旅素描~たびのスケッチ

気ままな旅のブログです。目に写る風景や歴史の跡を描ければと思います。

歩き旅のスケッチ[中山道総集編]5・・・宿場町(後編)

 様々な風景

 

 中山道69次は、時代の変遷を経る中で、様々にその姿を変えながら、今日を迎えています。その中でも、往時の姿をよく残す宿場もあれば、新しい町に生まれ変わった宿場など、それこそ、千差万別です。

 過去2回にわたって紹介してきたところは、特に往時の面影をよく残している宿場です。

 今回は、宿場町を記す最終回。残された宿場について、幾つかの特徴に区分しながら、様々な風景をお伝えできればと思います。

 

 

 発信する宿場

 新しい町の姿を装いながらも、宿場町の面影を感じられるところが、何か所かありました。近代的に整備された道路や町並みが延びる中、ところどころに、歴史ある建物が残っていたり、往時の意匠で再生した建物を配置したりと、工夫を凝らした町並みを演出している宿場です。

 こうした町は、かつてそこが宿場であった証を伝えようと努力され、その誇りを発信されている様子です。

 

 特に、こうした思いが伝わってくる宿場町。それは、美濃路鵜沼宿(うぬまじゅく)、信濃路の上諏訪宿(かみすわじゅく)と追分宿(おいわけじゅく)、そして、武州の蕨宿(わらびじゅく)の4か所です。

 

 <鵜沼宿>

 鵜沼宿は、岐阜県各務原市の東の端。木曽川を挟んだ向いには、犬山の城が望めます。この辺りは、城はもとより、犬山遊園などのレジャー施設を有する観光地。鵜沼の宿場も、観光客を受け入れるため、町の再生に力が入った感じです。

 新しい町を感じる街道筋には、歴史ある町屋風の建物*1や、造り酒屋などが並んでいて、宿場の雰囲気が漂います。また、板塀や道標など、修景にも尽力されている様子です。

 

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鵜沼宿

 <上諏訪宿>

 上諏訪宿は、塩尻峠と和田峠に挟まれた、唯一の宿場です。諏訪湖の北東に位置していて、北に進めば、中山道最大の難所、和田峠に向かいます。この宿場の中央は、T字路になっていて、都から入ると、左手が北へと向かう中山道、右手が、甲州街道につながる甲州道中。元々、甲州街道は、江戸と甲府をつなぐ街道でしたが、後に、下諏訪まで整備されたということです。

 下諏訪の町中は、新しい家並みが続いていますが、土産物店や旅館風の建物などは、昔風の佇まい。 街道の案内板なども充実していて、宿場町の証を伝えています。

 中山道甲州街道の結節点ということで、かつては、相当な賑わいだったことでしょう。

 

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※左、下諏訪宿の入口。右、中山道甲州街道の合流地点。(正面の道標が目印)

 

 <追分宿>

 軽井沢にほど近い追分宿信濃路の北のはずれで、北国街道との分岐点として、賑わったところです。今では、街道筋には、ほとんど歴史ある建物はありません。その上、昔風に修景された装飾も、それほどある訳でもありません。かえって、お洒落なパン屋さんなど、新しい街の香りが漂います。

 それでも、この宿場町に趣を感じるのは、分去れ(わかされ)の常夜灯や、街道筋にわずかに残る、神社など。また、堀辰雄の記念館も、奥ゆかしさを引き立てます。

 

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※左、分去れの常夜灯。中と右、追分宿

 

 <蕨宿>

 蕨宿は、江戸から2番目の宿場町。都から来た旅人にとって、江戸はあと一息のところです。

 この宿場町は、ほぼ完全に、新しい町という感じです。それにも拘わらず、国道17号を弓なりに迂回する、中山道の道筋だけは良く残り、今もその雰囲気を味わえます。この宿場には、歩道に69次の宿場のタイルを埋め込んで、これまで辿ってきた道筋を思い起させるような、粋な仕掛けがありました。資料館や幾つかの木造の建物と共に、宿場町の誇りを発信されている様子です。

 

 時の流れが緩やかに進む町

 今ではもう、特別な歴史の名残は少ないものの、ひっそりと佇む宿場町の姿も見られます。その代表格は、美濃の山中に静かに潜む、細久手宿(ほそくてじゅく)と大湫宿(おおくてじゅく)。美濃路の厳しい峠越えの途中にあって、山深い道中に、ひっそりと、その姿を隠します。

 

 <細久手宿>

 都からは、可児市の東、御嶽宿(みたけじゅく)の次に控える宿場です。これまでは、ほぼ平坦な中山道も、御嶽宿を越えてから、険しい山道に変わります。

 その山道の奥深く、森の中に抱かれるように、細久手宿は佇みます。この宿場町も、他の多くの宿場と同様に、大火の惨禍に見舞われたとのこと。宿場町の姿は、時代とともに変わってしまっても、街道筋の情景は、奥ゆかしい限りです。

 今も残る、大黒屋さんの旅籠には、細久手宿の歴史が凝縮し、中山道の魅力を伝えます。

 

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細久手宿、大黒屋。

 

 <大湫宿>

 細久手宿から、上り下りを繰り返し、急坂の琵琶峠を越えて下ると、大湫の宿場に入ります。美濃路の奥深い山中にある大湫は、僅かに広がる盆地にできた、山間の集落のひとつです。恵那の大井宿に向かう難所道、十三峠の直前にあり、位置的には貴重な宿場と言えるでしょう。

 町自体は、ごく普通の集落ですが、高札場や、古い旅籠の建物などが僅かに残り、静かな風景が味わえます。家並みのほとんどが、既に建て替えられてはいるものの、何となく、時代に取り残されたような道筋は、時がゆっくりと流れるような雰囲気です。

 

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※左、高札場跡。右、大湫宿の古い建物。

 

 その他の宿場町

 その他の宿場町の中で、印象深いところを幾つか掲げてみたいと思います。

 そのひとつは、信濃路の塩名田宿。街道沿いは、昭和の空気感が感じられ、千曲川の流れと共に、ノスタルジックな雰囲気です。

 もうひとつは、美濃の赤坂宿。大垣市の北にあり、杭瀬川のほとりにあった港の名残は、独特の景観を残しています。

 

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※左、塩名田宿の入口。右、赤坂宿にある、港跡。

 

 さらに、近江路の鳥居本宿は、薬の老舗の建物が特徴的。深谷宿の蔵元や鴻巣宿の鴻神社などは、ともに、宿場町を印象づける建物です。

 

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※左、鳥居本宿。右、鴻巣宿の鴻神社。

 

 その他に、美濃の太田宿や近江の草津宿は、本陣跡が特徴で、軽井沢宿や板橋宿は、商店街として大繁盛。

 このように、中山道69次は、それぞれの宿場町が、それぞれの歴史を背負って、独自の姿を伝えています。

 

*1:宿場の記念館になっています。