旅素描~たびのスケッチ

気ままな旅のブログです。目に写る風景や歴史の跡を描ければと思います。

歩き旅のスケッチ[東海道]48・・・掛川宿へ

 歴史道

 

 袋井の次の宿場は、26番掛川宿。袋井宿を出てからは、しばらくは市街地の道ですが、その後、掛川までの道筋は、歴史の香りが漂います。

 松の並木がところどころに見受けられ、街道は、緩やかな曲線を保ちます。落ち着いた空気が漂う沿道は、歴史の証も残る道。間の宿(あいのしゅく)の町並みや、歴史上の人々の足跡が残ります。

 

 

 掛川

 街道は、袋井市から掛川市へと向かいます。途中には、道沿いに大きな朱塗りの鳥居があって、往来する人たちの目を引き付けます。この鳥居は、「富士浅間宮鳥居」と呼ばれるもので、この先にある、浅間宮(せんげんぐう)に向かう参道の入り口です。今は、鳥居の先は行き止まり。少し迂回しなければ、神社へは行けません。

 私たちは、鳥居前を通過して、街道歩きを続けます。

 

 しばらくすると、道は原野谷川(はらのやがわ)の堤防へ。街道は、この堤防の上に出て、川を渡ることになりますが、利用するのは、国道1号線の同心橋。この橋の中央が、袋井と掛川の境です。

 掛川市が発行している資料を見ると、往時は、長さ29間1尺(53m)、幅3間(5.5m)の土橋が架かっていたということです。

 

f:id:soranokaori:20210811150635j:plain
f:id:soranokaori:20210811150708j:plain

※左、富士浅間宮の赤鳥居。右、原野谷川の堤防。

 原川・岡津

 同心橋を渡りきったら、すぐ右方向の階段を下ります。その後、回り込むようにして国道下のトンネルを抜け、国道の北側の旧道に入ります。

 この辺りは、掛川市の原川という地域。集落の民家が連なる旧道を進みます。原川は、掛川宿と袋井宿のほぼ中間地点にあたります。かつては、茶屋や酒屋が建ち並ぶ、間の宿(あいのしゅく)だったということです。

 

f:id:soranokaori:20210811150740j:plain
f:id:soranokaori:20210813150357j:plain

※左、同心橋から堤下へ。右、原川の町。

 この先は、狭い道幅に沿うように、集落内を進みます。やがて、民家がまばらになると、農地が広がり、立派な松並木が現れます。

 並木道の途中には、「旧東海道松並木 岡津~原川」と記された案内板がありました。そこには、「近年松食い虫の被害で枯れ、岡津・原川間に僅かに残っているだけ」との記載がありますが、保存が行き届いている印象を受けました。

 今に残る松並木。よく手入れがされていて、後世にも引き継がれていくことでしょう。

 

f:id:soranokaori:20210813150431j:plain

※岡津・原川間の松並木。

 

 松並木を過ぎた先で、小さな川を渡ります。そこから、道なりに左方向に進んでいくと、道端のところどころに、松の木の名残が見られるものの、次第に殺風景な景色に変わります。

 街道は、東名高速道路の高架下を潜り抜け、その先で、今度は国道1号線の高架下をすり抜けます。

 

f:id:soranokaori:20210813150549j:plain

※右手の国道1号線の下を通ります。

 西掛川

 街道は、再び集落の風情を残す街中に入ります。途中には、醸造所のような建物や、古い煙突なども目に留まる、歴史が香る道筋です。

 

f:id:soranokaori:20210813150623j:plain
f:id:soranokaori:20210813150700j:plain

掛川の市街地に向かう街道の様子。

 しばらく進むと、道幅は次第に広がり、辺りの様子は、徐々に新しい街並みに変わります。道路の先には軌道が現れ、街道はその下をくぐります。

 この鉄道は、天竜浜名湖鉄道と呼ばれるもので、かつての国鉄二俣線掛川駅から天竜二俣駅を経由して、浜名湖の北を回り込み、東海道本線新所原駅につながる線路です。

 

f:id:soranokaori:20210813150739j:plain

天竜浜名湖鉄道の西掛川駅へ。
 

 街道が軌道下に差し掛かるところの右側が、西掛川駅の駅舎です。小さな駅を上に見ながら、線路の下を真っすぐに進みます。

 街並みは、市街地の様相で、道沿いには住宅が張り付きます。大池橋の交差点にたどり着いたら、右折して、小さな川を渡ります。

 

f:id:soranokaori:20210813150954j:plain

※大池橋交差点。ここを右に進みます。

 掛川宿へ

 次の大きな交差点は、二瀬川。街道は、再びここを右折です。その後、逆川(さかがわ)の橋を渡る時、左手には、優雅な掛川城を望むことができました。

 写真では、小さくしか写っていませんが、実際は、はっきりと、その姿を捉えています。

 

f:id:soranokaori:20210813151810j:plain

逆川の橋から掛川城天守を望みます。

 掛川城を確認し、掛川の宿場に近づいたとの実感を味わいながら、もう一息の行程を進みます。

 

 十九首

 街道は、橋を渡ると、落ち着いた雰囲気の街中に入ります。そして、その先で、主要道路を左にそれた旧道へ。この旧道の道筋も、静かで穏やかな雰囲気です。

 この辺りは、十九首(じゅうくしゅ)と呼ばれていて、藤原秀郷*1平将門の武将19人を討伐し、その首塚を築いた場所。平将門の乱に関するお話ですが、どうして掛川首塚が残っているのか、ちょっと不思議な気もします。

 

 井伊直親

 この十九首辺りは、また、かつて浜名湖近くの、井伊谷(いいのや)を領地としていた井伊家の当主、井伊直親が暗殺されたところです。

 この史実については、数年前に、NHK大河ドラマ「おんな城主 直虎」が放映されて、広く知られるようになりました。

 直親は、後に徳川家康の重鎮となる、初代の彦根藩主、井伊直政(なおまさ)の実の父。ドラマでは、昨年(2020年)他界された三浦春馬さんが演じておられ、直虎とのはかない恋物語は、人気を集めたところです。

 

 掛川と井伊家の関わりは、次回でも少し触れたいと思います。

 

f:id:soranokaori:20210813151113j:plain
f:id:soranokaori:20210813151159j:plain

※左、逆川の先の街道。右、左方向の旧道(十九首)へ。

 十九首の街中を過ぎると、街道は、県道と合流です。この県道は、掛川の市街地を東西に貫く主要道路のひとつです。掛川城JR東海道線のほぼ中間に位置していて、中心部は、商店街のような様相です。

 この県道との合流点が、掛川宿の入り口です。城下町と宿場が重なる掛川は、古くから旅人が往来し、身体を休める、賑わいの場所だったことでしょう。

 

f:id:soranokaori:20210813151227j:plain

※県道との合流点。街道はここを左折します。

 袋井宿から、9.5Kmの道のりを経て、ようやく掛川宿に到着です。

*1:俵藤太(たわらとうた)とも呼ばれる武将で、「歩き旅のスケッチ[東海道]3」の中で少し触れています。