談合坂
甲州道中の道筋は、深い山の片隅に、静かに佇む犬目の宿場を過ぎた後、一気に下り道に変わります。長々と続く下り坂。この付近には、談合坂と呼ばれる地域があるようです。実際に、その名の坂があるのかどうかは分かりませんが、上野原の街へと下る坂道が、そうなのかも知れません。
一方で、中央自動車道路には、談合坂サービスエリアが設置され、多くの車が立ち寄ります。渋滞の情報で、よく耳にする談合坂、いささか奇妙な名前です。ただ、談合とは、隠れて悪事を画策する、という意味ばかりではありません。古くは、中大兄皇子(後の天智天皇)と中臣鎌足が、蘇我入鹿を倒すため、密かに相談したとされる、奈良県の談山神社。飛鳥の東の山中にあるこの場所は、”大化の改新談合の地”として知られています。
甲斐の国の談合は、どのような謂れがあったのか。不思議な名前に魅せられて、上野原の坂道を下ります。
犬目宿
宝勝寺の入口を通り過ぎると、その先で、犬目の宿場に入ります。しばらくすると、街道は、直角に左側の方向へ。街道は、宿場内で、かぎ型に曲がります。
左折した街道は、幅の広い直線道路。この道も、鳥沢と上野原をつないでいる、県道の一部です。
※犬目宿の様子。
奥深い、山の斜面に拓かれた、犬目宿。開発の手が及ばない場所のようですが、今ではほとんど、往時の姿を見ることはできません。
資料によると、昭和45年のこと、大火に見舞われ、集落の6割が焼失したということです。おそらく、この大火がなければ、もう少し、宿場町らしい町並みが残されていたことでしょう。
本陣2軒、問屋1軒、旅籠15軒の宿場町。直前の下鳥沢の宿場から、4Kmのところです。
※犬目宿直売所の前にある新しい犬目宿の石碑。
旧道へ
犬目宿を過ぎた後、街道は、緩やかな下り坂に入ります。そして、その先で、街道は県道と別れを告げて、斜め左の旧道へ。
旧道は、舗装された道ですが、その入り口は少し急な上り坂。山裾を回り込むようにして、再び、尾根の上へと向かいます。
※県道と別れを告げる街道。
新田
急坂を上った後で、街道は、ひとつの集落を迎えます。新田と呼ばれるこの集落は、道沿いに、細長く続きます。幅の狭い街道筋。なかなか、趣があるところです。
※大野の集落を通る街道。
座頭転がし
街道は、新田の集落の東端で、補装道から土道に変わります。そして、その先は、山の斜面を這うように、幅の狭い落ち葉の道が続きます。
街道の右側は、転げ落ちるような急斜面。途中から、金網の柵が設置され、往き交う人の安全を、守ってくれているようです。
途中には、「この上 大王様」と書かれた表示と、「座頭転がし」の表示です。「大王様」は、左手の斜面に置かれた、石造りの祠のこと。「座頭転がし」は、目の不自由な旅人が、ここから谷に落ちたとの、言い伝えがある場所です。
※大王様と座頭転がしの表示がある旧道。
矢坪坂
土道の旧道は、やがて、舗装道へと変わります。そして、その先で、矢坪の集落へ。集落の入口辺りで右手を見ると、桂川伝いに広がっている、雄大な谷あいの景色が見渡せました。眼下には、中央自動車道路が走り、たくさんの車が往き交います。
集落を少し下ると、新田の集落の入口で別れを告げた、県道に合流です。県道との合流地点の辺りには、「矢坪坂の古戦場跡」と記された、案内板がありました。
これによると、ここまで歩いてきた旧道は、矢坪坂(やつぼざか)と呼ぶようで、「昔は、山腹と崖の間を道が入り組む要害の地」だったと書かれています。戦国時代には、ここで、小山田氏と北条氏との間で激戦があり、多数の死者が出たとのこと。
※旧道から県道に入ります。
街道は、この先で、中央自動車道路を跨ぐ、県道の跨道橋を通ります。そして、この橋の右手先には、談合坂上り線のパーキングエリアがあるようです。
私たちは、ここで小休止。広々とした公園のようなスペースで、持ち歩きの、握り飯の昼食を頂くことができました。
街道は、この先しばらく、高速道路に沿うように、東に向かって進みます。この辺りの高速道路は、山を削った切通し状の道筋で、街道は、そこから、一段高いところを通っています。
萩野の一里塚
やがて街道は、小さな集落を通り過ぎ、その先で、山の尾根を回り込む、カーブ道を迎えます。このカーブに入る直前には、「萩野一里塚跡」の案内板。説明では、江戸日本橋から20里目、甲斐の国では、3番目の一里塚だということです。
この一里塚を通り過ぎると、あと2か所の塚を越えれば、相模の国に入ることになるようです。山梨の街道も、いよいよ残すところはあとわずか。気を引き締めて進みます。
※萩野の一里塚跡。
旧道と高架橋
しばらく進むと、再び、尾根の周囲を回り込む、カーブ道が現れます。街道は、今度は、そこから左に延びている、旧道の土道に入らなければなりません。
木々が覆う道筋ですが、ここは心配はいりません。間もなく、空が開けて、中央自動車道路に架かる高架の橋につながります。
※左方向の旧道へと進みます。
高架橋は、旧道の道幅ほどしかありません。車も通れるようですが、ギリギリの車幅ほどの広さです。本来は、この辺りの街道は、山伝いの道だったのだと思います。高速道路の建設で、山は削られ、今ではこの、高架の橋が街道をつないでいる状況です。
※街道の道筋に沿って架けられた高架橋。
野田尻宿へ
街道は、橋を渡ったところで右に折れ、その先で、左方向の下り坂を進みます。坂の脇には、幾つかの、石仏や石塔が整然と並んでいます。
この坂を下り切ると、野田尻の宿場町があるようです。犬目の次の宿場町。あと少しで到着です。
※石仏や石塔が整然と並んでいます。