出会いの後
カナダの奥深い山間の町に、今も残る、ミヤザキ・ハウス。地域の人々に愛され、親しまれてきたドクター・ミヤザキの足跡が、末永く後世に引き継がれていくことを願います。
それと同時に、遠い昔に海を渡り、想像もできない困難の中で生き抜かれた、多くの日系人の方々のことを想うとき、その勇気と力強さに敬意を表さざるを得ない思いです。
私たちがあまり知らない、日系移民の人たちの人生。リルーエットの町で、ほんの少し、触れることができたような気がします。
ミヤザキ・ハウス
ミヤザキ・ハウスに入ると、すぐ左手は診察室。そこには、かつてドクター・ミヤザキが向き合った、机や診察台、薬品棚などが、当時のままに保存されています。診察道具や薬品もそのままで、時の流れが止まったような空間です。
この部屋で、診察や治療が行われ、多くの人の命が救われたことでしょう。
※1階の診察室。
1階の廊下を挟んだ右手は、応接室。がらんとした部屋ですが、ソファーなどはそのまま残されています。そして、廊下の左手から、2階に続く階段へ。途中には、板壁に写真が飾ってありました。
2階に上がると、寝室やリビング風の幾つかの部屋がありました。ベッドや鏡台、タンスなども往時のままに置かれていて、タイムスリップをした感覚です。部屋の中は、自由に見て回ることができますが、少し雑然としたところがあって、建物や家具の傷みも目につきます。
絨毯敷きのひと部屋は、リルーエットの古い写真などの展示室。そこでは、かつての町の様子を窺うことができました。
※左、2階に上がる階段。中と右、2階の部屋の様子。
1階に下りて、廊下の突き当りのドアを開けると、そこはリビング兼ダイニング。広々とした部屋で、椅子に座った2人の年配女性が、何やら楽しくお話し中です。そのうちの1人は、もちろん、私たちがこの家に入ったとき、玄関で応対してくれた方。笑顔で部屋の案内をしてくれました。*1
リビングルームの片隅には、小さなガラスの展示棚。そこには、顕微鏡のレンズなどが置かれてありました。また、何冊かの書籍なども展示され、ドクター・ミヤザキの自伝を拝見することができました。*2
※ドクター・ミヤザキの自伝の1ページ。
ミヤザキ・ハウスを後に
念願のミヤザキ・ハウスを訪れて、リルーエットの人達が、今もドクター・ミヤザキの功績を称えつつ、その足跡を、後世に伝えていこうとする姿を拝見することができました。また、この家は、記念館としてだけではなく、リルーエットの人たちの心をつなぐ場所。地域コミュニティーに、無くてはならない集いの空間でもあるのです。
私たちは、ミヤザキ・ハウスを後にして、ドクター・ミヤザキも歩いたであろう、リルーエットの町を、ゆっくりと散策です。
メインストリートは、片側3車線でも取れそうな、広々とした道路です。車はあまり走っておらず、信号や横断歩道もほとんどありません。
ミヤザキ・ハウスは、メインストリートの1本西、ラッセル通り(Russell Lane)に面しているため、メインストリートには、ミヤザキ・ハウスを案内する、お洒落なサインがありました。
※メインストリート。中央は、ミヤザキ・ハウスを示す看板です。奥に見える建物は、郵便局。
リルーエットの町
町の中は、1時間もあれば、ぐるっと一回りできるほどの広さです。地元で配布されている、パンフレットの航空写真を見てみると、一目瞭然。本当に小さなところです。
※リルーエットの町。(パンフレットより)
学校や公共施設、そして、レストランやモーテルなどは、主にメインストリート沿いに配置され、住宅は、山側とフレーザー川に沿った区域に広がっています。
町はずれには、鉄道の駅もあり、線路が敷設されています。ただ実際に、今でも汽車が走っているのかどうかは分かりません。
町中からすこし離れると、人の通りはほとんどなく、静かな空気が漂います。
私たちがリルーエットを訪れた日は、カナダ・デー直前の週末です。夕方までは、静かだった町中も、夜には、陽気な人々の 声が響きます。ここに住む、誰もが知り合いのようなコミュニティー。短い夏の週末の夜を、存分に楽しまれている様子です。
屋外の喧騒を、何故か心地よく聞くうちに、いつの間にか夜は更けて行きました。
翌朝、再び人気のない町中を巡り歩き、名残を惜しみながら、リルーエットの町とお別れです。今度は、フレーザー川伝いに南下して、バンクーバーへと、帰路の旅につきました。