旅素描~たびのスケッチ

気ままな旅のブログです。目に写る風景や歴史の跡を描ければと思います。

歩き旅のスケッチ[中山道総集編]12・・・街道筋(後編)

 街道筋の四季

 

 街道筋の後半は、信州と上州の山々を望む景色が素晴らしく、見晴らしは最高です。特に、気候の良い春や秋には、峰の残雪と花々のコントラストや色とりどりに燃え上がる紅葉など、風景を愛でながら気持ちよく歩ける道筋です。

 そんな街道も、江戸に近づくにつれ、次第に街中の道に変わります。近代的な都市の中では、どこそこも、それほど景色は変わりません。所々に残された、社寺や老舗の建物などが、僅かにアクセントとなって、日本橋に続きます。

 

 

 木曽の桟(かけはし)と御嶽神社

 38番上松宿(あげまつじゅく)を出て、しばらく北に向かうと、T字路のようになっていて、東西に走る国道19号線に突き当たります。街道は、一旦この国道に合流し、少しだけ、歩道のない危険な自動車道を西の方角へ。そして、しばらく進むと、木曽川です。

 その先は、国道はそのまま橋を渡って木曽川右岸の方向へ。一方の中山道は、国道から離れ、橋を渡らず右折して、木曽川の左岸に沿って上流へと向かいます。この左岸道路は、かつては国道だった様子です。車道はきちんと整備され、歩道も途切れることははありません。ただ、その昔は、川伝いに北に続く崖地のような道だったに違いなく、木曽川の上流域に向かう険しい道の面影が残ります。

 

 街道は、川にせり出すように作られた歩道に沿って、延々と上流に向かって進みます。この川沿いは、秋には紅葉が美しく、川筋に迫る巨石の造形と重なって、見事な景観が望めます。

 特に紅葉が映えて美しかったポイントは、木曽の桟(かけはし)と呼ばれるところ。桟は、川伝いの道幅を広げるため、川側に広げられたかつての人工の道。赤い鉄橋を越えたところの歩道がそれで、対岸から見なければ、その姿をうまく捉えることはできません。

 

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※木曽の桟辺りの紅葉。

 

 木曽川の左岸道路を進んでいくと、やがて再び、国道19号線に合流します。そして、その先には”道の駅木曽福島”がありました。この道の駅は、広い駐車場が整備され、19号線沿いの、絶好の休憩地点となっています。

 道の駅は、木曽川の渓谷を見下ろす位置にあり、川を挟んだその正面には、御嶽山木曽本宮の、眩しいような神社の姿が迫ります。道の駅には参拝所があって、川向いの本宮に向け、柏手をたたくことも可能です。恐らく、社の裏山のそのまた奥に、木曽の神聖な御嶽山が控えていることでしょう。

 御嶽山木曽本宮を見ていると、厳しい自然の中に生きてきた人々が、自然を畏れ、神聖化して、崇め奉ってこられた信仰を、何となく理解できるような気がします。

 

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御嶽山木曽本宮。

 

 街道から見る浅間山

 浅間山は、信州を代表する名山のひとつです。中山道からは、塩名田宿を過ぎた後、遠方左手に、その美しい姿を捉えることが可能です。新雪を冠した浅間山は、富士山に決して負けない、魅力を持った名峰です。

 岩村田宿から追分宿へと坂道を上って行くと、山の姿は見る見ると迫ります。追分の宿場を越えて、沓掛宿に向かう時、それこそ絶景の浅間山を望むことができました。この景観は、見事という他はなく、いつまでも見とれてしまう景色です。

 

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※追分駅近くからの浅間山

 

 追分宿の次の宿場は沓掛宿。今は、中軽井沢の街であり、宿場の面影はありません。この沓掛宿から軽井沢に向かう時、もう一度、絶景の浅間山が見られます。その姿の見事さは、それこそ超一級の絶景です。

 

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※中軽井沢の東で湯川を渡る橋から望む浅間山

 

 安中原市の杉並木

 15番安中宿の少し手前に、間の宿(あいのしゅく)原市の町があり、そのはずれには、原市の杉並木が残っています。街道の松並木は、浮世絵などでよく目にする風景ですが、杉並木が見られる所はほとんどないと思います。

 原市の杉並木。かつては、安中宿まで数百本の大木が連なる並木道だったということです。街道に掲げられた案内板には、天保15年(1844年)には、原市に345本、安中に387本の杉があったと記されています。

 この杉並木、今では原市に14本が残るのみ。若木が少し植え足されているようですが、往時の様子を思い描くと、それは見事な街道筋だったことでしょう。

 

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※安中原市の杉並木。

 

 妙義山

 18番軽井沢宿を通り過ぎ、碓氷峠を越えていくと、妙義山が現れます。碓氷川の渓谷が関東平野に注ぐ辺りに、その奇妙な山は位置します。

 妙義山は、頂がギザギザに尖った岩山で、浅間山とは対照的な姿です。近くで見ると、そそり立つような岩の壁。あまり見かけない山の姿に畏敬の念も抱きます。

 碓氷峠を下りたって、坂本宿、松井田宿へと向かう時、この山は背後になるため、目に止まる機会はそれほど多くはありません。安中宿を通り過ぎ、14番板鼻宿に入るとき、振り返ると、はるか彼方に、妙義の山々を望むことができました。

 江戸方面から都に向かう場合には、この奇妙な山に向かって、最初の難所、碓氷峠に向かいます。見るからに、荒々しい山を目にして進む道。目前の峠の道の厳しさを暗示しているように感じるのかも知れません。

 

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 ※遠方の山並みの中央部が妙義山

 

 巣鴨の街

 街道筋の最後は、巣鴨の街の姿です。中山道最後の宿場、板橋宿を通り過ぎ、本郷方面に向かう途中に巣鴨の街を通ります。お年寄りが多く集う商店街というイメージがある巣鴨の街。この商店街こそ、中山道の街道筋にあたります。

 巣鴨には、庚申堂やとげぬき地蔵などがあり、縁日にはたいそうの賑わいです。都と江戸の間を結ぶ中山道の道中で、商店街風の街も幾つかはありますが、巣鴨ほどの賑わいのある所は、それほど多くは見かけません。

 いよいよ、江戸の中心に向かう場所。最後の休憩地として、ホッコリとするところです。

 

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巣鴨の商店街。

 

 

 中山道69次の総集編。これまで、宿場町、峠道、間の宿、街道筋の、4つの見どころで振り返ってきたところです。

 昔の人は、この長い道のりを、どのような思いで歩いてきたのか、その興味は尽きることはありません。厳しくもあり、美しくもある街道は、今も私たちに様々な姿を見せてくれる歴史の証と言えるでしょう。