関東平野を下る
利根川の河川伝いに広がる畑地を縫って、街道は続きます。本庄宿は、中山道の10番目の宿場町。いよいよ、残す宿場の数は一桁です。
埼玉の街道は、県内を横断するように延びていて、長丁場。変化に富んだ景色を楽しみながら、また、徐々に近づく終着地点を思い描いて、街道歩きを続けます。
本庄宿を後に
この日は、本庄宿から、次の宿場の深谷宿を目指します。
本庄の宿場は、後半になっても、相変わらず普通の街の家並みが続きます。片側1車線道路が、時折ゆるやかに湾曲するように先に延びていて、このような道筋だけが、かつてここが中山道であったことを納得させる景色です。
※本庄宿の様子。
街道は、宿場を離れてしばらくすると、一旦国道17号に突き当たります。国道17号は、そのまま南東に進むと深谷市方面に向かいますが、中山道は、この交差点を横断です。
この後しばらくは、国道を迂回するように、利根川近くに広がる平地を進みます。
※左、本庄宿を後にして、国道17号と交差する中山道。交差点の歩道橋を渡り、斜め右前方が中山道です。右、国道を渡った先の住宅地。
小山川(こやまがわ)
国道を過ぎると、間もなく元小山川という小さな川を渡ります。その先は、川沿いに連なる住宅地。そして、徐々に、農家風の家が連なる、のどかな集落に変わっていきます。
途中、宝珠寺の前を通り過ぎると、街道は、畑地の中へ。これまで歩いてきた道から、いきなり右方向の農道にそれていきます。この右折地点は少し注意が必要で、地図の確認は怠れない区間です。
※宝寿寺。
農道を進むと、右手の元小山川は、さらにその右奥から流れてきた小山川と合流します。そして、中山道は、その小山川の堤を右に見て進むことに。
街道は、小山川の堤防下に広がる畑地の中を通過して、やがて集落へと導かれます。
畑地には、私たちがあまり知らない、ブロッコリーのような、また、カリフラワーにも似たような野菜がたくさん栽培されていました。後々調べてみると、ロマネスコという野菜とのこと。私たちにとっては、初めて目にする珍しい野菜でした。
街道は、その後、小山川に近づいて、のどかな風景を愛でながら、川を横断していきます。小山川に架かるこの橋は、滝岡橋。橋の欄干は、石造りの意匠が施され、情緒を誘う装いです。
※左、右の小山川堤防下を歩きます。右、小山川の横断。
小山川を越えると、少しだけ農地の中を通過した後、国道17号バイパスを横切ります。その後、堤防風の林の中を抜けていき、集落の中へ。ここは、岡部*1という集落です。集落の入口には、馬頭観音が佇んでいて、その傍には、中山道の歴史を記した石碑の案内が置かれてありました。
この案内によると、江戸期の街道は、先ほど渡った滝岡橋より200mほど上流で小山川を渡っていたとのこと。街道も整備が繰り返されて、時代とともに、少しずつその姿を変えてきたのでしょう。
※左、小山川を越え、集落へ。右、集落の入口。
中宿歴史公園
集落内の道は、わずかに上り坂。民家が並ぶ緩やかな坂道を進んでいくと、途中左手方向の、街道から少し離れたところに、中宿歴史公園がありました。そして、公園のすぐ傍には、”道の駅おかべ”です。
トイレ休憩と昼食を兼ねて、道の駅を訪れると、たくさんの来客で大賑わい。”道の駅おかべ”は、国道17号深谷バイパスの沿線にあって、自動車で立ち寄るには大変便利なところです。
お店では、地元の野菜や野菜を使った加工品などがたくさん店頭に並べられ、多くの人が買い求めておられました。
この道の駅で販売されていた野菜のメインは、深谷ねぎ。関西方面では、あまり馴染みはありませんが、ここでは、大人気です。太くて、白い部分に迫力のあるのが特徴で、何本もが束になった状態で、売りさばかれていました。
道の駅から街道に戻る途中で、少しだけ、中宿歴史公園に寄り道です。ここには、飛鳥時代の遺跡があって、高床式倉庫が復元されています。関東の、どちらかというと、少し奥まったところにも、早くから人々が住み着いていたようです。
園内は、広々としたスペースで、散策路や、子どもたちも楽しめるような施設などもありました。
※中宿歴史公園。
深谷宿へ
中山道に戻ると、少し集落内を進んだ後、国道17号と合流します。そして、およそ2Kmの間、国道伝いに歩きます。
※左、国道との合流点。右、合流して約2Km。国道は右へ、中山道は直進です。
変わり映えのしない景色の中を進んでいくと、やがて、街道は、国道からそれて旧道に。深谷の旧市街地に入っていきます。
街道沿いの街並みは、旧市街地の入り口付近は、それほど特徴のあるところではありません。ごく普通の、小さな商店などが点在する、昔ながらの町筋です。
ところが、しばらく進むと、正面にレンガ造りのような煙突が見えてきて、少し風情を誘う雰囲気に変わります。
※左、市街地の入口付近。右、宿場に近づく街の風景。正面には煙突が、道の突き当りには朱塗りの社(やしろ)風の建物が見えます。
9番深谷宿(ふかやじゅく)
煙突を見ながら進んでいくと、左手に常夜灯が現れました。この辺りから深谷の宿場町の様子です。街道は、正面で突き当り。その後、左、右、と、クランク状に折れた後、真っ直ぐに、先に延びていきます。
このクランクのところには、呑龍院(どんりゅういん)というお寺でしょうか、鮮やかな朱塗りの鐘楼が構え、宿場町の雰囲気を盛り上げています。
深谷市は、渋沢栄一氏の出身地。所々で、この偉人の名前を目に止めることができました。今では、新しい1万円札の肖像画で一躍有名になりましたが、私たちが訪れたのは、その発表の直前、2018年の暮れのこと。ニュースを聞いて、深谷の駅前にある、渋沢翁の銅像を思い起し、懐かしんだものでした。
本庄宿から深谷宿は、11.5Kmの距離。この日は、ここで行程終了です。
*1:「岡」と表記されている場合もあります。案内石碑も、文章中は「岡」、文責は「岡部郷土文化会」となっています。