最初に出合う峠と言えば、63番鳥居本宿の東に位置する摺針峠。次の宿場、番場宿に向かう途中にあって、街道で初めての急な坂道です。

 鳥居本宿から2つ先の宿場町、醒井宿に向かうには、国道8号線を米原へと向かい、国道21号線に乗り換える、迂回ルートが基本です。ところが、中山道は、鳥居本を過ぎた後、ショートカットするかのように、山道に入ります。

 

 峠への入口は、国道8号線から右にそれた、幅の狭い自動車道の脇にあり、林道のようなところです。道は次第に、杉や竹林に囲まれて、鬱蒼とした山道に。都からの旅の中では、初めて味わう峠道の光景です。

 

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※摺針峠の入口付近。

 

 街道は、徐々に勾配を増していき、途中からは、階段道も出てきます。ただ、今後経験する、美濃や信州の峠と比べると、難所というほどではありません。それほど時間をかけないうちに、自動車道に合流し、摺針峠に到着します。

 この峠の特徴は、「歩き旅のスケッチ15」で記したように、琵琶湖を望む眺望です。おそらく、琵琶湖の北湖*1が見られるところは、中山道で、この峠以外にはありません。旅人は、ここから雄大な湖を見て、その絶景に酔いしれたことでしょう。

 この峠には、かつて、”望湖堂”と呼ばれる建物があって、街道の休憩所にもなっていたようです。室町と江戸の時代に、何回か、朝鮮から派遣された朝鮮通信使一行も、この望湖堂に立ち寄られたとのこと。湖の眺望を楽しめるお堂は、摺針峠を印象付ける貴重な建物だったことでしょう。

 その望湖堂は、近年までその姿を残しつつ、今から30年ほど前に焼失したということで、何とも惜しまれるところです。

 

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※左、摺針峠。右、峠から琵琶湖と比良の山並みを望みます。

 うとう峠

 うとう峠は、峠というより丘のようなところです。美濃の52番鵜沼宿(うぬまじゅく)を後にして、街道は、丘陵地の方向へ。急な斜面の丘に広がる住宅地の中を通り抜け、うぬまの森に入ります。うとう峠は、この森の中。遊歩道のようなところです。

 鵜沼の町を出た後に、木曽川は少し蛇行して上流へ。今は、川伝いに県道が設けられ、車はこの県道を通って、美濃太田方面に向かいます。ところが、昔は、川沿いの道がなかったのか、中山道は、木曽川へと向かうことなく、山の中に入ります。蛇行する木曽川を避け、峠道のルートを進むのです。

 

 この峠は、摺針峠以来の地道の峠道。途中には、石畳なども整備され、往時の中山道の気分が味わえるところです。うぬまの森では、それほど急な坂もなく、ゆっくりと、散策気分で歩けます。峠を越えて先に進んだところが木曽川で、街道はそこから先、木曽川の右岸に沿って太田の宿場に向かいます。

 

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※左、鵜沼宿を出て、うとう峠へ。右、うぬまの森。

 

 琵琶峠

 次に紹介するのは、琵琶峠。美濃の奥深い山の中、48番細久手宿(ほそくてじゅく)から47番大湫宿(おおくてじゅく)に向かう途中の難所です。

 実は、琵琶峠に達するまでにも、細久手宿に向かう道中に、御殿場と呼ばれる峠のような所があって、その道筋も結構な難所です。ただ、そこは、峠としての位置づけではないようで、起伏が激しい美濃路では、ありふれた場所なのかも知れません。

  それと比べると、琵琶峠は、正真正銘の峠です。石畳の急勾配の坂道が特徴で、ひと山越える感覚です。琵琶峠の頂上は、近江路と美濃路の中では、最も標高が高い場所。*2峠に向かうにつれて、道幅は徐々に狭まり、両脇からは木々の枝が覆います。

 

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※琵琶峠の石畳。

 

 峠の頂上は、山の頂と言うよりも、尾根をまたぐ感じです。道は急に細くなり、鬱蒼とした森の中。峠の脇には、馬頭観音などの石碑が置かれ、旅の安全を祈願された様子がうかがえます。

 石碑の一つに、皇女和宮の歌碑がありました。皇女一行は、その日の朝、可児市伏見宿を出立し、御嶽、細久手を通過して、この琵琶峠を越えたとのこと。その時に、峠で詠まれた歌が、歌碑に残されているのです。

 

  住み馴れし 都路出でて けふいくひ いそぐもつらき 東路のたび

 

 皇女一行の当初の予定は、琵琶峠の手前にある細久手宿で、宿をとられる行程であったとか。ところが、細久手宿を襲った大火の影響で、急遽、宿泊地は次の大湫宿に変更となったということです。*3

 従って、当日は、険しい美濃の山道を進み、大湫宿に入る直前の琵琶峠に立たれたのは、遅い時刻。おそらく、夕暮れ時近くだったのかも知れません。

 そのせいか、峠で詠まれたこの歌からは、江戸に向かう皇女の辛い心情はさることながら、何故か、日が沈むころの、秋の哀愁が伝わってくるような気がします。

 

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※琵琶峠の頂上。右の石碑が皇女和宮の歌碑。

 

 峠を越えると、しばらくは、同じような石畳の下り坂。その先に、大湫の宿場が近づきます。

 そして、大湫から先も、美濃の街道は、まだまだ厳しい道が続くのです。

 

*1:琵琶湖大橋よりも北の部分。琵琶湖の大半が北湖です。

*2:案内では、標高540mと記されていました。

*3:この話は、細久手宿にある、大黒屋さんのご主人からお聞きしました。