旅素描~たびのスケッチ

気ままな旅のブログです。目に写る風景や歴史の跡を描ければと思います。

歩き旅のスケッチ[東海道]40・・・浜名湖から舞坂宿へ

 浜名湖東海道

 

 浜名湖は、東海道を代表する景勝地の一つです。下流域では、太平洋とつながっていて、海水と淡水が入り混じる汽水湖です。上流部では、地形が入り組み、その景色は一様ではありません。

 この、変化に富んだ自然のかたちは、一方では、豊かな水産資源を育みます。人々と共に歴史を刻み、この上ない恩恵をもたらし続ける浜名湖を眺めながら、東海道を歩きます。

 

 

 新居駅

 新居の関所を後にすると、道は、単調な自動車道路が続きます。左には、JR東海道本線や新幹線の軌道が通り、右側は、住宅や事務所などの建物が見られます。

 間もなく、右方向から県道が合流すると、交通量は一段と激しさを増す状態に。この道は、浜松市の中心部につながる主要な道路で、浜松の市街地を避けて通る、国道1号線のルートとは、対照的な性格です。

 交通量が頻繁な主要道路をしばらく進むと、左側に、小さな駅が見えました。この駅が、JR東海道本線新居駅。私たちは、ここでこの日の行程を閉じました。

 

 この日の朝、愛知県の二川駅を出発し、二川、白須賀、新居の宿場を通過して、新居駅に到着です。都合、15Kmほどの道のりでした。

 

 その後、再びこの新居駅に降り立ったのは、およそ数か月後のこと。時を開けて、遠州路の歩き旅を続けます。 

 

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新居駅前。浜松の市街地につながる主要道路を歩きます。

 

 富士山の遠景

 新居駅を降りた正面には、懐かしい主要道路が通ります。相変わらずの交通量を眺めながら、浜松方面に向かいます。

 この辺りの風景は、鉄道の軌道と道路に挟まれて、殺風景という他ありません。かつては、浜名湖の湖面だったと思うのですが、今はそこが埋め立てられて、人工物がつながります。

 それでも、遠方に富士山の姿を捉えた時は、驚きもあり、ある種の感動を覚えたものでした。

 

 安藤広重の浮世絵には、浜名湖と富士山が描かれてはいるものの、そもそも、それは絵の話。実際に、浜名湖から富士山を望むことができるとは、思いもよらないことでした。

 

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浜名湖から望む富士山。

 

 弁天島

 遠くに富士山を眺めながら、東へと進んで行くと、弁天島の道路標識が現れます。その先に架かる橋は、弁天島へとつながる橋。浜名湖をまたぐように、浜名湖景勝地へと向かいます。

 

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弁天島に向かう橋。

 

  浜名湖

 浜名湖の大きさは、琵琶湖のおよそ十分の一。もっと広くは感じるものの、岬が入り組み、湖面の広さはそれほどでもありません。日本では、10番目の広さということです。

 街道歩きの資料によると、浜名湖は、かつて海とは隔離され、淡水湖の時期があったのですが、15世紀の地震によって、河口部が開けたと書かれています。新居の関所と舞坂宿を結ぶ、「今切の渡し」の名称も、”海岸線の陸地が、今、切れた”、というところから名付けられたということです。

 

 弁天島

 浜名湖に架かる橋を渡ると、弁天島に到着です。弁天島は、浜名湖下流部にある小さな島ではありますが、埋め立て地もそこそこあって、それなりの広さです。島には、リゾートマンションや観光施設が並びます。

 東海道新幹線を利用すると、浜名湖の海側に、赤い鳥居が見えるのですが、その辺りが弁天島と呼ばれているところです。かつては、湖と松に囲まれた、弁天神社の風景は、実に魅力的だったに違いなく、旅人に親しまれていたことでしょう

 

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弁天島から望む大鳥居。

 

 弁天島下流に広がる浜名湖は、その先で海とつながります。今では、その位置に、国道1号線の高架橋が架けられていて、風光明媚な湖の景観が損なわれているような気がします。

 しばらく進むと、左手に、JR東海道線弁天島駅。道路の歩道に貼りつくように、小さな駅が佇みます。

 

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弁天島駅(左側)。

 

 弁天神社

 弁天島駅を過ぎたところで、道路を渡り、南側の歩道に移ります。間もなく、右手に小さな赤い神社が現れて、道行く人の目を引き付けます。

 この神社こそ、弁天神社と呼ばれる社。弁天島の象徴です。

 

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※弁天神社。

 

 舞坂宿へ

 弁天神社を過ぎたところで、街道は脇道に入ります。ここで主要道路と距離を開け、舞坂の船着き場へと向かいます。

 この脇道は、ごく普通の道で、観光客をもてなすための食堂などが点在します。少し進むと、赤い欄干の橋が現れ、再び、浜名湖の湖面を渡り、対岸へと進みます。

 

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※主要道路から離れて、脇道を進みます。

 

 赤い欄干の橋を歩くと、その先には、漁港の景色が近づきます。たくさんの漁船を抱える舞阪漁港。浜名湖遠州灘に面したこの町は、漁業や渡船で発展してきた様子です。

 「舞阪」は、今はこの「阪」の字を充てますが、宿場町は「舞坂」です。ブログでも、表記を間違えていそうで心配です。

 

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※舞阪漁港と今切の渡しの常夜灯。

 

 船着き場

 橋を渡ると、すぐ右側に、「渡船場跡北雁木(”がんげ”。普通は、”がんぎ”と読むようですが、舞阪ではこのように読むのだと、案内板では表示されています。)」と記された石標と、常夜灯が建ち並び、街道の雰囲気を高めます。

 雁木とは、石で積まれた階段状の船着き場。朝の4時から夕方4時まで、運用されていたということです。

 僅かに残る渡船の名残は、いつまでも歴史の証として、保存して頂きたいと思います。

 

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※雁木跡と常夜灯。

 

 街道は、漁港沿いにしばらく進み、そこから左に折れたところで、舞坂の宿場に到着です。その昔、渡船で渡ったこの区間、新居宿から歩いてつなぐと、およそ6Kmの道のりです。