旅素描~たびのスケッチ

気ままな旅のブログです。目に写る風景や歴史の跡を描ければと思います。

歩き旅のスケッチ・・・中山道

中山道

 

 中山道は江戸の日本橋から京の都三条大橋まで、69宿を辿る往時の主要街道のひとつです。江戸から武州、上州と関東平野を奥深くまで進み、信濃へ。そして、山中を木曽から美濃へと抜け、近江を横断して都に入ります。野を進み山を越えてつながる中山道は、太平洋に沿うように延びる東海道とは随分趣が異なっています。

 

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※左、19沓掛宿・18軽井沢宿間。浅間山を望む。右、34奈良井宿*1

  都から江戸へ

 江戸時代が終わり、近代の世の中になって150年。街道の名残が失せてしまっているところもありますが、それでもまだ中山道は、往時の面影を残すところは少なくありません。

 今の時代、かつての街道を徒歩で往来することは考えられないことですが、往時を偲んで宿場を訪れる旅行者や街道巡りを楽しむ人は後を絶ちません。そして、江戸から都まで、69次をすべて歩きつなぐ人も増えてきています。

 多くの人の心を引き付ける中山道。宿場の趣や昔ながらの街道の雰囲気を味わいながら歩く旅は魅力満載です。

 

 中山道を歩くスタイルは人それぞれ。江戸から都、あるいは、都から江戸へと、一気に踏破する人もいれば、時間のある時に、少しずつ道程をつないでいく人もいます。自分の形で進むこと、それが何よりの歩き旅です。

 私たち夫婦は、基本的には、都から江戸に向かって、少しずつ歩みをつなげて行きました。そして、日本橋に足を踏み入れた時には、中山道を歩き始めて3年半の年月が経過していたのです。

 今回から始める「歩き旅のスケッチ」では、私たちが辿った中山道とその魅力を、文字のスケッチでお伝えしていきます。

 

※ご注意

「歩き旅のスケッチ・・・中山道」は、このブログのコンセプトでもある”気まま旅”のように、自由に場所と区間を設定して書き進める予定です。都から江戸へとつながる道中を順に紹介することはありません。また、経路を省略することもあると思います。気ままなブログを、気ままにお読みいただければと思います。

 

 東海道と重なる中山道

 中山道69次は、68番目の草津宿東海道と合流します。琵琶湖から少し離れて南西に向かう中山道に、南東方向から延びてきた東海道が直角にぶつかるという感じです。二つの街道が結ばれるT字路に立つ石碑は、ここが、当時の交通の要衝であったことを思い起させてくれます。

 そして、この草津宿から京の都三条大橋までは、東海道でもあり、中山道でもあるのです。

 

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草津宿東海道中山道の合流点。

 

 草津宿東海道との合流地点から少し先に進むと草津本陣が構えています。内部は資料館となっており、本陣の様子や役割がよく分かります。

 街道は草津の宿場町を出て南草津へ。さらに、瀬田一里山(いちりやま)の丘に入ります。瀬田川が近づくとしばらくは整備された道路を歩くことになり、わずかに瀬田の唐橋が歴史を感じるスポットです。唐橋を渡ると石山です。そして、膳所(ぜぜ)に近づくまでは街道の面影は薄れます。

 膳所では、松尾芭蕉墓所としても有名な義仲寺*2前を通ります。そして、町屋の面影を残した大津の旧市内へ。それほど人通りの多くない住宅地を進み、大津駅前の大通りを横切ると、右手に琵琶湖を見ながら69次最後の宿場、大津宿に到着です。

 大津宿を出ると逢坂山の山越え。多くの車が行き来する国道1号線の幹線道路を歩きます。そして都を目前とした山科の街並みに入り、清水(きよみず)裏の坂道を上り、下り始めると蹴上(けあげ)です。道は既に三条通り。緩く下る坂道の前方には京の都が見えてきます。三条大橋はもう間もなくです。

 

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※左、瀬田の唐橋。右、京都三条大橋。

 

 東海道中山道が重なる草津宿三条大橋間は、なだらかに屈曲しながら続く道と、街の老舗や寺社などが、辛うじて街道の面影を残しています。既に車道に飲み込まれたところや整備された市街地などもありますが、そこが街道であったという証を何とか感じ取ることができる区間です。

 江戸から海伝いに西に進み、箱根の関所や峠を越え、何本もの川を横切りながら鈴鹿の山中へ。そして坂を下り、近江の草津宿に辿り着く東海道

 江戸から北に向かって荒川を越え、上州の奥深く、碓氷峠の難所に始まり、幾多の峠越えを余儀なくされて美濃、近江へと向かい、草津宿に達する中山道

 2つの街道が1つになったこの区間は、それこそ賑やかに、道中の思い出話が語り合われたことでしょう。

 一方、京の都から江戸へ向かう人たちは、草津の宿場からその先は、大きく異なる街道の風景が待ち受けています。何を想い、何が理由でそれぞれの進む方向を定めさせたのでしょうか。

 

 次回からは、私たちが辿った中山道の風景を少しずつお伝えしていきます。最初は、49番御嵩宿(みたけ)から46番大井宿。都から江戸を目指す街道の最初の難所が待ち受けます。

 

中山道の経路について

 中山道を歩くには地図が必須です。書籍なども有用ですが、私たちは主に「人力」というサイトを利用させていただきました。Google地図の位置情報と「人力」があれば、それほど道を間違えることはありません。

*1:宿場の頭の番号は江戸からの宿場番号です。写真説明ではこの方法で宿場を紹介します。

*2:義仲寺(ぎちゅうじ)は、木曽義仲ゆかりの寺です。中山道を歩いていると、36番目の宿場が木曽の宮ノ腰宿。そこは木曽義仲の挙兵地として知られています。