リルーエットにて
バンクーバーから、およそ250Km。深い山の中に佇む小さな町、リルーエット。フレーザー川と、針葉樹が広がる山々の恵みを受けて、今も人々の息吹が広がります。
「私は、この町が大好きです」と、笑顔で話してくれたのは、町中のモーテルで受付をしてくれた若い女の子。こんなに暮らしやすいところはありません、と、町への愛着を語ってくれました。
都会とは随分と異なる環境の中。それでも、若者を引き付ける、豊かな何かがあるのでしょう。私たちは、この山間の町で、1泊2日の短い滞在を楽しみました。
Miyazaki House(ミヤザキ・ハウス)
リルーエットへの旅の目的は、ミヤザキ・ハウスを訪ねること。ドクター・ミヤザキが、地域医療の拠点としていた邸宅です。
数年前、機会があって、ドクター・ミヤザキのことを知り、いつか訪ねてみたい場所でした。
チェックインしたモーテルの受付で、ミヤザキ・ハウスへの行き方を訪ねると、「このホテルのすぐ裏よ」と、気さくに教えてくれました。*1モーテルの予約時に、およその位置関係は把握していましたが、目と鼻の先とは、思いもよらないことでした。
私たちは、部屋に荷物を下ろした後、早速、モーテルの裏口へ。ドアを開けると、右前方に、西洋風の立派な邸宅が見えました。
※モーテルのすぐ裏から見た、ミヤザキ・ハウス。
建物は、薄緑色の屋根と窓の庇に特徴がある造りです。玄関に上がる階段の両脇には植栽が施され、屋敷の美しさを引き立てています。
この邸宅は、もともと、ゴールドラッシュで富を成した人により、1880年代に建てられたとのこと。後に、そのオーナーの息子が、医師のいなかったこの地域に、ミヤザキ医師を迎え入れるために手放すことを申し出て、ミヤザキ医師の手に渡ったということです。
ドクター・ミヤザキとリルーエット
ここで、ドクター・ミヤザキがリルーエットに住居を構えることになったいきさつについて、簡単に触れておかなければなりません。
ドクター・ミヤザキこと宮崎政次郎氏は、1899年に、日本のある地方の村で誕生しました。*2政次郎氏の父親は、日本からカナダに渡った日系移民。幼少の頃、日本で育った政次郎氏は、父親の勧めもあって、10代半ばでカナダに渡ります。
その後、バンクーバーで暮らしつつ、苦学を重ねて大学を卒業。さらに、アメリカで医師の資格を取得されました。
しばらく、バンクーバーで医業を行っていた宮崎医師。しかし、世の中は、戦争へと突き進んでいくのです。
第2次世界大戦は、1941年12月、真珠湾攻撃を契機として大きく世界を動かします。カナダも、翌1942年に、日本に対して宣戦布告。当時、バンクーバーを含むブリティッシュコロンビア州だけでも、2万人以上いたとされる日系カナダ人は、西海岸から100マイル以上離れた内陸に、移動させられることになったのです。
この政策により、リルーエットの地域には、日系人を隔離する4つの収容所施設が設けられました。そして、宮崎医師もリルーエットへ。
時は流れ、第2次世界大戦が終結したのは、1945年。前述したように、地域の熱い願いを受けて、宮崎医師がこの邸宅を入手することになったのです。
※ドクター・ミヤザキやミヤザキ・ハウスのことについては、地元のガイドブックにも記されています。
ドクター・ミヤザキの活躍
邸宅を入手後、ミヤザキ医師は、1階部分の1室を診察室に改造し、医療活動を続けます。そして、自然厳しいリルーエットの地で、地域医療に尽力されました。*3
さらに、1950年には、地元議員にも選出され、様々な貢献を重ねられたということです。その結果、1977年にカナダ勲章を授与。1984年に生涯を閉じられてもなお、この邸宅は、ミヤザキ・ハウスとして地域に愛され、リルーエットのランドマークとして親しまれているのです。
※左、屋敷前の案内板。右、屋敷の北側から。広い芝生の庭も見えます。
屋敷の周辺
邸宅の正面に進んで、アプローチの階段前から見上げると、何とも歴史を感じる建物です。正面に向かって右側には、広い芝生の庭が広がっていました。
かつて、アメリカンドリームの典型と言われたような、白い木造りのフェンスが、屋敷の周りを取り巻いていて、その一角には、”The Story of Miyazaki Heritage House”の案内版がありました。
ミヤザキ・ハウスは、記念館のようになっていて、中に入ることも可能です。また、定期的に、イベントなども開催されている様子です。
ミヤザキ・ハウスの中へ
私たちは、正面の階段を上って玄関へ。玄関ドアは、ガラス越しに少し中も覗けます。ドアを引いて様子を見ていると、奥から1人の年配女性が現れました。
「中を見せて頂けますか?」と尋ねると、快く招き入れてくれました。
「どこから来たの?」と問われ、日本からだと伝えると、少し驚かれた様子。是非、来訪者の記帳をしていくように、と、促されました。*4
簡単に、部屋の配置を説明して頂いた後は、自由に見学です。リルーエットで活躍された、ドクター・ミヤザキの功績を想い描きながら、隅々まで、拝見させて頂くことができました。