旅素描~たびのスケッチ

気ままな旅のブログです。目に写る風景や歴史の跡を描ければと思います。

歩き旅のスケッチ[中山道総集編]10・・・間の宿(後編)

 続、間の宿(あいのしゅく)

 

 中山道の中間地点にほど近い、間の宿、原野(はらの)を越えると、街道は後半に入ります。宿場町をひとつずつ通過して、江戸日本橋を目指す中、まだ幾つかの間の宿がありました。

 宿場と宿場の中間辺りに、休憩所として整備された間の宿。見逃せない、魅力ある町も残っています。

 

 

 間の宿の極み

 木曽路の終盤、34番奈良井宿のすぐ先にある、平沢という町と、信濃路の26番芦田宿・25番望月宿の間に位置する茂田井(もたい)の2か所は、間の宿では際立って、往時の町並みをよく残しているところです。

 今では、宿場町そのものが、随分姿を変える中、これら2つの間の宿は、特色ある町の姿を伝えています。まさに、間の宿の極みと言っても良いでしょう。

 

 <平沢>

 奈良井宿と次の宿場の贄川宿(にえがわじゅく)は、7Kmほどの道のりです。それほど離れた宿場間ではないものの、奈良井の宿場のすぐその先に、間の宿、平沢があるのです。

 平沢は、もともと、漆器で栄えた町らしく、街道沿いは、漆器のお店や工房のような建物が並びます。いかにも高級そうな器や食事用具を眺めながら町中を歩いていくと、旅籠風の建物とともに、幾つもの、荘厳な木造建築が現れました。

 木曽山中の集落で育まれた産業は、土地の人々に富をもたらし、さらには、富裕層まで輩出するほどの活況を呈していた様子です。

 

 平沢は、大名など、往時の権力者達にとって、特別の場所だったのかも知れません。彼らは、漆器集めを目的として、ここで時間を費やしたのではないのかと、疑いたくなるようなところです。

 もともと、質の高い漆器の一大産地であったが故に、平沢は、間の宿としての役割が付随してきたと言えなくもありません。

 山また山に囲まれた、木曽路の集落。そこに生業を生み出して、富を集めた人々の底力には、感嘆せざるを得ない思いです。

 

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 ※早朝の平沢の町並。

 

 良い写真がないために、説明不足になるものの、平沢は、是非とも一度は訪れるべき町だと思います。

 隣接する奈良井宿は、宿場町全体が、重要伝統的建造物群保存地区として指定されていることは、「

歩き旅のスケッチ[中山道総集編]3・・・宿場町(前編) - 旅素描~たびのスケッチ

」でも記したとおり。そして、この平沢も、同じく保存地区の指定を受けているのです。*1

 立派な木造建築が連なる街道沿いは、まさに、宿場町を超える趣が味わえます。

 漆の町でありながら、旅人に潤いを与える間の宿としても位置付けられた平沢の町。このような特色ある町の姿は、次に紹介する茂田井や、東海道の有松*2など、僅かな町でしか見ることができません。言わば、貴重な街道の遺産と言って良いでしょう。

 

 <茂田井(もたい)>

 茂田井の町は、26番芦田宿と25番望月宿の中間にある間の宿。芦田・望月間が、僅かに5Kmという道のりの中、間の宿の必要性は定かではありません。

 この町は、日本酒の蔵元がいくつか残り、それこそ立派な屋敷や蔵などの建物が連なります。町並みは、幾分古さを感じるものの、時代を感じる長塀や街道伝いに残る石組の水路など、往時の面影が偲ばれます。

 信州の、緩やかな丘陵地に開けた茂田井の町。豊富な湧水と穀倉地帯の恩恵を受け、酒造りが広がっていった様子です。

 先の、平沢風に解釈すると、この地の日本酒をたしなむために、大名たちは輿を降り、この町で、しばしの時間を費やしたのかも知れません。すぐその先に、望月の宿。あるいは、芦田の宿場がありながら、この地が間の宿として位置づけられたその理由(わけ)は、こんなところにあったとしても、あながち、間違いではないような気がします。

 そんなロマンを感じる町。信濃路の中でも、中山道の姿をよく残しているところです。

 

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※茂田井の町。

 

 その他の間の宿

 間の宿は、以上の他にも、それと分かるところが幾つかあります。その中でも、はっきりと位置づけられた、上州と武州の2つの町を紹介します。

 

 <原市(はらいち)>

 原市は、16番松井田宿と15番安中宿の中間にある町です。この宿場間の間隔は、およそ10Km。街道は、碓氷川の左岸をほぼ真っ直ぐに下っていくような、変化が少ない道筋です。

 原市は、ある意味、退屈な道中の真ん中に位置付けられた間の宿。休憩所の役割を持つ、典型的な間の宿と言えるでしょう。

 この町は、かつての町並みは、それほど残っていませんが、安中に近い所に、杉並木が残されていて、街道の風景を楽しめるところです。

 

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※左、原市の町。右、杉並木の入口。

 

 <吹上>

 吹上は、8番の熊谷宿と次の7番鴻巣宿(こうのすじゅく)の間にある間の宿。この2つの宿場間は、16Kmを超える長丁場。これほど離れた宿場間には、何か所かの休憩所が必要だったことでしょう。

 熊谷宿を出た後に、延々と続く街道を進むと、荒川の土手道に至ります。この堤のすぐ東には、JR高崎線行田駅。その辺りから土手を下り、集落内を進んでいくと、吹上駅に行き着きます。この駅近くが吹上の間の宿。今では、その名残はそれほど残ってはいませんが、案内板などにより、間の宿であることが分かります。

 次の宿場の鴻巣は、吹上駅から、さらに北鴻巣駅を通り過ぎ、ようやく辿り着くことができるのです。熊谷駅から数えると、JRの3つの駅を挟んだ末に、鴻巣駅ということです。

 この長丁場。吹上は、貴重な休憩所であったことでしょう。

 

 

 ここまで紹介してきた間の宿。中山道には、私たちが気づかなかったところも、まだまだあると思います。ただ、このような、間の宿。街道は、宿場町だけで成り立っていた訳ではないことを教えてくれる、貴重な歴史の証です。

 

*1:2006年に指定。種別は、宿場町ではなく、漆工の町として。

*2:有松は、有松絞りと言う和服の生地が有名な町。いずれ、東海道の歩き旅のスケッチで紹介したいと思います。