美濃の平野
天下分け目の合戦が繰り広げられた関ヶ原を後にして、濃尾平野の北西の縁に沿った街道を進みます。
ここからしばらくは、見通しの良い平地歩き。中山道の道筋はどのような様子になっていくのでしょうか。
関ヶ原宿を後にして
関ヶ原は、基本的には国道沿いを歩くのですが、宿場の終わりには、左手に旧道がわずかに残っています。そして、一旦国道に戻り、その後再び斜め左の旧道へ。ここから垂井まで、かつての中山道の雰囲気を楽しみながら歩きます。
旧道に入ると間もなく、松並木が現れます。舗装も石畳風に改良され、休憩所なども置かれています。味気なかった国道歩きが、ここに来て一転。街道歩きの意欲が高まります。
※関ヶ原の松並木。
57番垂井宿(たるいじゅく)へ
松並木を越えると、集落に入ります。道幅の狭い通りを進んでいくと、国道とそこに交わる幹線道路が交差するところに出てきます。この辺りから垂井の町になるようです。
中山道は、少し複雑な道になるのですが、しっかりと道案内や地図で確認すれば、迷うことはありません。
ここでは、一旦国道を横切り、南側の旧道に入ります。そこには、垂井の一里塚があり、これが良い目印です。その後、国道に戻って歩道橋を渡り、JR東海道本線の踏切を越えると、垂井の宿場に近づきます。
国道とは、ここでしばらくお別れです。中山道は平野の北辺に沿うように赤坂の宿場へと延びていきます。
※左、垂井の入口。右、垂井の一里塚。
垂井宿
垂井宿は、元々の、垂井の町中に位置しています。この町も、JR東海道本線沿線の垂井駅があり、関ヶ原から5.5Kmの道のりです。
宿場町は、それほど面影が残る所はなく、時代の流れを感じます。今では、住宅がほとんどで、ところどころに商店などが点在しています。
※垂井宿。
宿場の後半、中山道は左に大きく屈曲し、相川の方に向かいます。この屈曲点を右に進むと垂井駅の方向です。
街道は、相川の橋を越えていきます。この川は、人工的によく整備されていて、地域の人の憩いの場にもなっている様子です。そして、そこから先は、集落や、新しい住宅地を交互に通り抜け、赤坂宿に向かいます。ところどころに、街道の名残が伺える石碑などもありますが、あまり趣ある道ではありません。
一方、「歩き旅のスケッチ15」でも少し触れたように、朝鮮通信使は、垂井から中山道を離れて東海道方面に向かったようです。一行は、大垣の城下に入り、東海道の宮宿*1へ。そこから、江戸に向けて旅を続けたとのこと。
56番赤坂宿
街道は、途中から集落や農地を見ながら延びていきます。赤坂の宿場が近づくと、道幅は狭まり、古くからの住宅が軒を連ねます。垂井線*2の鉄道下を抜けると、さらに道は狭くなる感じです。左手には、山を削って鉱石を採取するような工場もありました。
そして、街道は赤坂の宿場に入ります。
この宿場は、久しぶりに宿場町の面影が感じられるところです。緩やかに道は蛇行し、由緒を感じる建物が連なります。新しいお店なども、意匠を凝らし、老舗の看板も風情を誘います。
※左、本陣跡。右、宿場町の様子。
赤坂の宿場を進んでいくと、一風変わった景色に出会います。杭瀬川と呼ばれる川岸が、かつての港であったとのこと。川に港があることは、理屈では分かってはいても、実際どのようなものであったか、なかなか想像できません。
しかも、ここに流れている川は大きくはなく、どのようにしてこの港が活用され、役割を果たしきたのか、不思議でなりません。
※赤坂の港跡と港会館。
赤坂の港跡には、明治のころの建物のような港会館や、常夜灯、そして、火の見櫓のような建築物が見られます。中山道の道中では、少し趣を異にした、特色ある宿場の風景です。
港跡を越えて少し進むと、今の杭瀬川が流れています。この川もそんなに大きなものではありません。その昔、この川はもう少し川幅が広くて、赤坂港は、それこそ大きな施設だったことでしょう。
赤坂は、大垣の市内から数キロ北西に位置しています。大垣には、大垣城がありますが、街道は城下から離れたところを通ります。このことは、近江路でも同様で、近江八幡や彦根の城下は街道からは一足離れたところに存在します。この先、岐阜、犬山など、主要な城下も例外ではなく、おそらくそのようにすべき理由があったのでしょう。
ところが、中山道の後半には、城下を通過するところも幾つかあります。例えば、信濃路の岩村田宿や上州路の高崎宿です。西と東で、街道の配置場所に関する考えが異なっていたのでしょうか。それとも、地理的条件の結果だったのか、あるいは偶然のことなのか。こんな思いを巡らせながら街道歩きを続けます。
東赤坂駅へ
私たちは、川を越えて、次の宿場に向かう道中の、養老鉄道東赤坂駅まで進みました。この鉄道は、JR東海道本線の大垣駅と接続されています。少し乗り継ぎの便は悪いものの、少しずつ歩きつないで進む者にとっては、ありがたい駅です。
次回は、この駅から次の宿場、美江寺宿へ。そしてさらに、河渡宿(ごうどじゅく)を経て、岐阜市内に残る加納宿(かのうじゅく)まで歩みを進めます。
この日の行程は、朝、関ヶ原宿を出発し垂井宿、赤坂宿とつないで、東赤坂駅まで、およそ13Kmの道のりでした。