旅素描~たびのスケッチ

気ままな旅のブログです。目に写る風景や歴史の跡を描ければと思います。

歩き旅のスケッチ[北国街道]13・・・上田市へ

 上田市

 

 上田市は真田氏の居城である、上田城の城下町として有名なところです。長野県では、長野市松本市に続く人口規模を誇る街。千曲川上流地域の中心都市と言えるでしょう。街の中心は、千曲川のすぐ北側。菅平の高原が狭い平地に迫ります。

 一方で、千曲川の南の地域は広く開けた土地が延び、そこを、上田電鉄の別所線が走っています。別所線の終着駅は、北向観音(きたむきかんのん)で有名な別所温泉駅。その北向観音には、”花も嵐も踏み越えて”、で有名な愛染かつらの名木が、今もその姿を残しています。

 

別所温泉にある北向観音参道の入口と北向観音本堂。

 

 街道は、上田の街の中心の東側を通過して、その後、街の北西へと向かいます。上田城近くを通ってはいるものの、それほど接近することはありません。城域と距離を置きながら、街道は、城下町の一角を縫うようにして通り過ぎているのです。

 

 

 上田市を通る街道

 上田市を通る街道の道筋は、下の地図の通りです。右下が、しなの鉄道線信濃国分寺駅があるところ。そこから北西に向かうのですが、途中、上田城に近づくと、やや北向きに進路を変えて、城域の北の地域を通ります。

 私たちは、街道歩きの第3日目。信濃国分寺駅を出発し、千曲川右岸道路に舞い戻り、街道歩きを始めます。

 

上田市を通過する北国街道の道筋。

 

 国分の町

 千曲川の右岸道路に戻った先で、街道は、旧道に入ります。そこは、新しい民家が建ち並んではいるものの、古くからの集落なのかも知れません。家の敷地はそこそこ広く、庭のあるお屋敷なども見られます。

 

※国分の集落を通り抜けます。

 

 途中には、立派な鎧板を配した塀が囲んだお屋敷もありました。この屋敷、門構えも見事な造りで、中には、倉庫風の建物なども見られます。おそらくは、由緒あるお屋敷なのだと思います。

 

※見事な塀で囲まれたお屋敷もありました。

 

 新幹線

 旧道は、やがて、北陸新幹線の軌道に沿った道に出て、その後しばらく、軌道伝いに進みます。

 この新幹線、軽井沢から佐久平(さくだいら)を経て上田へと繋がりますが、佐久平駅から上田駅の間の路線は、千曲川の南地域の山中を通っています。そして、上田市の国分の地で、千曲川に架けられた上田ハープ橋を通過して上田市へと向かうことになるのです。

 

北陸新幹線の軌道伝いの道に出た街道。

 

 上堀(うわぼり)交差点

 新幹線の軌道伝いにしばらく進んだその先で、街道は、新幹線から離れます。この辺り、新幹線は千曲川の右岸伝いに上田駅へと向かうのですが、街道は、やや、内陸を進みます。

 新幹線の軌道と離れた街道は、その先で、上堀の交差点を迎えます。この交差点、左右の道は、千曲川の右岸と左岸を繋ぐ道。街道は、真っ直ぐに、北西方面に向かいます。

 

※上堀の交差点。

 

 上堀交差点を過ぎた後、街道は、旧道の雰囲気に変わります。狭い道幅の街道が、ゆったりと弧を描くようにして続きます。

 道沿いは、古くからの民家が並び、かつての街道筋の面影が見られるようなところです。

 

※旧道の雰囲気が漂う街道筋。

 

 旧市街地へ

 道は旧道の状態から、やや広めの道へと移り変わって、住宅地が広がる地域に入ります。

 ゆるやかに上る道。千曲川からやや距離を開けた地域へと向かって行くような感覚です。

 

※住宅が広がる地域を進みます。

 

 道は、住宅地をすり抜けるように続いています。もう随分と、上田の城下に近づいてきたのでしょうか。道沿いには、格子戸に覆われた、旧家なども見られるようになりました。

 

※格子戸に囲まれた旧家の前を通る街道。

 

 信州大学

 しばらくすると、街道は、クランク状に折れる道に入ります。先ずは右に折れ、その先で左に折れて進むのですが、左に折れるところには、「信州大学繊維学部」と記された、立派な看板がありました。

 なるほど、信州大学は一つのキャンパスに統合はされておらず、長野市松本市、そして、ここ上田市にもキャンパスがあったのです。

 私たちは、信州大学前を通り過ぎ、上田市の中心地へと近づきます。

 

信州大学繊維学部があるクランク状の道筋。

 

 科野大宮社

 信州大学前を過ぎた後、直線状に区画された道筋を通ります。そして、その先で、やや変則の交差点を迎えます。

 この交差点、突き当りのところには神社の境内です。そして道は、神社の境内の左手の側面に沿い、真っ直ぐ延びていくのです。

 

※街道は、科野大宮社に突き当たります。

 

 この神社、科野大宮社と呼ばれています。由緒などは分かりませんが、”科野”とつくからには、信濃の国の由緒ある神社なのでしょう。私たちは、神社に立ち寄り、本殿前で参拝です。

 さて、神社の左側面は、実は、神社の正門前。この先の街道は、この正門前の道筋を北西方向に向かっています。

 

※科野大宮社正門前。

 

 城下へ

 科野大宮社を後にして、北西方面へと向かいます。道は、それほどの広さはないものの、旧道というよりも、やや整備された道筋です。

 道沿いは主に民家が並び、ところどころでお店なども見られます。次第に、上田の城下が迫ってきた感じです。

 

※城下町に近づいてきた感じの町並み。

 

 横町

 北西に進んで来た街道は、その先でT字路となり、一旦北東方向に向かいます。この道は、横町と呼ばれていて、城下町の一角を構成していたところです。

 今は、中層のビルが建ち並び、もう、城下町の面影はありません。

 

※横町の通り。

 横町の通りには、下のような案内板がありました。これを見ると、この先の海野町(うんのちょう)が発展するに至ったために、旅籠屋や商家などが増加して、この横町にも町並みが広がってきた様子です。

 街道は、この横町を通り過ぎ、海野の町へと続きます。

 

※横町の道沿いに置かれた案内板。