碓氷川を下り高崎へ
碓氷峠に水源を持つ碓氷川。奥深い渓谷は妙義山の麓を流れ、次第に川幅を広げていきます。中山道は、上州に入ると、この碓氷川と肩を並べるように江戸方面に向かっていきます。
背後には、浅間山や妙義山が次第に小さく遠ざかり、前方は平野が広がります。
15番安中宿(あんなかじゅく)
安中宿も、一つ手前の松井田宿と同じように、かつての面影はほとんど残っていない宿場です。街並みは整備され、ところどころに設置された道標や老舗の店構えなどで、ここがかつて宿場町であったことを窺い知ることができる程度です。
※醤油の老舗のようです。有田屋の店構え。
安中はまた、城下町でもあったらしく、街道からほど近いところに城跡があり、武家屋敷跡なども残っているようです。
私たちは、城下町の区域には立ち寄らず、中山道をひたすら進んで行きました。
※安中宿の様子。
安中駅へ
安中宿を後にすると、次は14番板鼻宿。安中の中心地を抜け、国道18号の碓氷川橋梁を渡って安中駅方面に向かいます。
安中の駅前は、橋梁から続く国道の高架と、県道などが立体的に交差していて、少し複雑な街道筋。高架橋からは、前方下に小さな駅舎の安中駅が確認できます。そして、駅の向こう側には、東邦亜鉛(株)安中精練所の大きなプラントが、山の斜面に広がっていました。
私たちのこの日の行程は、安中駅で一区切り。磯部温泉で1泊し、翌日、安中駅から再スタートです。
※国道18号の高架。この橋を渡り切ると安中駅です。
板鼻宿へ
次の日の朝、再び安中駅に降り立って、中山道に向かいます。街道は、国道の高架下から、住宅地に入る細い道。ごく普通の町中の生活道路です。少し歩くと、碓氷川に突き当たり、そこを右折して、碓氷川の河川敷に隣接する、閑静な住宅の中を進みます。
※左、高架下から碓氷川堤防へ。右、左手に碓氷川河川敷を覗きながら住宅地を東へ。
ほどなく、碓氷川に架かる鷹之巣橋。橋を渡って振り向くと、碓氷峠の方向に、妙義山と峠の山並みを望むことができました。街道は、その後、右手の旧道へ。そして、間もなく板鼻の宿場です。安中宿からは、わずか3Km。小刻みの宿場の立地は、碓氷川の川渡りと関係していたのでしょうか。
※鷹之巣橋から妙義山を望む。川は、碓氷川。
14番板鼻宿(いたはなじゅく)
板鼻宿への導線は、集落の中を進む道。徐々に新しい住宅地の雰囲気を感じると、その辺りが、かつての宿場町だった様子です。街道沿いに、板鼻の公民館があり、その駐車場の入口に、「和宮(かずのみや)資料館」の案内版がありました。
ここ板鼻は、皇女和宮一行の宿泊地として、知られている宿場の様子です。一度、資料館を訪れたいという思いもありながら、私たちは先を急ぐことに。後から思うと、少し残念だった気がします。*1
板鼻宿も、上州の、他の宿場町と同様に、往時の面影はほとんど残っていない宿場です。ゆるやかに湾曲して続く道筋だけが、街道の名残を伝えています。
※左、公民館の入口。右、板鼻宿の様子。
板鼻宿を後に
板鼻の宿場を離れると、国道18号に合流です。交通量の多い国道は、碓氷川の左岸堤防に沿って高崎方面に続いています。
しばらく、国道の歩道を進んで行くと、群馬の八幡宮の鳥居が現れ、左手奥に八幡神社が見えました。中山道の沿線には、至るところに八幡神社がありますが、その大半は、小じんまりとした集落内の社です。それらと比べると、ここの八幡神社はかなり規模が大きな神社の様子。初詣には、大勢の人が訪れるのでしょう。
神社の鳥居を過ぎると、右手の碓氷川堤の下に、藤塚の一里塚が確認できました。その後、街道は、国道から離れて、再び住宅地の中を進みます。
※藤塚の一里塚。樹木が植わる土手の向こうは、碓氷川です。
高崎宿へ
一里塚を越えて、住宅内の旧道を進むと、前方に大きな橋が見えてきます。この橋は、烏川に架かる君が代橋。橋の名の由来は、明治天皇の訪問に由来するとか。
この君が代橋のすぐ下流で、碓氷川は烏川と合流し、その先は、烏川となって利根川方向に流れ下ります。
※烏川に架かる君が代橋。橋を渡ると、高崎の市街地です。
君が代橋を渡り切り、幹線道路から右にそれると、高崎の市街地方面に入っていきます。中山道の目印は、稲荷大明神。小さな祠でありながら、朱色の小さな鳥居は、街道の有難い目印となっています。
※君が代橋を渡り、高崎の街中へ。
高崎の宿場は間もなくです。碓氷峠を下ってから、上州路を歩き続け、久々の都会の街並みが姿を見せてきました。