旅素描~たびのスケッチ

気ままな旅のブログです。目に写る風景や歴史の跡を描ければと思います。

歩き旅のスケッチ[東海道]117・・・総集編3(宿場町)

 東海道の宿場町

 

 今回は、宿場町を振り返りたいと思います。中山道を歩いた時は、それこそ、江戸時代にタイムスリップしたような、見事な宿場町が何か所かありました。木曽路にある、妻籠(つまご)や馬籠(まごめ)、奈良井(ならい)の宿場は、その代表格と言えるでしょう。また、その他にも、近江路の醒井(さめがい)や柏原の宿場町、美濃路にある大湫宿(おおくてじゅく)、信濃路の長久保宿など、多くのところで、宿場町の面影を今に伝えているのです。

 それに比べて、東海道は、やはり、中山道とは大違い。多くの宿場は、市街地整備が進んでいて、往時の町並みを残すところは、それほど多くありません。

 今回は、その中でも、幾つかの特筆すべき宿場町を紹介したいと思います。開発が進んでいる東海道の沿線にも、僅かながら、魅力ある宿場町が残されているのです。

 

 

 関宿

 東海道の宿場町では、三重県伊勢路にある関宿が、唯一、往時の姿をよく残しているところです。関宿は、国の重要伝統的建造物群保存地区に指定され、町並みの保存状態は良好です。

 

※関宿の地蔵院前にある会津屋辺り。

 

 中山道妻籠宿や、奈良井宿を訪れた方は、少なくないと思います。この二つの宿場町。まるで、江戸時代に戻ったような、歴史的な町並みを残しています。今に残る、街道の、重要な遺跡と言っても過言ではないでしょう。

 そのような宿場町と引けを取らない町並みが、東海道でただ一つ、関宿に残っています。

 

※高札場と宿場の町並み。

 

 関宿は、亀山市の領域にあり、亀山の市街地から、それほど離れた場所ではありません。新名神高速道路を利用すれば、関西や中京方面からも、容易に訪れることが可能です。また、電車では、JR関西本線の関駅から、歩いて数分のところです。

 今の時代に、見事に残る歴史の町を、ぜひとも、ご覧いただきたいと思います。

 

※関宿の様子。

 

 土山宿

 関宿に次ぐ宿場町は、何か所かありますが、そのグレードは、随分と、水を開けられた感じです。その内の一つが、近江路の土山宿。

 宿場町の道筋は、多くのところで、新しい住宅などに変わっていますが、途中には、本陣跡など、よく保存された建物なども見かけます。特に、宿場筋の道の流れは、往時の様子が偲ばれて、奥ゆかしさも感じます。

 

※本陣(写真中央)辺りの町並み。

 

 土山は、東海道の難所のひとつ、鈴鹿峠を東に控えたところです。江戸や伊勢に向かう時、ここから先は、厳しい坂道が続くのです。

 「歩き旅のスケッチ[東海道]8」などでも触れてきたように、かつて、京の都から、伊勢の国の斎宮(いつきのみや)に派遣された斎王たちも、この宿場近くで一夜を過ごし、鈴鹿の峠を目指したということです。

 江戸時代あたりでは、馬を引く馬子たちが、鈴鹿峠を往き来して、人や物資を送り届けていたのでしょう。

 土山宿は、峠を往き交う人々の喧騒が、聞こえてくるような宿場です。

 鈴鹿の馬子のことについては、「坂は照る照る 鈴鹿は曇る あいの土山 雨が降る」と唄われる、”鈴鹿馬子唄”を通してよく知られています。(この馬子唄のことについては、次の記事をご参照下さい。)

 

soranokaori.hatenablog.com

 

※土山宿の様子。

 

 二川宿

 次に紹介したい宿場は、三河の国の二川宿。今は、愛知県豊橋市に属しています。宿場の通りは、一直線。その多くは新しい住宅ですが、ところどころに、本陣や旅籠の建物跡も残っています。

 関宿と比べると、その趣は随分と異なりますが、宿場町の面影が感じられるところです。

 

※二川宿の様子。

 

 日坂宿

 もう一つ、見逃せない宿場町は、静岡県掛川市にある、日坂の宿場です。牧之原の台地に臨む起点にあって、大きく蛇行している坂道沿いに、宿場町がありました。今も、歴史ある建物が幾つか残り、趣あるところです。

 この先は、台地に向かう坂が続き、東海道の難所の一つ。日坂宿から、次の宿場の金谷まで、茶畑の中をすり抜ける、上り下りの台地の道は、厳しいながらも、良いハイキングコースだと思います。芭蕉の歌碑も幾つか残り、歴史の香りも味わえる道筋です。

 

※川坂屋の旅籠の建物と日坂宿

 

※本陣跡。

 

 蒲原宿

 最後に紹介したい宿場は、静岡県の蒲原宿(かんばらじゅく)。この宿場町も、その多くは新しい建物で、往時の町の面影を、それほど強く感じるところはありません。

 それでも、幾つかの伝統的な建物などが残っていて、その空気感は貴重です。

 

※蒲原宿の様子。

 

※旅籠跡の建物と町並み。

 

 間の宿、有松

 宿場と宿場の間にあって、休憩場所ともなった町を、間の宿(あいのしゅく)と呼びました。正式な宿場ではないものの、旅籠などもあったのだと思います。

 中山道には、木曽路にある平沢の集落など、幾つかの、見事に残る間の宿がありました。東海道でも、間の宿は何か所か残っていますが、その代表格は、愛知県・三河の国の有松です。

 ”有松絞り”の本場として、有名なところのようですが、私たちは、街道歩きで、始めてそのことを知りました。

 

※有松の町並み。


 間の宿の役割と、有松絞りの産地としての役割で発展してきた有松の町。西の入り口辺りでは、まるで、宿場町かと思えるほど、往時の町が残っています。

 そして、東に向かうに従って、少し様子が変わってきます。建物は、次第に重厚感が増していき、富の集積感が漂ってくるのです。

 不思議な空間が広がる有松の町。推薦できる街道筋の名所です。

 

※東側の有松の町並み。