旅素描~たびのスケッチ

気ままな旅のブログです。目に写る風景や歴史の跡を描ければと思います。

歩き旅のスケッチ[中山道総集編]11・・・街道筋(前編)

 街道筋の風景

 

 今回からは、中山道総集編の最後として、街道筋を振り返ります。中山道は、都から江戸日本橋まで、530Kmを超える道のりです。この長い道中で、宿場町や間の宿、峠道以外にも、心に残る風景は少なくはありません。

 往時が偲ばれる街道筋や、雄大な山の風景など、魅力ある中山道のスポットをお伝えしたいと思います。

 

 

 瀬田の唐橋

 近江の中山道は、逢坂の関を下って大津の宿場に入っても、自動車道路や市街地の街中を歩くため、街道の雰囲気をそれほど感じるところはありません。僅かに、膳所の沿道に、古い家並みや由緒ある寺院がある程度。どちらかと言えば、普通の町中の道筋です。

 続く石山も、商店が並ぶ道。中山道は、完全に近代道路に吸収され、往時の面影はありません。

 そんな街道も、石山の商店筋を通り抜けて左折すると、その先に、瀬田の唐橋が現れます。この橋は、琵琶湖から流れ出る唯一の川である、瀬田川に架かる橋。琵琶湖や比叡の山並みが望める景勝地です。

 橋そのものは、今は、近代的な構造ですが、欄干などに意匠が凝らされ、良い雰囲気が漂います。

 中山道には、数々の橋があり、それこそ歴史を語り継ぐ橋も幾つかありました。それでも、思い起すと、往時の意匠が施された趣のある橋は、それほど多くはありません。歴史が偲ばれる姿を見せているのは、この瀬田の唐橋と、板橋宿の象徴である板橋ぐらいだと思います。 

 

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瀬田の唐橋から大津方面を望む。

 

 番場の宿と伊吹山

 63番鳥居本宿を過ぎた後、摺針峠の山道を越え、62番番場の宿場に向かっていくと、正面に、伊吹山が望めます。

 伊吹山は、標高は、1,300mほどの山。それほど高くはないものの、勇壮な姿です。周辺の山並みが少ないため、独立峰のようになっていて、遠くからでも目立ちます。

 かつての旅人は、歩みの目印として、伊吹山の姿を追っていたのかも知れません。

 伊吹山は、信州の浅間山を彷彿とさせる姿です。規模や雄大さは、浅間山にはとても及びはしませんが、この辺りの風景は、山と街道との位置関係なども含めて、信州の東部の街道筋とよく似た風景のように感じます。

 

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※番場宿の入口辺りから望む伊吹山

 

 関ヶ原の松並木

 次は、関ヶ原の松並木。58番関ヶ原宿を出たすぐ後に、国道21号線から左手の旧道に入ると、この松並木が現れます。

 中山道には、元々、どれほどの松並木があったのか、定かではありません。今では、所々に僅かな名残はありますが、並木道として、それと分かるところは極めて限られていると言って良いでしょう。この関ヶ原以外には、26番芦田宿の直前にある、笠取峠の松並木が、唯一、見所あるところです。

 東海道が、多くの場所で立派な松並木を残しているのと比べると、随分様子が異なります。美濃、木曽、信州と、山の中を進む中山道は、そもそもその大半が木々に囲まれているために、並木の道はそれほど必要がなかったのかも知れません。

 

 関ヶ原の松並木は、車でも訪れることが可能です。舗装道路の一部には、インターロッキングの意匠が施され、景観づくりの工夫が見られます。途中には、休憩所や案内板などもあり、街道の雰囲気が味わえる道筋です。

 

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関ヶ原の松並木。

 小野の滝と寝覚の床

 木曽路中山道、38番上松宿(あげまつじゅく)の少し手前に、安藤広重が、木曽街道69次の浮世絵に描いた、小野の滝がありました。この滝は、国道19号線沿いにあることから、車でも訪れることができますが、今は、JR中央線の高架の陰に隠れていて、車では少し分かりにくい所です。

 ただ、街道を歩いていると、標識や広重の浮世絵に関する説明板なども整備され、すぐそこに美しい滝の姿を目にすることが可能です。細いながらも、一筋に落ちる滝の姿は、そこそこの落差もあって、見とれてしまうような可憐さも。39番須原の宿から8Kmほどの場所にあり、長距離の歩みの疲れを癒してくれるところです。

 

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※小野の滝。

 

 小野の滝を後にして、しばらく旧道の山道を進むと、寝覚の集落に入ります。この集落は、間の宿とも思えるような家並みが少しだけ残っていて、良い雰囲気の道筋です。

 寝覚の集落は、浦島伝説で知られる寝覚の床(ねざめのとこ)で有名です。切り立った、木曽川の谷間には、大きな岩盤があらわになって、その岩の隙間を縫うように、水の流れがつながって、下流へと流れているのです。

 浦島太郎は、竜宮城から戻った後、この木曽の地で暮らし、いつしか谷間にある岩盤の上で玉手箱を開けてしまったという伝説が残る寝覚の床。海からは、遠く離れているにもかかわらず、どうしてこのような伝説が生まれたのか、不思議でなりません。

 日本の幾つかの場所に残る浦島伝説は、その土地土地で、物語が派生して、アレンジされながら語り継がれていったことでしょう。

 不思議なことに、寝覚の床を見下ろす位置に、臨川寺というお寺があって、そこには、浦島太郎にまつわる資料などが保管されているのです。境内にある、小さな資料館には、浦島太郎の釣り竿や、助けた亀の甲羅などが展示され、まことしやかに語り継がれる伝説に、心が和んだものでした。

 

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※左、寝覚の床の流れ。右、臨川寺の入口。 

 

 小野の滝と寝覚の床は、上松宿まであと一息のところにある景勝地中山道の旅を続けた先人たちも、この地でひと時の安らぎを得たに違いないと思います。