「田子の浦に うち出でてみれば 白妙の 富士の高嶺に 雪は降りつつ」
山部赤人(やまべのあかひと)の作とされるこの和歌は、小倉百人一首にも収められた、有名な一首です。多くの人が口ずさみ、真っ白な富士山と田子の浦の情景を、想い描かれたことでしょう。
ここに表されている「田子の浦」。駿河湾に面する浜辺の、どの辺りになるのかは、定かではないようです。或いは、薩埵峠(さったとうげ)の海岸線、由比辺りだという説もあるようですが、私は、今の田子の浦の位置からは、それほど離れていないように思います。
街道は、この先、元吉原から原宿へと向かいます。道の右手は、松の林が延々とつながって、その向こうには、田子の浦の浜辺が広がります。
※東海道が箱根峠へと向かう途中に、”スカイウオーク”という、つり橋で有名な観光施設があります。この写真は、そこから駿河湾を望んだ1枚です。街道は、駿河湾の海岸線につながる松林の内側を、中央辺りの原宿へ、そして、左先の沼津宿へと向かいます。
JR吉原駅へ
県道から、斜め右に延びている、旧道に入った辺りには、倉庫のような建物が並びます。雑然とした沿道でありながら、緩やかに弧を描く道筋や、松並木の名残などが、僅かながらも、街道の面影を残しています。
※吉原駅に向かう道。
街道は、その先で、沼川を渡ります。この川は、すぐ先で、駿河湾の水面と出会うため、水の流れは緩やかで、入江のような状態です。岸辺には、船やボートが接岸されて、ある種の港のような感じです。
※沼川の様子。
沼川を渡った先で、街道は、右手を走る、JR東海道本線に近づきます。途中、吉原駅北口の交差点を右折すると、その先がJR吉原駅。私たちの街道歩きは、この日はここで終了です。
この日の朝、蒲原の宿場を発って富士川へ。そして、吉原の宿場を通り過ぎ、JR吉原駅に到着です。17Kmほどの行程を歩き終え、翌日に、次の宿場の原宿とその先の沼津宿を目指します。
元吉原
翌日は、再びJR吉原駅に立ち戻り、街道歩きを続けます。
前回のブログにも記したように、吉原宿は、自然災害の煽りを受けて、2回にわたり、その場所を移しています。その最初の宿場町が、元吉原と呼ばれるところ。今の、JR吉原駅の辺りです。
街道は、駅近くから、東へと進んで行って、その先で、JR東海道本線の踏切を渡ります。踏切の直前のところには、日本製紙の工場です。赤白の大きな煙突がそびえ立ち、富士市を象徴するかのような光景です。
※左、東海道本線に近づく街道。右、踏切を渡ります。
踏切を渡った先は、旧道の道の流れが続きます。この辺りが、元吉原。少し進むと、富士市の元吉原小学校もありました。
※元吉原の街道。
元吉原の道筋は、宿場町の面影はありません。高潮の被害により、宿場の地を、内陸へと譲らなければならなくなって、町の姿は、大きく変貌したのでしょう。
それでも、ひっそりと佇む神社の森や、道沿いの住宅地に植えられた木々の様子を眺めていると、歴史ある、街道の趣を感じます。
※元吉原の街道の様子。
田子の浦の道
街道の右奥には、ところどころで、松の木々が見える他、そこに向かう細い道は、少し上り坂の状態です。砂地のような道もあり、松の向こうに広がるはずの、田子の浦の情景を想い描きながら歩きます。
一方で、家が途切れたところから、左を見ると、富士山や愛鷹山(あしたかやま)の雄大な景色が望めます。
まさに、山部赤人の歌の舞台がそこにあるようなところです。
※街道からは、ところどころで、富士山が望めます。
柏原
旧道を進んできた街道は、やがて、左方向から接近する、県道に合流します。この合流地点には、「間宿 柏原」(あいのしゅく かしわばら)の表示がありました。
街道が、県道に入った先は、今は、檜新田と呼ばれるところ。その辺りが、かつては、柏原という、間の宿だったということです。
街道の休憩地の役割を持つ間の宿。今でも、往時の名残を留めるところもありますが、柏原は、そのような姿は見られません。整然と整備された県道が、一路東を目指します。
※左、県道との合流点。右、柏原の辺り。
一里塚
県道を進んだ先で、小さな川を渡ります。この川の手前には、沼田新田の一里塚跡があるはずです。何らかの痕跡はないものかと、目を凝らして探してはみたものの、残念ながら、分からず仕舞いとなりました。
※沼田新田の一里塚辺り。
東田子の浦
相変わらずの県道の道筋を、東に向かうと、「東田子の浦駅」の表示です。左を見ると、数十メートル先の所に、小さな駅舎がありました。私たちは、休憩をとるために、駅の方へと向かいます。
駅舎の傍には、神社があって、木々が社を覆っています。駅の裏には、公園などもあるようですが、今は、立ち寄る余裕はありません。小休止の後、神社でお参りをして、先の道中を急ぎます。
※東田子の浦駅前の県道。
沼津市へ
県道をしばらく進むと、左方向に延びていく、旧道が現れます。実は、この旧道も、また別の県道のようですが、街道は、そちらの方へ向かいます。辺りは、民家や畑地などが混在する、のどかな雰囲気のところです。
旧道に入ってから、間もなく、沼津市を告げる表示板が現れました。蒲原(かんばら)の宿場を越えて、丘陵地に入ったところで確認した、静岡市と富士市の境。そこから延々と歩き進んで、ようやく、富士市から沼津市の領域へと入ります。
※左、街道は、左方向の旧道に入ります。右、旧道を進み、沼津市の表示を確認します。