旅素描~たびのスケッチ

気ままな旅のブログです。目に写る風景や歴史の跡を描ければと思います。

歩き旅のスケッチ[東海道]94・・・酒匂川と国府津

 相模路

 

 小田原から先の街道は、相模湾のすぐ内側を通っている、国道1号線に沿って進みます。今では、海岸線には、西湘バイパスの自動車道路が延びていて、車で東に向かうには、この道を利用するのが便利です。国道は、整備が進んではいるものの、所々で渋滞も発生し、車の利用は気をつけなければなりません。

 その一方で、国道沿いには、史跡や松並木の名残など、往時の面影が残っています。由緒ある、名所や地名を確認しながら、相模路を東へと向かいます。

 

 

 小田原宿を後に

 かまぼこ通りを過ぎた後、街道は、国道1号線に入ります。低層の建物や住宅などが軒を連ねる国道沿いは、小田原の中心部から、次第に遠ざかっていく感覚です。

 

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※国道に合流した街道。

 

 国道を少し進むと、整備された歩道の脇に、「江戸口見附と一里塚」と表示された案内板がありました。この場所は、住宅地の1軒分を利用した、小公園のような格好で、敷地の中には、見附と一里塚を明示した、石柱なども置かれています。

 小田原宿の西側の入口は、光円寺のところにあった板橋見附だったのですが、いよいよここで、東の外れに到着です。この間、およそ数キロにわたって続いた小田原宿。その規模は、やはり、並々のものではありません。

 

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※江戸口見附と一里塚。

 

 酒匂川(さかわがわ)へ

 江戸口見附を過ぎた後、左手に、長い土塀で囲まれた、由緒がありそうなお寺がありました。相当な広さのこの寺院、昔の人も、この容姿を眺めつつ、相模の路を往き来していたのかも知れません。

 

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※宗福寺前。

 

 街道は、しばらく、国道沿いを進んだ後で、少しだけ、斜め右方向の旧道に入ります。元は、この先を真っ直ぐに進んだところが、酒匂川の渡しの場所だったのだと思います。

 今は、旧道をしばらく進むと、行き止まり。やむなく、国道へと戻らなければなりません。

 

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※左、常剱寺入口交差点。ここを右前方へ。右、本来の街道は直進です。

 

 国道に戻った先には、そこそこ広い川幅の、酒匂川が流れています。酒匂川は、前回のブログでも触れたとおり、10月から3月の渇水期には、橋が架けられ、徒歩渡り(かちわたり)で川を越えたそうですが、その他の時期は、川越人足の助けを借りての川越えです。

 安藤広重の浮世絵も、人足による川越えの様子が、見事に描写されているのです。

 

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※酒匂川。

 川辺本陣跡

 酒匂川を国道の橋で越えた後、しばらくは、このまま国道の歩道を歩きます。道沿いは、住宅が中心で、所々に小さなお店なども見かけます。単調な国道には、時折見かける寺院などが、わずかに歴史の空気を漂わせ、落ち着いた風景をつくっています。

 

 途中、国道の左側には、由緒ある立派な建物が目につきました。この建物は、川辺本陣跡の長屋門。街道に関する案内本の地図の中にも、この名称は記載されてはいるものの、どのような歴史があるのか、詳細は分かりません。

 おそらくは、酒匂川の近くに位置するこの場所が、川越しの、東の拠点だったのだと思います。川の増水などにより、やむ無く足止めを喰らう場合など、宿場的な対応が求められたことでしょう。その中で、川辺家が本陣のような役割を与えられ、名家の勇壮な門構えが、今に引き継がれてきたのだと思います。

 

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※川辺本陣跡の長屋門

 

 松並木

 国道をさらに東へと進んで行くと、印刷局入口と表示された交差点がありました。この左奥に、国の印刷局があるようです。

 この辺りには、所々に松並木の名残が見られます。それほど良く残ってはいませんが、開発の嵐の中で耐え忍んできたような、ひ弱ではありつつも、なぜか意志の強さを感じるような姿です。

 

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※開発に耐え忍んでいるような松並木。

 

 小八幡の一里塚

 住宅が連なる国道の細い歩道を歩き進むと、視線の先に稜線が近づきます。やがて、国道が少しカーブを描くあたりには、「小八幡の一里塚」と表示された案内板がありました。

 説明では、江戸より19番目の一里塚ということや、かつては塚の上に松の木が植えられていたことなどが書かれています。今は姿を消した一里塚。この案内が、かすかに歴史の証を伝えています。

 

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※左、東へと向かう街道(国道)。右、小八幡の一里塚。

 国府津

 街道は、この先、国府津(こうづ)の街に近づきます。相模の国の中心地、国府と言う名を冠した港が、この辺りにあったのか。稜線が迫る狭い平地と、海に近い地形を見ると、確かに、そのような役割を与えられた土地だったのかと、頷きたくなるようなところです。

 

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国府津への道。

 

 やがて、国道は、少し大きな交差点に入ります。ここは、親木橋の交差点。すぐ先で、森戸川に架けられた橋梁を渡ります。

 親木橋の交差点は、交通の要衝でもあるようで、交差点につながる道は、かなりの渋滞状態です。

 

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※左、親木橋交差点。右、国府津の街並み。

 国府津の街は、住宅地が中心です。国道は、僅かな傾斜となっていて、その道沿いには、民家やマンションなどが並んでいます。左から迫りくる小高い尾根が起伏を作り、前後に広がる相模の街を、その尾根の突端を通過する、国道がつないでいるという状態です。

 

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国府津駅前の交差点。


 国府津駅

 坂道をしばらく進むと、歩道の際に、国府津駅を案内する、表示柱がありました。

 私たちは、その先の交差点を左に折れて、わずか50メートルほどのところにある、JR東海道本線国府津駅の方向へ。

 ここで、この日の行程に区切りをつけて、宿泊先へと向かいます。