旅素描~たびのスケッチ

気ままな旅のブログです。目に写る風景や歴史の跡を描ければと思います。

歩き旅のスケッチ38・・・中山道、江戸道中と日本橋

 中山道の終着点へ

 

 荒川を渡ると、日本橋はもう目前。ここ数日間、歩き続けた身体には、疲労感が漂うものの、逆に気持ちは軽くなり、最後の区間を楽しみます。

 中山道の最後の宿場は板橋宿。そして、巣鴨や本郷を通過して、一気に都心に入っていきます。

 

 板橋宿へ

 荒川を渡ると東京都北区です。国道17号の広い道を南下して、志村坂下の交差点へ。その先で、左にそれる旧道に入ります。この道は、少しだけ国道を迂回する区間。弓なりに遠回りして、国道に戻ってくると、今度は、右方向に迂回です。

 街道は、久しぶりの上り道。住宅地の坂道を上り切り、頂上辺りで左折して、今度は坂を下ります。この道は、志村の清水坂と呼ばれているところ。日本橋から都に向かう街道の、最初の難所と言われていたようですが、逆に進む私たちにとっては、難所という印象はありません。

 ここまで踏み越えてきた、数多くの峠越えと比べれば、全く問題のない坂道です。ただ清水坂は、大都会に残る蛇行した坂の道。首都の街中にありながら、かつての街道の空気を感じる、貴重な道筋です。

 

 旧道が、国道に合流するところは、志村坂上の交差点。左手角には、交番がありました。

 その後、しばらく国道を南下します。そして、首都高速5号池袋線が接近してきたら、今度は、再び左手の旧道に。少し道幅の狭い道筋です。

 

 1番板橋宿

 この辺りはもう、板橋です。環状7号の高架下を通り抜けて直進すると、やがて板橋の商店街に入ります。恐らく、この商店街が板橋の宿場だったのでしょう。今では、小さなお店や、スーパーマーケットなどが延々と軒を連ねています。

 ここまで、蕨宿からは9Kmの道のりです。いろいろなお店を眺めながら、ゆっくりと歩幅をきざんでいくと、疲れもそれほど感じません。長い区間にわたって続く商店街、ウインドウショッピングの感覚で、のんびりと進みます。

 

 板橋宿では、途中、石神井川に架かる小さな橋を渡ります。この橋が板橋と呼ばれ、ここの地名の発祥なのでしょう。色合いや欄干など、昔風に意匠された街中のこの橋は、付近に設置された道標や石碑などと共に、街道の名残を伝えてくれています。

 

 巣鴨

 板橋宿を出てしばらくすると、首都高速の高架下を横断し、埼京線板橋駅方面に向かいます。そして、埼京線の踏切を渡ると、巣鴨の街に入ります。

 私たちが巣鴨を通過したのは、ゴールデンウイーク真っただ中のお昼頃。当地の縁日とも重なっていたのでしょうか。テントの出店も連なり、街の通りは、大勢の買い物客で賑わっていました。

 

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巣鴨の庚申塚から商店街方向。この道が中山道です。 

 

 人ごみの中の商店街を通り抜けると、出口の一角は、また、大勢の人だかりです。何かあるのかと覗き込むと、そこでは、猿回しが繰り広げられていました。愛嬌のある猿の芸を楽しんで、目前に迫った日本橋を目指します。

 

 本郷へ

 巣鴨を過ぎると、国道17号を南下していきます。途中、東洋大学のビルを右に見て、東京大学方面に進みます。

 本郷では、国道は東京大学に突き当り、右方向に直角に曲がります。この交差点の左手方向が、日光へと続く道。この交差点が、追分となっているようです。

 中山道は、東大前を南東方向に延びていきます。しばらく大学前の道を歩くと、左手に赤門が現れます。

 

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※赤門前。

 

 神田

 東大の赤門を過ぎて、国道沿いに進んでいくと、やがて右手には、湯島聖堂が見えてきます。そして左は、神田明神です。この辺り、多くの人が往きかっていて、お店なども大賑わい。今はもう、街道の雰囲気を感じるところはありませんが、神田明神は、江戸の時代から、街道を往来する人や、大勢の参拝客で賑わっていたことでしょう。

 

 街道は、秋葉原駅には向かわずに、昌平橋を渡ります。そして、直後に左折して、再び国道17号に合流です。その先は、日本橋まで一直線。左手に、山手線の神田駅を見ながら、最後の中山道を歩きます。

 

 三越などがある、日本橋の街中を進んでいくと、もうその先に、終着点の橋の欄干が見えてきます。

 

 日本橋に到着

 日本橋の雑踏を進んでいくと、遂に最終の目的地、江戸日本橋に到着です。中山道69次を辿り巡って、街道の様々な風景を味わい、脳裏に刻みながら、すべての行程を終えることができました。*1

 

 日本橋は、江戸の初期から、街道の起点とされていたところです。太平洋側を通って京都を目指す東海道や、東北方面に向かう奥州街道なども、ここ日本橋が起終点。国内の主要な街道が集まる結節点となっているのです。

 このような、由緒ある橋でありながら、今は、首都高速の高架が橋の上部を横断しています。少し興ざめの景観で、残念な思いもありますが、都市化の勢いや時代の流れに逆らうことはできないのでしょう。

 往時の風景に思いを馳せつつ、69次の道中を胸にしまって、中山道の歩き旅を終えました。

 

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日本橋に到着。

 

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日本橋

 

 中山道の足跡

 

 中山道を歩き始めて3年半。ようやく69次を踏破することができました。歩いた日数は都合41日*2、その距離は、534Kmとされています。

 最初は、気楽なハイキングのつもりで歩き始めたものの、次第に街道歩きの魅力にはまり込み、やがて、全行程に挑戦することになりました。

 この間、色々なこともありましたが、終わってみれば、あれよあれよという間の出来事です。たくさんの思い出をしまい込み、また新たな歩き旅を始めます。

 

 ※お断り

 「旅素描~たびのスケッチ」は、次回から、少し趣を変えた記事を掲載させて頂きます。そして、その後に、中山道の総集編。特に、「歩き旅のスケッチ」シリーズで触れなかった、馬籠宿と妻籠宿を紹介するとともに、街道の見どころを横串で通して振り返りたいと思います。

 

*1:最後の区間、板橋宿から日本橋までは10Kmの道のりです。

*2:2015年10月~2019年5月の間。