旅素描~たびのスケッチ

気ままな旅のブログです。目に写る風景や歴史の跡を描ければと思います。

巡り旅のスケッチ(四国巡拝)45・・・阿波路(15番→13番)

 徳島市の3か寺

 

 徳島市霊場は、残すところ3か寺です。四国三郎(しこくさぶろう)の異名を持つ、吉野川の南の地域を、南西の方角へと向かいます。

 吉野川を挟んだ霊場は、この先、11番目の札所までは、概ね東から西へと進み、川の流れに逆らうように、上流を目指します。

 

 

 国分寺

 観音寺を後にして、国府の地域を南へと向かいます。国府は、元は阿波の国の中心地。次の札所の”国分寺”という名前も含め、そのことを裏付けているように思います。 

 これまでも、讃岐、伊予、土佐の国を巡る中で、必ず、”国分寺”がありました。また、”国分寺”の近くには、概ね、”府中”や”国府”という地名が残っているのです。

 

 阿波の国の”国分寺”は、観音寺から15分ほど南に向かったところです。古くからの集落を進んだところに、国分寺の境内がありました。途中の道はかなり細くて、注意が必要な道筋です。

 

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国分寺の山門

 

 国分寺

 国分寺の山門は、駐車場のすぐそばです。入口の正面奥には、本堂がありますが、私たちが訪ねた時は、生憎と、改修工事の真っただ中。足場に覆われた姿しか見えません。

 本堂の参拝は、隣接地に設けられた小さなお堂で行います。

 阿波の国の国分寺は、四国にある、4か所の国分と比較して、その敷地は随分と小ぶりです。それでも、山門近くに据えられた、阿波国分寺跡の解説では、「現在の国分寺を中心とした方2町(約218m四方)におよぶ範囲に存在していたと考えられている。」と記されていて、元はかなり大きな敷地を誇っていた様子です。

 

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※改修中の本堂(左)と、仮本堂(右)。

 

 本堂は改修中ではあったのですが、山門の右にある大師堂は、本来のお堂の姿が拝めます。美しいお堂を目におさめ、大師堂の参拝を済ませます。

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※大師堂。

 常楽寺
 続く札所は、14番常楽寺(じょうらくじ)。国分寺からは、わずか1分ほど細い道をすり抜けたところです。

 常楽寺の駐車場は、確か、少し坂道を上ったところだったと思うのですが、残念ながら、今その光景を思い起すことができません。ただ、何れにしても、小高い丘の登り口のような辺りに、境内があったような気がします。

 

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常楽寺の境内。

 

 常楽寺

 常楽寺の境内は、石の参道や砂利敷きではなく、自然のままの岩場です。流水岩と呼ばれている岩肌は、ゴツゴツとした状態で、足元に細心の注意を払って進みます。

 境内の途中には、右側に、アララギの大木が威容を放ち、その奥が本堂という配置です。

 

 常楽寺の本尊は、弥勒菩薩(みろくぼさつ)とされていて、この本尊を祀る霊場は、四国八十八か所では、唯一の寺院だということです。

 弥勒菩薩は、空海にとっても、重要な位置づけをもつ仏です。お釈迦様の後継者とされる弥勒菩薩は、兜率天(とそつてん)という天界に住まわれて、気の遠くなるような年月を経て、人類を救われます。

 空海は、若い頃、この弥勒菩薩を追い求め、修行に励まれたというのです。

 これまでも、折に触れて記したように、弘法大師の考えは、宗教と言うよりも、むしろ哲学の世界です。私には、大師の偉業の一端にすら、近づくことはできません。

 

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※本堂とアララギの幹。

 

 常楽寺の大師堂は、境内の中ほどの右手です。流水岩を踏みしめて、大師堂に移動して、その後、納経所でご朱印をいただきます。

 

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※大師堂。

 大日寺

 常楽寺を出て、次は13番大日寺(だいにちじ)へと向かいます。常楽寺から、細い道をすり抜けて、国道192号線に入った後で、少しの間南の方向へ。その後、吉野川の支流のひとつ、鮎喰川の左岸堤防に突き当り、そこから西を目指します。

 一宮という地域に入り、鮎喰川を横切って県道をしばらく進むと、左手は徐々に山が迫る地形に変わります。道も大きく蛇行しながら、山裾をすり抜けます。

 やがて、右に大日寺の山門が見え、左手は、阿波の国の一宮神社。神仏それぞれの霊場が、道を挟んで向かい合うように並びます。

 大日寺の駐車場は、山門から100mほど進んだ先の左手です。そこに車を停めて、山門へと戻ります。

 

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大日寺の駐車場(写真の右奥)を出て、山門へと戻ります。道路の右側の木々は一宮神社。

 

 大日寺

 大日寺の山門は、県道に面しているため、車の通行を気にするように、門の方へと向かいます。途中、左側には、旅館のような建物がありますが、その並びには、大日寺の宿坊もありました。

 宿坊のすぐ隣が境内で、山門はその少し先の左手です。県道から数段の石の階段を上り、山門をくぐります。

 境内に入った所の正面には、珍しい、色鮮やかな観音像がありました。この観音像、しあわせ観音と呼ばれている、可愛らしい石像で、来る人の目を引き付けます。

 振り向くと、今通り過ぎた山門の向うには、一宮神社の石柱が見通せます。この姿を確認すると、大日寺と一宮神社の一体感が伝わります。

 

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※左、大日寺の山門。右、大日寺の境内から山門を通して一宮神社の石柱が確認できます。

 

 大日寺の本堂は、境内の左奥。正面の唐破風の屋根が立派で、堂々としたお堂です。

 大師堂は、本堂とは反対の右奥です。しあわせ観音を横切って、境内の右方向に向かいます。

 

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※ 左、本堂。右、大師堂。

 

 大日寺は、名前から想像すると、大日如来を本尊としているはずだと思っていたら、13番札所では、十一面観世音菩薩が本尊ということです。元は、大日如来の寺院であったようですが、紆余曲折を経て、今の姿になったのでしょう。

 四国八十八か所で、”大日寺”の名を頂く寺院は3か寺です。既に巡拝を終えてきた、土佐の国の28番大日寺、巡拝の最後に近い、阿波の国の4番札所大日寺。そして、今回訪れた、13番札所です。

 

 この後向かう霊場は、12番焼山寺(しょうざんじ)。難所中の難所と言われる、険しい山のへと向かいます。