旅素描~たびのスケッチ

気ままな旅のブログです。目に写る風景や歴史の跡を描ければと思います。

歩き旅のスケッチ[甲州道中]36・・・野田尻宿から鶴川宿へ

 中央自動車道

 

 愛知県の小牧から、信州の諏訪湖の南をかすめながら甲州へ、そして、東京の高井戸へと向かう中央高速自動車道路。甲州道中の道筋は、上野原の市内では、この高速道路を、繰り返し渡りながら、相模の国を目指します。

 街道は、或る時は、高速道路の北から南、またその先は、南から北側へとルートを替えてつながります。新しい、幹線道路と古くからの街道が、肩を寄せ合うようにして、都市や宿場をつないでいます。

 

 

 野田尻宿へ

 中央高速自動車道路の北側に入った街道は、川の堤を下りる感じで、坂道を下ります。最初は、急坂の道ですが、次第に勾配は緩まります。

 勾配が緩くなった辺りには、「至る野田尻」の案内板。そして、傍には、甲州街道の道筋を示す標識などがありました。

 

※野田尻宿を示す案内板など。

 

 野田尻宿

 緩やかな坂道を下っていくと、やがて、平坦な、真っ直ぐ延びる道筋に変わります。この道沿いの集落が、かつて、野田尻の宿場があったところです。

 直前の宿場町、犬目宿から3.5キロ。山深い宿場町から高度を下げて、大きく空が開けてきます。

 

※野田尻の宿場町。

 野田尻の宿場町も、犬目宿と同様に、道幅が確保され、往時の町の姿はありません。この宿場町も、明治時代の大火によって、歴史ある町並みが失われてしまったということです。

 今では、本陣跡を示す表示や、宿場町の標識などが、わずかに歴史の名残を伝えています。

 

※本陣跡にある宿場の表示と公衆トイレ。

 野田尻宿は、本陣1軒、脇本陣1軒、問屋1軒が設けられ、旅籠は9軒あったということです。規模的には、あまり大きくはない宿場町だった様子です。

 町並みの中ほどのところには、新しそうな「野田尻宿」の石碑が置かれ、その傍に、この付近の見どころなどが描かれた、案内地図もありました。

 

※宿場の石碑と案内地図。

 

 大椚(おおくぬぎ)

 野田尻の宿場を過ぎた後、街道は、再び高速道路を跨ぎます。その後、しばらくの間、高速道路を左手に見て東進です。街道の右側は、雑木林の状態で、民家などはありません。

 やがて、集落が見えたところには、その入り口に、小さな神社がありました。この先の集落は、大椚(おおくぬぎ)と呼ぶようで、かつて、この神社に聳えていた、大きなクヌギの木が名前の由来だということです。

 

※大椚の集落入口にある神社。

 

 大椚の集落は、道幅は狭いものの、感じの良い家並みが続きます。花々や庭木の緑が鮮やかで、穏やかな雰囲気のところです。

 

※大椚の集落を通る街道。

 

 大椚宿

 大椚の集落が、一旦途切れた辺りには、街道の道端に、「大椚宿発祥の地」と記された木柱と、歴史ある石塔がありました。

 この大椚の集落は、宿場では無いはずですが、「大椚宿」という限り、かつては、宿場の機能が置かれていたのかも知れません。また或いは、宿場と宿場の間にあった、間の宿(あいのしゅく)だったのか。いずれにしても、街道の重要な役割が与えられていたのでしょう。*1

 

※大椚宿発祥の地と書かれた標識と石塔。

 

 一里塚

 大椚の集落が、まばららになったところには、「大椚一里塚跡」と刻まれた、新しい石標と説明板がありました。

 説明板には、「上野原市指定文化財」とされていますが、記事を読むと、「現在、その跡は残されていません」と書かれています。同じく、説明板に描かれた地図では、実際に、塚があったとされる場所は、石標から百メートルほど街道を下った辺り。それも、「推定地」ということで、定かには分かっていない様子です。

 

※大椚一里塚跡の石標。

 鶴川宿へ

 街道は、一里塚があったとされる坂道を下ります。そして、その先で、高速道路を北へと渡り、少しの間、側道のような道筋を辿ります。

 街道は、さらに高度を下げる坂道です。正面奥には、上野原の市街地が見渡せます。

 

※高速道路の北側を高度を下げて進む街道。

 街道は、その後、側道のような道から離れ、左手の旧道に入ります。この旧道、S字状の坂道です。坂に沿って、2~3軒の民家が張り付き、「これより先鶴川宿」と記された、表示板もありました。

 

※鶴川宿に入る坂道。

 

 鶴川宿

 鶴川宿の表示板が置かれたところを通り過ぎ、やや平坦な道に達しても、集落はありません。しばらくは、雑木林や農地の中を通る道が続きます。

 やがて、道は2手に分かれ、その辺りから集落が始まります。おそらく、ここからが、鶴川宿になるのでしょう。

 地図によると、街道は左側。広い畑地を庭に持つ、大きな民家を眺めながら、宿場の中へと進みます。

 

※鶴川宿の入口辺りの街道。街道は左側の道。

 

 街道は、その先で、右側の急坂へ。この坂を下ったところには、感じの良い、板塀などが見られます。

 

※板塀を見ながら坂道を下ります。

 

 坂道を下り切って、左を見ると、「あいらーく鶴川宿」と表示された、新しい立派な施設がありました。この施設の前にも、趣ある板塀が。ここは、元々、鶴川宿の本陣が置かれた辺りです。

 ちなみに、「あいらーく鶴川宿」は、サービス付き高齢者住宅ということで、様々な福祉サービスも、提供されているようです。

 

※あいらーく鶴川宿。

 

 ここまでの鶴川宿は、それほど、宿場町の面影はありません。それでも、ここから先の街道筋が、宿場町の中心地。わずかながらも、歴史の香りが漂う町に変わります。

 

*1:街道は、この先、鶴川の宿場を越えたところで、”鶴川”という、桂川の支流の川を渡ります。おそらく、この川の水嵩が増した時、先に進めない多くの旅人を受け入れるため、予備の宿場が必要になったのでしょう。