中山道の宿場町
中山道は、69か所の宿場町をつなぐ街道です。その内、大津宿と草津宿は、東海道と重なるため、実質は、67宿。東海道53次と比較して、多くの宿場を擁しています。
宿場町の役割は、街道を往き来する人たちの宿泊地。それと同時に、荷物の中継や、通信を伝授する機能なども併せ持っていたのでしょう。
日常は、旅人をもてなしながらも、時には、大名や要人の大行列を迎えなければなりません。町がひとつになって、組織的に対応する機能がなければ、とてもさばくことはできなかったと思います。
江戸時代の街道の役割が終わって、150年。道筋は、時代と共に移り変わっていきました。繰り返される大火とともに、社会構造や、人々の暮らしも激変し、宿場町の機能も衰退します。今では、もう、街道や宿場町という言葉は、歴史の中の用語です。宿場町も、時代の波に洗われて、日々、その姿を変容させているのです。
そんな中でも、かつての宿場の面影を、色濃く残すところもあって、後世に伝える努力も続いています。中山道69次を歩きつないできた中で、心に残った宿場町。もう一度振り返ってみたいと思います。
※10年前の妻籠宿(2009年9月)
往時を偲ぶ宿場町
往時の中山道が偲ばれる宿場町。今でも、その姿を色濃く残す筆頭は、妻籠宿(つまごじゅく)と奈良井宿(ならいじゅく)。木曽路を代表する宿場です。
妻籠宿は、木曽路の南に佇んで、馬籠とともに、知名度は抜群です。海外からの来訪客も数多く、中山道を代表する宿場町と言えるでしょう。何よりも驚かされる光景は、タイムスリップしたかのような家並みです。
江戸時代の宿場町が、そのまま残されたという印象です。
※妻籠の家並。
妻籠宿と同様に、歴史的な町並みを、よく残しているのが、奈良井宿。難所と言われる鳥居峠の北の麓に位置する宿場です。木曽路の北のはずれにほど近く、今は塩尻市に属します。
奈良井宿は、妻籠宿と比べると、幾分、修復の手が加わった印象ではありますが、それでも、見事な景観です。
この宿場の圧巻は、何と言っても、木造建物の構造です。街道沿いの家々は、2階部分がせり出して、大屋根は、道に被さるような格好です。出梁造り(だしばりつくり)と呼ばれるそうで、不思議な世界が広がります。
※奈良井宿の家並。
町並保存
妻籠宿や奈良井宿が、どのようにして、かつての姿を留めることができたのか。私には知る由もないことですが、少なくとも、幾つかの要因があったのだと思います。
そのひとつは、大火から守られたこと。多くの宿場町が、繰り返し大火事に見舞われて、その姿を保てなくなったことは、旅の途中で、何度か耳にしたものでした。妻籠や奈良井には、大火を防ぐための工夫や努力があったのでしょうか。あるいは、自然的な要因なのか。いずれにしても、壊滅的なダメージを避けられる力が備わっていたのだと思います。
もうひとつ、重要なこと。それは、地域の人々の、町並み保存に対する強い思いがあったということです。普通なら、家並みは、徐々に近代的な様式で建て替えが進みます。ところが、これらの地域では、建物の保全が優先された様子です。地域がまとまって取り組まれてこそ、この姿を残すことができたのでしょう。*1
前回の「歩き旅のスケッチ」で記したように、妻籠は、重要伝統的建造物群保存地区に、いち早く指定を受けた町*2。まさに、歴史的環境の保存を牽引する地域です。
そして、すぐその後に、奈良井宿も保存地区の指定を受けました。*3
中山道の宿場町で、重要伝統的建造物群保存地区の指定を受けているのは、木曽の山中に佇む、妻籠と奈良井の2か所だけ。それほど、この2つの宿場町は、魅力あるところです。
中山道以外の宿場町
<関宿(せきじゅく)>
中山道から離れるものの、妻籠などとよく似た宿場の町並みに、少し触れてみたいと思います。
先ず初めは、東海道。中山道と並ぶ、かつての日本の動脈です。東海道の道筋は、後日、新たなシリーズで紹介することになりますが、ここにも、妻籠や奈良井と並ぶ、奥ゆかしい宿場町があるのです。
その代表格は、三重県の関宿です。京の都を出発し、草津宿から南に向かって、鈴鹿越え。山間の、坂下宿を下っていくと、関の宿場に入ります。
この宿場町は、時代の波に飲まれる前に、何とか、かつての景観をくい留めているという感じです。それでも、恐らく東海道では随一の宿場町。その規模の大きさもさることながら、歴史の香りが漂う宿場です。
※東海道関宿。
<大内宿(おおうちじゅく)>
次に紹介したいのは、奥州の大内宿というところ。日光と会津若松を結ぶ、会津西街道にある宿場です。
この宿場町は、テレビでも何回となく紹介され、ご存知の方も多いでしょう。山深い会津に通じる街道に、今も堂々と、その姿を誇示しているのです。
茅葺屋根が特徴で、真っ直ぐに延びる、幅広い道筋に展開する家並みは、壮観と言うほかありません。中山道や東海道の宿場町とは、趣を異とする町並みです。
※大内宿。
<熊川宿(くまがわじゅく)>
もうひとつ、紹介しておきたいのは、福井県小浜市近くの熊川宿。京都に向かう若狭街道(通称、鯖街道)の宿場です。比良山系の北端に向かう山道の、入口近く。山が迫る谷あいに、1Km以上にわたって、家並みが続きます。
この宿場町は、妻籠宿や大内宿などとは、少し様子が異なって、町並みは、かなり修復された様子です。それでも、歴史を感じる家並みや、豊富な山水が流れる自然の水路、番所跡など、街道筋とマッチした景観は、見事と言う他ありません。
熊川宿は、その昔、京の都に海産物などを運ぶため、行商人たちが往き交ったところです。若狭街道は、国内の主要な街道ではないものの、都や近江と結ぶ、重要な役割を果たしていたに違いなく、往時の賑わいが偲ばれます。
※熊川宿。
以上、紹介した3つの宿場町。中山道ではないものの、何れも、重要伝統的建造物群保存地区に指定されたところです。地域の人々のたゆまない努力によって、守り継がれた宿場町の景観を、いつまでも大切に見守っていきたいと思います。