旅素描~たびのスケッチ

気ままな旅のブログです。目に写る風景や歴史の跡を描ければと思います。

歩き旅のスケッチ[東海道]75・・・富士川から富士の街へ

 富士市

 

 富士市は、なかなか、特徴ある街だと思います。新幹線や高速道路を利用して、街の様子を眺めていても、製紙工場の煙突と、そこから吐き出す白い蒸気に目が止まり、街の様子を窺い知ることはできません。一方では、富士山の秀麗な姿が圧倒的で、その裾野に広がる街のことなど、意識が向かうはずもないのです。

 このような富士の街。街道を歩いていると、様々な風景が見られます。ビルの向こうや、広い道路の先に見える富士山は、その頂は、天にも届く勢いで、眺望の素晴らしさは超一級。富士の裾野は、扇を広く開けたように、なだらかに街の方へと迫ります。

 駿河湾に面する平地は、建物などの人工物が、その土地を埋め尽くし、新旧の街並みが、凹凸に重なります。様々な表情を見せる富士の街。歩いて初めて、その魅力が分かります。

 

 

 富士川

 岩淵の集落から、一気に坂道を下ります。細い道を伝っていくと、目の前が開けたところの眼下には、富士川の流れと富士川橋が見えました。私たちは、さらに下って、富士川の右岸道路におり立ちます。

 富士川右岸のこの辺り、道は、広い県道と、その内側に旧道が残っています。坂道は、旧道につながりますが、その道沿いは、かつては、渡船に関わる建物や、お店などが並んでいたような光景です。

 どこか、懐かしさを感じるような家並は、富士川と関わり続けた歴史の証が、残っているような場所でした。

 

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※急坂の途中からの眺め。

 

 富士川

 街道は、今は、県道の富士川橋を渡ります。川沿いの交差点を渡った先で、橋の歩道に入ります。

 かつては、向こう岸の渡船場まで、舟で渡ったとのことですが、この急流をどのようにして克服したのか、なかなか想像できません。

 

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※左、富士川橋。右、富士川橋から望む富士山。

 

 富士川橋から左を見ると、富士の美形が、眩しいぐらいに輝きます。富士川は、大量に水を集めて、堰の上から溢れています。

 川底をえぐるような勢いの、川の流れを見つめつつ、対岸へと向かいます。

 

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※富士山の絶景。

 

 水神社と渡船場

 富士川を渡った先の左には、鎮守の森のような姿を残す、水神社の境内がありました。この神社、創建は1646年ということで、それほど古くはありません。

 それでも、神社前の説明書きには、火災により社伝の記録が消失し、由来の詳細は、よく分からないと書かれています。ただ、富士川がすぐ傍に流れているため、水害や水難を防ぐ神社として、地域の人や旅人から崇められつつ、今に至ったのだと思います。

 

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※水神社の入り口付近。

 

 私たちは、水神社で、少しの間、休憩です。境内を見回すと、奥には、朱塗りの柱で造られた、小さな社が見えました。さらに奥の左側は、富士川の堤です。渡船場は、その辺りにあったようで、川と一体となった神社の配置は、安全な渡船を祈るための絶妙な位置取りだったのだと思います。

 境内の入口に戻ってみると、そこには、幾つかの石柱がありました。その一つは、「冨士山道(ママ)」と刻まれた、由緒がありそうな道標です。解説には、「富士山禅定(ぜんじょう(登山))を目指す道者のための道しるべである。」とされ、その昔、神社の東方で道を北に折れ、富士山本宮浅間大社に向かうための、道の分岐点に置かれていたということです。

 もう一つの大きな石柱は、「富士川船場跡」の石標です。こちらは、比較的新しく、側面には、説明書きがありました。それによると、ここから数十メートル南の辺りに、渡船場の詰所があったようだと書かれています。

 

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※左、水神社の社。右、神社境内入り口の石柱。

 

 富士の街へ

 水神社を後にして、県道を少し東に向かうと、富士市四丁河原と表示された歩道橋が、県道の上を跨いでいます。

 街道は、その交差点を左に折れて、しばらくの間、弓なりの旧道を進みます。

 

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※県道を跨ぐ歩道橋。ここを左に折れて、細い道に入ります。

 

 この道筋は、初めは、新しい住宅も建ち並ぶところではありますが、やがて、空き地も目立つ、郊外の景色に変わります。心地よい陽の光を浴びながら、清々しい空気を感じて歩きます。

 しばらく進むと、街道は、再び県道に合流です。車が行き交う道路の脇を、少しの間、淡々と歩きます。

 

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※左、県道から旧道に入ったところ。右、再び県道に戻った辺り。

 

 市街地へ

 県道をしばらく進むと、鉄道の高架線路が道を跨いで走っています。この軌道は、JRの身延線(みのぶせん)。富士駅山梨県甲府駅を結ぶ路線です。

 鉄道の高架を潜り、さらにもう少し、東に向かったところから、今度は、街道は右方向の旧道へと移ります。この旧道は、この後しばらく、緩やかに、右に左に波打ちながら、富士の市街へと向かうのです。

 

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※右前に延びる旧道を進みます。

 街道の名残りと誇り

 旧道は、入り口付近は、民家が連なる住宅地。そして、次第に、事務所やお店などもその道沿いに加わります。

 本来なら、こうした道は、早くから開発の波が押し寄せて、かつての道は、跡形も無くなってしまうものだと思います。ところが、富士の街は、このような旧道を、かなりの延長で残しています。

 勿論、背景には、様々な理由があるのでしょう。それでも、富士市という、静岡県第3の都市でありながら、市街地に、街道の流れを残した人々の、誇りのような気高さを感じます。

 

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※左、金正寺(左)前の街道。右、市街地中心部に向かう街道。

 

 街道は、この先、富士駅前の商店街を横切って、新しい、市街地の中心部へと向かいます。

 

 ※「歩き旅のスケッチ[東海道]」は、1回だけ休憩させて頂きます。次回は、正月3日から、引き続き、東海道の歩き旅の風景をお伝えしたいと思います。