街道は、大月市を過ぎた後、山梨県の東の端、上野原市に入ります。信州の富士見町を終えた後、甲州の北杜市に足を踏み入れた歩き旅。延々と辿りつないで、いよいよ、甲州の最後の地へと向かいます。
山の中の高台に、市の中心部がある上野原。桂川が堰き止められた、相模湖のすぐ上流にあたります。市街地は、桂川の流れの傍にも広がりますが、高台の中心地とは、相当な高低差。JR上野原駅を下り立って、街道が通る高台に向かうにも、かなりの坂を上らなければなりません。
深く掘られた谷間の斜面と、甲州東部の高台に、上野原の市街地は広がります。街道は、まず、大月市との境界の、山の中を通り抜け、犬目の宿場に向かいます。
奥深くへ
民家の脇をすり抜ける、ショートカットの旧道は、やがて、遠回りしてカーブを描いた県道に戻ります。谷に沿って、斜面伝いに延びて行くこの道は、良く整備された道路です。
山々は、新緑が盛り上がり、広葉樹と針葉樹が見事なコントラストを描いています。街道は、ここからさらに高度を上げて、山あいの奥深くへと進みます。
※県道と合流した街道。
色づく山里
県道を少し上った辺りには、ウットリとするような、美しい山里が広がります。斜面には、満開の八重桜(だと思います)。畑には、黄色く咲き誇る菜の花が見事です。勿論、木々は、淡い緑の若葉を広げ、急な斜面を縫うように、土色の小径が交錯します。
遠くを望むと、再び、雪を抱いた富士山が、その雄姿を誇っています。これ以上に素晴らしい山里を、これまで、あまり見たことがありません。何とも言えない景観は、私の心に、深く刻み込まれたものでした。
※素晴らしい景観を放つ山里。
上野原市へ
県道は、右に左にカーブを描き、上へ上へと向かいます。もう、この辺りには、民家の姿はありません。木々が覆う、斜面だけが道の左右に広がります。
やがて、少し目立った、道路標識が目にとまり、近づくと「上野原市」の表示です。ここまでは、大月市の領域で、その先が上野原市になるようです。いよいよ、山梨県最東端の町に向かいます。
※左、県道を進む街道。右、上野原市の標識。
旧道へ
街道は、しばらく先で、左に延びる山中の旧道ヘ。この道は、それほど長くは続きませんが、ここも、県道のショートカットの様相です。
※県道から左方向の旧道へ。
旧道は、木々の隙間をすり抜ける、林道のような道筋です。鬱蒼とした森の中を、不安な気持ちで進みます。
土道は、途中から、石畳の道に変わります。この石畳、江戸時代からそのままのような状態で、往時の様子が浮かんでくるようなところです。
※左、土道の旧道。右、石畳がよく残っている旧道。
山間の集落
石畳の旧道は、やがて、少し開けた山間の集落につながります。数件の民家しかない集落ですが、奥深い山の中に密かに佇む姿を見ると、不思議な気持ちにもなりました。おそらく、街道が賑わっていた時代には、茶屋や立場などの休憩所が、何軒かあったのだと思います。
※山中の集落。
一里塚
旧道は、集落の少し先で、県道に戻ります。その後、右側には、こんもりとした土の塚。久々に、形を残した一里塚を見ることが出来ました。
※恋塚の一里塚。
塚の際には、「恋塚一里塚」と記された案内板がありました。ここで、少しだけ、その内容をお伝えしたいと思います。
「この一里塚は、江戸時代、甲州街道に一里ごとに築かれた塚の一つで、江戸日本橋から二十一番二十一里にあたります。塚は原形を良く残しており、直径約十二メートルの円丘です。昔は街道を挟んで北側にも塚がありました。」
「もともと付近は峰続きでしたが、旧街道を作る時に掘割にしたため、道の両脇に小高い場所ができました。この地形を利用して一里塚が築かれたものと考えられています。」
江戸時代の初期の頃、峰を削って、街道を整備するとは、大変な労力だったと思います。いつの時代も、道が背負う役割は、何よりも重要視されているのでしょう。
※夢塚の一里塚と案内板。
赤鳥居
資料を見ると、街道は、一里塚を過ぎた後、左側の旧道へと向かうことになりますが、探しても、その道を見つけることができません。私たちは、やむを得ず、そのまま県道を辿ることになりました。
道は、大きく湾曲し、次第に犬目宿に近づきます。
しばらくすると、街道の左上部に、茅葺屋根の建物が。そして、街道の少し先には、鮮やかな赤の鳥居がありました。この鳥居、白馬不動尊赤鳥居と呼ぶようで、先ほどの建物も、不動尊に関係したものなのかも知れません。
※白馬不動尊赤鳥居。進行方向とは逆の、歩いてきた道の方向を写しています。
犬目宿へ
赤鳥居の辺りを歩いていると、「甲州街道史跡案内図」と記された、絵地図の案内板がありました。この絵地図、かなりの略図のようですが、見どころが簡潔にまとめられた、分かりやすい看板です。
左端には、恋塚の一里塚が描かれて、その隣が白馬不動尊。そして、この先に宝勝寺があるようで、そこを過ぎると犬目の宿場に入ります。
※甲州街道史跡案内図。
絵地図を後に、足を運ぶと、地図中にも描かれた、宝勝寺の入口がありました。境内へとつながっている、坂道のところには、少し変わった石柱です。
いよいよ、この先が犬目の宿場。山の中の宿場町は、もう間もなくのところです。
※宝勝寺の入り口辺りの街道の様子。
|
|