旅素描~たびのスケッチ

気ままな旅のブログです。目に写る風景や歴史の跡を描ければと思います。

巡り旅のスケッチ(四国巡拝)46・・・阿波路(12番焼山寺)

 遍路ころがし

 

 四国遍路の巡礼では、幾つかの独特の言葉が使われます。例えば、今回の私たちがしているように、八十八か所の霊場を逆回りで巡る巡礼は、「逆打ち」と呼ばれます。また、四国4県の、ひとつの県だけ巡る場合は、「一国参り」と言うそうです。

 そして、厳しい山岳の中に踏み込むときは、「遍路ころがし」と呼ばれるように、お遍路さんが転げ落ちでもするかのような、急坂の難所が待ち構えます。歩き遍路の方々にとっては、この言葉は、心が折れるような気持にもなるのでしょう。

 次の札所の焼山寺。まさに、「遍路ころがし」を代表する札所です。

 

 

 再び山の中へ

 大日寺を出た後は、鮎喰川の右岸に沿って上流へと向かいます。道は次第に山の中に吸い込まれ、徳島県神山町の領域に入ります。

 道は、四国山地の北縁の山並みを、谷あいを縫うように南へと縦断し、鮎喰川が形づくった、谷間の狭い盆地へと進みます。この少し開けた盆地の辺りが、神山町の中心部。町を貫く、国道438号線をしばらく西に向かった後で、右に折れ、直後に鮎喰川を渡ります。この道は、県道で、再び山の中に入り込み、道幅もところどころで狭まります。

 

 やがて、県道から左にそれて、さらに山の中へと向かいます。山道への入口辺りは、小さな集落もありますが、その一角に、「おへんろ駅」の看板が掲げられた駐車場がありました。

 この駐車場は、おそらく、バス専用ではないかと思います。大型バスで巡拝されるツアーでは、場所によっては、このような駐車場が準備され、小型自動車への乗り換え基地として利用されているのです。

 

 駐車場を通り過ぎると、道は、心細くなるような狭い道幅へと変わります。ここからは、山道をひたすら上り続けます。

 

 木々に覆われ、崖地が続く坂道を20分ほど上った頃、突然空が開ける空間へ。やがて、険しい山中に、焼山寺の広大な駐車場が現れます。余りにも広々とした駐車場は、これまでの、心細い山道の道中とは似つかわしくはありません。霊験あらたかな霊場の峰とは思えないほど、立派な駐車場が開けています。

 

 私たちは車を停めて、境内に続く参道に向かいます。その道は、崖地に沿って奥へと続き、入口には、布袋さんのような石像が、微笑みながら来る人を迎えています。

 

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※駐車場から境内へと向かう入口。

 

 焼山寺

 境内へと続く参道は、右側が山の斜面で、左には石造りの保護柵が続きます。山の斜面は、ところどころに石像などが配置され、参拝者の目を引き付けます。

 

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※境内へと続く参道の様子。

 

 やがて、崖地の小径の右手には、杉の大木に包まれた、歴史を感じる石段が現れます。

 境内は、この石段を上ったところです。険しい山の中の霊場へ、一歩ずつ、あゆみを進めて近づきます。  

 

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※境内に向かう石の階段。仁王門も望めます。

 焼山寺

 仁王門をくぐった先は、なだらかな傾斜地が広がる境内です。左には納経所などの建物があり、正面奥の一段上がったところに、本堂などのお堂の屋根が見えました。

 仁王門から先に広がる空間は、大木が厳かに境内を取り囲み、深遠な雰囲気が漂います。正に、険しい山地に築かれた霊場からの、不思議なエネルギーが満ちているようなところです。

 

 霊験な空気を感じながら、境内を先に進んで、本堂へと向かいます。焼山寺の大師堂は、本堂のすぐ右側。2つのお堂は、肩を並べるように佇みます。

 

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※左、本堂。右、大師堂。

 遍路ころがし

 焼山寺は、「遍路ころがし」で有名な霊場です。順巡りで周った場合、最初に立ちはだかる難所として、この寺院の名前は、参拝者の脳裏に刻まれます。歩き遍路を行う場合、焼山寺への道筋は、11番藤井寺から、ほぼ1日を費やして、山中の険しい山道歩くのです。

 私たちも、いつの日か、このルートを辿りたいとは思っていますが、なかなか、その勇気がありません。それでも、焼山寺は特別で、お遍路さん達にとっては、八十八か所の寺院の中でも、最も心を寄せる札所のひとつなのだと思います。

 

 以前、少し触れたように、衛門三郎が弘法大師に巡り会うため、21回目の巡礼を、逆周りで敢行した時、この焼山寺を目前にして、命が尽きてしまいます。(このお話は「巡り旅のスケッチ(四国巡拝)22」を参照ください。)

 三郎が絶命する直前に、弘法大師が現れて、三郎の願いが叶えられるわけですが、その場所がこの焼山寺の近くに残されているというのです。次回に巡拝を行う時は、ぜひとも、杖杉庵(じょうしょうあん)と名付けられたその場所を、訪れてみたいと思います。

 

 焼山寺の縁起

 焼山寺という名称は、寺院の名として、少し不思議な響きを感じます。素直に読むと、山が焼けるということですが、そのような物騒な名が付けられるはずはありません。あるいは、紅葉が映える山なのか、とも想像をしていたところ、焼山寺の境内にあった寺院の縁起で、その疑問が解けました。

 縁起の解説では、

 

 「その昔、この山一帯は毒蛇の棲む魔域で、しばしば大雨を降らし、或いは大風を起こし、・・・付近の人民を虐げていた。大師は、かかる魔境をこそ仏法鎮護の霊域とすべきであると山を登られた。大師の開創を恐れた魔性共は全山を火焔として聖者の行を阻み妨げたが、大師は恐れず印を契んで敢然と登られるや、不思議と劫火(ごうか)は見る見る消え衰え、大師の法力により天変地異あとを絶ち、楽土と甦った。」

 

 とのこと。魔性が放った火が山を覆い、弘法大師がそれをしずめたとの伝説が、焼山寺の名前の由来であったのです。

 

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焼山寺の本堂(左)と大師堂。

 四国遍路の聖地、と言っても過言ではない焼山寺の参拝を終え、私たちは、この日の巡拝を終えました。

 翌日は、残る11か寺の参拝です。11番藤井寺から、一気に1番札所の霊山寺を目指します。