旅素描~たびのスケッチ

気ままな旅のブログです。目に写る風景や歴史の跡を描ければと思います。

歩き旅のスケッチ[東海道]39・・・新居宿と新居の関所

 関所の町へ

 

 浜名湖の西岸に位置する新居の宿場は、関所の町としても有名です。東海道の沿線で、どれほどの関所があったのか、調べたことはないのですが、新居の関所と箱根の関所は、余りにも有名です。

 東海道を往き来するとき、浜名湖の辺りは必ず通らなければなりません。特に、新居の町は、対岸の舞坂と結ばれた今切(いまぎれ)の渡しの発着場。ここで、厳重に、人の出入りのを管理するのが、効果的だったということでしょう。

 以前、「歩き旅のスケッチ[東海道]34」でも触れたように、35番御油宿から浜松を結ぶ姫街道も、浜名湖の北岸で、気賀の関所を設けることで、往来の厳重管理をしています。浜名湖は、東西を結ぶ街道の、重要な場所だったことでしょう。

 

 

 新居宿へ

 白須賀宿を後にすると、右手には、少し先に太平洋。左手は、小高い山が続きます。途中、明治天皇の休憩地を通り過ぎると、わずかに景色が開けた場所に出て、左には、山の上に風力発電の大きな風車が見えました。

 次の宿場は新居宿。元白須賀から、真っ直ぐに東に向かって進みます。

 

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明治天皇休憩所とその辺りの様子。

 松並木

 しばらく歩くと、”浜名旧街道”と記された松並木の道に入ります。松の木は、道路の片側、道の南に沿ったところに、歩道との分離帯も兼ねるようにして並びます。

 2~3百メートルほど続く松並木。途中には、浜名湖の風景を詠んだ、藤原為家の歌碑などもあり、新しい道路の割には趣があるところです。

 

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※左、藤原為家と阿仏尼の歌碑。右、松並木。

 新居宿

 松並木を通り過ぎると、集落内の旧道のような道へと変わります。そして、その先の橋本西交差点で、旧道は県道に合流です。

 

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※橋本交差点。

 街道は、少しだけこの県道に吸収され、次の橋本交差点で左折すると、いよいよ、新居の宿場に近づきます。

 

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※新居宿の入口辺り。左の突き当りが棒鼻跡。

 

 県道から街中の住宅地に入った道は、少し北に向かって進んだ後で、直角に東へと曲がります。この角の辺りに、「棒鼻跡(ぼうばなあと)」と記された石柱が建てられていて、この付近が、新居宿の西の境だったことを示しています。

 白須賀宿から、6.5Km。この間は、潮見坂や元白須賀の集落を通過して、松並木を楽しめる遠州路入口の街道です。

 

 棒鼻には、元は土塁のような設備があって、街道の角地辺りが、砂時計のくびれのようになっていたということです。特に、大名などを乗せた駕篭の、担ぎ棒が引っかかることから、ここでは、棒の位置を調整して通過したというのです。

 この、棒鼻から始まる新居の宿場は、今はその面影はありません。民家やお店が普通に並ぶ、どこにでもある風景です。

 道はすぐに左折して、再び北に向かいます。1Kmほど、ほぼ真っ直ぐの道を進んだところが、泉町の交差点。この左角には、本陣跡を示す石柱と、案内板がありました。

 本陣跡にある建物は、風情こそあれ、それほど昔のものとは思えません。それでも、街道筋の建物が、ほぼすべて近代的に建て替わっている中にあっては、かすかに、宿場町の面影を感じる一角になっているのです。

 

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※左、北に向かう街道と新居宿。右、新居宿の本陣跡。

 新居の関所へ

 泉町の交差点を右折して、街道が東に向きを変えると、道の様子は一変します。道幅はぐんと広がり、歩道もよく整備された新しい道路の姿です。

 この道路沿いは、新居の宿場を意識した修景なども施され、途中には、旅籠の姿を良く残す、紀伊国屋の建物などもありました。

 

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※広い道沿いにあった紀伊国屋


 広い道を東に進むと、左前方に、史跡を彷彿とさせる黒門が目に止まります。近づいて、辺りを見ると、堂々とした雰囲気の建物や厳格な面持ちの空間が広がります。この威厳のある施設こそ、他でもなく、有名な新居の関所の跡なのです。

 おそらくは、この辺りが新居宿の東の境。かつて、この先は、浜名湖の水面が広がっていたはずです。

 

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※新居宿の東の境辺り。奥に関所の黒門が見えます。

 

 新居の関所

 新居の関所は、今は史料館として整備され、関所の歴史を学べるということです。また、江戸時代の関所の建物も現存し、往時の様子を目の当たりにすることも可能です。

 前回記した、白須賀宿の成り立ちのところで触れたように、1707年の地震によって、元の施設は倒壊し、現在の位置に移されたとのことですが、太平洋近くを通過する遠州東海道は、昔から、地震津波の被害とは隣り合わせだったことが分かります。

 

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※新居の関所。

 

 今切の渡し

 江戸の頃は、新居の関所の東には、浜名湖が行く手を阻んでいたようです。ここから先は、陸路ではなく、渡船で対岸に向かうことになるのです。(この渡船は今切(いまぎれ)の渡しと呼ばれています。)

 対岸は、30番目の舞坂宿。この間、およそ1里の区間の船旅は、優雅にも感じてしまうものですが、その頃の旅人は、どのような心境だったことでしょう。この船旅を敬遠して、敢えて浜名湖の北岸を通る、姫街道を利用する旅人も多かったということです。

 

 私たちは、塀の外から関所跡を眺め、陸路で舞坂宿へと向かいます。