旅素描~たびのスケッチ

気ままな旅のブログです。目に写る風景や歴史の跡を描ければと思います。

歩き旅のスケッチ[東海道]103・・・武蔵の国へ

 国境

 

 相模の国と武蔵の国の境界は、焼餅坂(やきもちざか)を上り切り、有名な権太坂(ごんたざか)に向かう位置。境木(さかいぎ)と呼ばれるこの場所は、京からは、最終の国越えの地点です。一方で、江戸から西に向かう場合は、初めての国境。どちらであっても、街道を往き交う人にとっては、感慨深いところだったと思います。

 街道脇には、境木の立場跡や境木地蔵尊の祠もあって、多くの人が足を休めたことでしょう。

 

 

 品濃坂(しなのざか)

 環状2号の道路をまたぐ歩道橋。その先は、森が広がり、街道は木々の中に吸い込まれるように続きます。

 歩道橋を渡ったところで、地元の方の助言を頂き振り向くと、ビルの向こうに美しい富士山の姿が見えました。横浜の中心部へと向かう途中で、富士山が望めることなど、全く想像していなかった出来事です。驚きは勿論のこと、深い感慨を覚えたものでした。

 

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※左、品濃坂に向かう歩道橋。右、歩道橋とビルの向こうの富士山。

 せっかくの富士山です。少し拡大した写真もご覧いただければと思います。

 

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※品濃坂から望む富士山。

 

 歩道橋を渡った先は、品濃坂(しなのざか)という坂道です。道端には、品濃坂上という、案内板がありました。明治初期の写真(なぜかカラーです)が貼られた案内板。その様子を見ていると、往時の街道の姿が偲ばれます。

 

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※往時の写真が貼られた案内板。

 

 品濃の一里塚

 品濃坂は、丘の斜面を横切るような道筋です。斜面の木々を右に見ながら歩いて行くと、やがて、閑静な住宅地。街道は、緑豊かな屋敷が並ぶ細路を、すり抜けるようにつながります。横浜の都会にも、このように、落ち着いた住宅地があるものかと、感心したのを覚えています。

 

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※品濃坂の閑静な住宅地。

 

 しばらくすると、こんもりとした、丘の隙間に入ります。切り通しのようなこの場所は、品濃の一里塚を通る道。左右の丘は、往時の塚がそのまま残っているのです。

 一里塚の前に置かれた説明板には、次のような記載がありました。

 

 「江戸から数えて9番目の一里塚です。神奈川県内では、ほぼ完全な形で残る唯一の一里塚で、県の指定史跡となっています。旧東海道をはさんで道の両側に二つの塚があり、品濃側(西側)には昔大きな榎が植えられていたそうです。」

 

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※品濃の一里塚。

 

 焼餅坂

 一里塚を過ぎた後、街道は、再び閑静な住宅地。そして、その先で、少し急な坂道を迎えます。右側は森が広がり、左手は、マンションです。この坂道は、焼餅坂と呼ばれる道で、坂の途中に、案内板が置かれています。

 

 「焼餅坂は当時の品濃村と平戸村の境にあり、一丁半(約160m)の坂道でした。坂の傍の茶店で、焼餅を商っていたので焼餅坂と名付けられたいいます。別名牡丹餅坂(ぼたもちさか)とも呼ばれています。戸塚を描いた浮世絵には山坂や焼餅の絵がしばしば登場します。」

 

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※焼餅坂。

 国境

 焼餅坂を上った先は、境木地蔵尊前の交差点。少し開けた、峠のようなところです。相模の国と武蔵の国の国境は、この峠の辺りにあるようです。今は、横浜市の戸塚区と保土ヶ谷区の境界で、国境という感覚はありません。

 

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※境木地蔵尊前交差点。ここを右折します。

 

 街道は、交差点を右折です。交差点の右前が、境木の地蔵尊。いよいよ、最後の国となる、武蔵の国に入ります。

 

 立場跡

 交差点を右折した後、街道は、やや下りぎみ。交差点近くの歩道には、境木立場跡と記された、案内板がありました。立場とは、旅人や馬子、人足の休憩地。かつては、ここに、その立場があったということです。

 案内板の記載によると、

 

 「中でもここ、境木の立場は、権太坂、焼餅坂、品濃坂と難所が続くなか、見晴らしの良い高台で西に富士、東に江戸湾を望む景観がすばらしく、旅人が必ず足をとめる名所でした。」

 

 とのこと。今では、そうした景観を望むことは叶いませんが、小高い峠のような地形は残り、往時の様子を窺うことはできるのです。

 

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※境木の立場跡。

 

 権太坂

 境木の立場跡を通り過ぎると、歩道は一旦無くなります。狭い道路を注意しながら、緩やかな下り道を歩きます。

 道の右には、学校の校舎が続き、その先は、三叉路の交差点。街道は、この三叉路を左折です。道は、この交差点を境として、再び上り道に変わります。この先が、有名な権太坂。さぞかし、急勾配の坂道が待ち構えているのかと、気を引き締めたものでした。

 

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権太坂の入口。

 

 権太坂は、箱根駅伝を観ていると、必ず出てくるポイント地点。選手たちは、厳しい坂を懸命に駆け抜けます。私たちは、テレビに登場する坂道を想像して、この坂に臨んだものの、歩いていると、少し様子が異なります。

 地図を見て確認すると、実は、今歩いている、旧東海道権太坂は、国道の坂道から少し西を通っています。道幅も、それほど広くはなくて、生活道路のような道筋です。駅伝は東寄りの、国道1号線のルートであるため、辺りの様子も、随分と異なっているのです。

 

 それでも、何となく、趣のある権太坂。ゆっくりと、坂道を進みます。