旅素描~たびのスケッチ

気ままな旅のブログです。目に写る風景や歴史の跡を描ければと思います。

歩き旅のスケッチ19・・・中山道、関ヶ原宿から赤坂宿へ

 美濃の平野

 

 天下分け目の合戦が繰り広げられた関ヶ原を後にして、濃尾平野の北西の縁に沿った街道を進みます。

 ここからしばらくは、見通しの良い平地歩き。中山道の道筋はどのような様子になっていくのでしょうか。

 

 関ヶ原宿を後にして

 関ヶ原は、基本的には国道沿いを歩くのですが、宿場の終わりには、左手に旧道がわずかに残っています。そして、一旦国道に戻り、その後再び斜め左の旧道へ。ここから垂井まで、かつての中山道の雰囲気を楽しみながら歩きます。

 旧道に入ると間もなく、松並木が現れます。舗装も石畳風に改良され、休憩所なども置かれています。味気なかった国道歩きが、ここに来て一転。街道歩きの意欲が高まります。

 

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関ヶ原の松並木。

 

 57番垂井宿(たるいじゅく)へ

 松並木を越えると、集落に入ります。道幅の狭い通りを進んでいくと、国道とそこに交わる幹線道路が交差するところに出てきます。この辺りから垂井の町になるようです。

 中山道は、少し複雑な道になるのですが、しっかりと道案内や地図で確認すれば、迷うことはありません。

 ここでは、一旦国道を横切り、南側の旧道に入ります。そこには、垂井の一里塚があり、これが良い目印です。その後、国道に戻って歩道橋を渡り、JR東海道本線の踏切を越えると、垂井の宿場に近づきます。

 国道とは、ここでしばらくお別れです。中山道は平野の北辺に沿うように赤坂の宿場へと延びていきます。

 

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※左、垂井の入口。右、垂井の一里塚。

 垂井宿

 垂井宿は、元々の、垂井の町中に位置しています。この町も、JR東海道本線沿線の垂井駅があり、関ヶ原から5.5Kmの道のりです。

 宿場町は、それほど面影が残る所はなく、時代の流れを感じます。今では、住宅がほとんどで、ところどころに商店などが点在しています。

 

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 ※垂井宿。

 

 宿場の後半、中山道は左に大きく屈曲し、相川の方に向かいます。この屈曲点を右に進むと垂井駅の方向です。

 街道は、相川の橋を越えていきます。この川は、人工的によく整備されていて、地域の人の憩いの場にもなっている様子です。そして、そこから先は、集落や、新しい住宅地を交互に通り抜け、赤坂宿に向かいます。ところどころに、街道の名残が伺える石碑などもありますが、あまり趣ある道ではありません。

 一方、「歩き旅のスケッチ15」でも少し触れたように、朝鮮通信使は、垂井から中山道を離れて東海道方面に向かったようです。一行は、大垣の城下に入り、東海道の宮宿*1へ。そこから、江戸に向けて旅を続けたとのこと。

 

 56番赤坂宿

 街道は、途中から集落や農地を見ながら延びていきます。赤坂の宿場が近づくと、道幅は狭まり、古くからの住宅が軒を連ねます。垂井線*2の鉄道下を抜けると、さらに道は狭くなる感じです。左手には、山を削って鉱石を採取するような工場もありました。

 そして、街道は赤坂の宿場に入ります。

 この宿場は、久しぶりに宿場町の面影が感じられるところです。緩やかに道は蛇行し、由緒を感じる建物が連なります。新しいお店なども、意匠を凝らし、老舗の看板も風情を誘います。

 

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※左、本陣跡。右、宿場町の様子。

 

  赤坂の宿場を進んでいくと、一風変わった景色に出会います。杭瀬川と呼ばれる川岸が、かつての港であったとのこと。川に港があることは、理屈では分かってはいても、実際どのようなものであったか、なかなか想像できません。

 しかも、ここに流れている川は大きくはなく、どのようにしてこの港が活用され、役割を果たしきたのか、不思議でなりません。

 

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※赤坂の港跡と港会館。

 

 赤坂の港跡には、明治のころの建物のような港会館や、常夜灯、そして、火の見櫓のような建築物が見られます。中山道の道中では、少し趣を異にした、特色ある宿場の風景です。

 港跡を越えて少し進むと、今の杭瀬川が流れています。この川もそんなに大きなものではありません。その昔、この川はもう少し川幅が広くて、赤坂港は、それこそ大きな施設だったことでしょう。

 

 赤坂は、大垣の市内から数キロ北西に位置しています。大垣には、大垣城がありますが、街道は城下から離れたところを通ります。このことは、近江路でも同様で、近江八幡彦根の城下は街道からは一足離れたところに存在します。この先、岐阜、犬山など、主要な城下も例外ではなく、おそらくそのようにすべき理由があったのでしょう。

 ところが、中山道の後半には、城下を通過するところも幾つかあります。例えば、信濃路の岩村田宿や上州路の高崎宿です。西と東で、街道の配置場所に関する考えが異なっていたのでしょうか。それとも、地理的条件の結果だったのか、あるいは偶然のことなのか。こんな思いを巡らせながら街道歩きを続けます。

 

 東赤坂駅

 私たちは、川を越えて、次の宿場に向かう道中の、養老鉄道東赤坂駅まで進みました。この鉄道は、JR東海道本線の大垣駅と接続されています。少し乗り継ぎの便は悪いものの、少しずつ歩きつないで進む者にとっては、ありがたい駅です。

 次回は、この駅から次の宿場、美江寺宿へ。そしてさらに、河渡宿(ごうどじゅく)を経て、岐阜市内に残る加納宿(かのうじゅく)まで歩みを進めます。

 

 この日の行程は、朝、関ヶ原宿を出発し垂井宿、赤坂宿とつないで、東赤坂駅まで、およそ13Kmの道のりでした。

 

 

 

*1:名古屋の熱田神宮近くにある宿場です。

*2:詳しいことは分かりませんが、元々垂井駅は、大垣・関ヶ原間で、上りと下りの駅が別の所にありました。この垂井線は、恐らく今は廃線となった線路と思われます。