旅素描~たびのスケッチ

気ままな旅のブログです。目に写る風景や歴史の跡を描ければと思います。

巡り旅のスケッチ(四国巡拝)51・・・阿波路(1番札所、霊山寺)

 四国巡礼の起点

 

 四国八十八か所霊場の、1番札所は、鳴門市にある霊山寺(りょうぜんじ)。関西からは、淡路島を縦断し、渦潮を見下ろしながら、大鳴門橋を通って鳴門市に入ります。その後、県道12号線を10分ほど西に進むと、霊山寺に到着です。

 1番札所は、お遍路さんにとっては、特別な場所と言えるでしょう。これから始まる巡礼の道中を思い描いて、あるいは不安に駆られつつ、あるいは、武者震いするような期待を込めて、この地に足を踏み入れます。

 今回の私たちの霊場巡りは、普通とは反対の、逆回りの巡礼です。この場合、結願となる札所が、1番目の霊山寺。いよいよ、終着点に到着です。

 

 

 霊山寺

 極楽寺から霊山寺へは、県道を数分走れば到着します。歩いても30分ほどの道のりで、至近距離と言っても良いでしょう。

 県道には、霊山寺を案内する幾つもの案内板が配置され、いかにも巡礼の拠点といった様相です。門前の周辺には、何軒かのお店もあって、四国1番霊場の雰囲気を盛り上げます。

 霊山寺の駐車場は、仁王門前を通り過ぎたところの左側。入口は、それほど広くはないものの、奥行きがそこそこあって、広々とした敷地です。

 以前訪れた時は、大型バスが何台も駐車していて、活気のある場所でした。今回は、時期も時期。参拝者の姿はそれほど多くはありません。

 

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霊山寺の駐車場。建物は、案内所兼納経所。

 

 お遍路の準備

 霊山寺の駐車場には、お堂を模した案内所が設けられ、参拝者が必要とする、様々な情報を入手することが可能です。案内所はまた、遍路用具の販売所も兼ねていて、必要な装備などが手に入ります。

 お遍路さんの装備としては、白衣や菅笠、金剛杖など、正式には大層な身なりが必要とされるのですが、今では、それほどこだわりは無いようです。私たちも、当初は納経帳だけをリュックに入れて、気軽に札所巡りをしたものでした。

 それでも、霊場巡りを重ねると、せめて、白衣だけでもという気になりますし、その後は、菅笠も悪くはない、と言いながら、少しずつ揃えるようになったのです。

 

 ただ、最初から、そこそこの身なりを装うという方は、この霊山寺の案内所ですべて揃えることができると思います。

 なお、この案内所は、納経所も兼ねていて、1番札所を参拝した後、御朱印はこの中でいただきます。先ずは、境内に足を向け、参拝の後、案内所に立ち寄って、必要な用具を整えるという順序でも良いでしょう。

 

 発心の門

 案内所から、駐車場の入口へと戻ったところに、朱塗りの鳥居が構えています。この鳥居は、発心の門。その名の通り、巡礼を志し、苦行の道へと踏み出す決意を固めるところです。

 以前も触れたことがあるように、阿波の国の巡礼は、「発心の道場」と呼ばれます。発心の門は、発心の道場への入口にあり、この先、阿波、土佐、伊予を経て、讃岐の国へと向かうことになるのです。

 

 霊場の順序

 少し蛇足のようなことですが、なぜ、鳴門市の霊山寺四国八十八か所の1番札所となったのか、疑問を感じないではありません。

 本来は、弘法大師の生誕地である、75番善通寺から始めてもおかしくはなかったと思うのです。この辺り、よく調べる必要がありますが、どうも、淡路島を経て四国に入るルートが多用されされた結果という説があり、理屈上、この説が理解しやすいのではないかと思います。

 札所の順序は、効率的に配置され、できるだけ、無駄足を使わないような流れを描きます。この順番は、それぞれの霊場の代名詞のようになっていて、寺院の名前と札所の順は、密接な関係を保ちます。

 

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※発心の門。

 

 仁王門

 発心の門を潜り抜け、少し歩いた右側が霊山寺の入口です。そこには、堂々とした仁王門が来る人を迎え入れ、その先の石橋へと誘導します。

 

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※仁王門。

 

 三鈷の松

 境内に進んで石橋を渡ると、右側に大きな池を配した庭園が広がります。庭園の中ほどには、右に折れるもう一つの橋が架けられていて、その先には大師堂がありました。この大師堂をよく見ると、正面には、一本のロープが引かれています。このロープの片側は、池を渡った向かいにある松の木です。

 仁王門から、石橋を越えたところに植えられたこの松は、「三鈷の松」と呼ばれています。この名称は、真言密教で使われる法具のひとつ、三鈷杵(さんこしょ)に由来していて、弘法大師像が手にする法具(三鈷杵)がその根拠という訳です。

 この三鈷杵に絡んだ伝説は、あちこちで、伝えられるお話です。

 その内容は、空海が、唐の長安から投じた三鈷杵が、日本の、どこどこの松の木にあったのだ、と言うものです。あるいは、高野山すらそんな伝説を背負っているとか、という話を聞くと、空海は、「密教とはそのようなものではない」と、嘆いているような気がしてなりません。

 

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霊山寺の庭園と三鈷の松(石橋の向うの松)。右端が大師堂。

 

 霊山寺

 霊山寺の本堂は、三鈷の松を通り過ぎた正面奥。入口が、広く開かれたお堂の姿は、何となく異国情緒を感じます。天井から、吊り下げられた、たくさんの灯籠や、開かれたお堂の様子は、台湾などの寺院でも見られるような構造です。

 

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霊山寺本堂。

 八十八か所の霊場を巡り終えて、霊山寺の本堂と大師堂でお礼の気持ちを伝えます。最後は、案内所にある納経所で御朱印をいただいて、私たちの逆打ちの巡拝はひとつの幕が降りました。

 

 2020年の閏年、世の通例に従って、逆回りで始めた四国の旅も、足かけ9日間の行程で結願することができました。

 弘法大師の面影を追い、風光明媚な四国の自然を味わいながら、時には厳しい道のりを踏み越えて、最後の霊場の参拝を終了です。

 時を待たずに、再び霊場を巡り歩く自分たちの姿を想像しながら、四国の地を離れます。

 

 次回は、唐の長安から帰国した後の空海の足跡を少し追ってみたいと思います。