旅素描~たびのスケッチ

気ままな旅のブログです。目に写る風景や歴史の跡を描ければと思います。

歩き旅のスケッチ30・・・中山道、横川から安中宿へ

 妙義山から関東平野

 

 JR信越本線の終着駅、横川駅から、高崎方面に向かいます。背後には碓氷峠、左右は、急峻な山に挟まれた谷状の道。右手後方は、岩が切り立ったような、特徴ある姿の妙義山です。前方だけが、僅かに空が開け、関東平野へと誘います。

 ここから先は、もう、難所と呼ばれるところはありません。一路、江戸を目指して進みます。

 

 横川を後に

 横川は、宿場町ではありませんが、街道沿いは宿場のような面影が感じられるところです。直前の宿場町は、17番坂本宿。碓氷峠の峠道を下り立った宿場でありながら、今は、国道18号の幹線道路に飲み込まれています。

 ところが、国道はその後、横川の集落の入口で右方向に外れ、中山道は、かつての姿を残しながら横川の集落に入ります。このことにより、横川を通る街道は、趣のある道となっているのです。

 横川を出ると、右に信越本線を見ながら、沿線伝いに進みます。その後、踏切を渡り、国道へ。この先は、街道は、国道と旧道を交互に渡りつないで延びていきます。

 

f:id:soranokaori:20200105093731j:plain
※横川の集落を出て、松井田宿へ。

 

 松井田宿

 松井田宿までの中山道は、途中、道案内の標識が無いところもあって、注意が必要です。これまでも、何度も感じたことですが、京の都に向かう標識は結構充実していも、江戸方向への標識は、少し手薄に感じます。この辺りもそのひとつ。位置確認が重要な区間です。

 慎重に地図を見ながら進んで行くと、次第に山が低くなり、空が開けてきます。そして、上信越自動車道の高架下を通り抜け、国道18号の側道へ。そこから西松井田方面に入っていきます。

 

f:id:soranokaori:20200105094536j:plain

 ※西松井田方面への道。

 

 国道の側道の少し先は、信越本線の踏切です。この踏切を渡って道なりに進むと、一里塚跡が。これが中山道の目印です。この辺りはもう、西松井田。横川駅の次の駅、西松井田駅が近づきます。

 街道は、すぐに県道と合流して、南東の方向に向かいます。左手は、立派で大きなお寺です。石造りの高い擁壁が続き、その上部に張り巡らされた生け垣の上には、補陀寺という案内看板が掲げられていました。

 

f:id:soranokaori:20200105094554j:plain
f:id:soranokaori:20200105094612j:plain

※左、補陀寺。右、西松井田駅前の交差点から松井田方面を望む。

 

 16番松井田宿(まついだじゅく)

 補陀寺のある交差点から右奥を見ると、西松井田駅が望めます。この交差点から、さらに県道を少し先に進むと松井田宿です。

 この宿場は、今は県道沿いの家並みで、往時の面影はほとんど残っていません。それでも、八幡宮や寺院などが道路近くに点在し、かつての様子が偲ばれます。

 

f:id:soranokaori:20200106121249j:plain
f:id:soranokaori:20200106121306j:plain

松井田宿の様子。

 

 松井田宿は、碓氷峠の麓、坂本宿から10.5Km、横川からは、およそ7Kmの位置。横川にある、碓氷の関所を越えて松井田に辿り着くと、いよいよ広々とした平野が広がってきます。

 

 安中宿(あんなかじゅく)へ*1

 松井田宿を出ると、相変わらず県道を歩きます。そしてその後、右方向の旧道へ。碓氷川近くの堤防道を進み、今度は国道18号に合流です。その先には、右手の土手のようなところに、妙義道の常夜灯が確認できました。

 中山道は、この常夜灯を目印に、今度は国道の左斜め方向に向かいます。下の写真の右端に見えるのが常夜灯。車が走る道が国道18号です。中山道は、ここから斜め左にそれていきます。

 

f:id:soranokaori:20200106135206j:plain

※妙義道の常夜灯がある交差点。

 

 常夜灯の交差点を過ぎると、街道はゆるやかにカーブしながら、少しずつ標高を下げていきます。道端には民家が連なり、ゆったりとした風景です。ところどころに畑地なども広がって、見晴らしのよいところもありました。*2

 

f:id:soranokaori:20200106135445j:plain
f:id:soranokaori:20200106135520j:plain

中山道は、国道から離れて安中方面へ。

 安中原市の杉並木

 街道は、次第に安中の市街地に近づきます。安中市の原市というところに差し掛かると、立派な杉の大木が視野に入ってきました。しかも、この杉は何本も街道伝いに林立していて、並木のようになっています。

 

f:id:soranokaori:20200106135628j:plain
f:id:soranokaori:20200106135704j:plain

※安中の杉並木。

 

 安中の杉並木は、かつては、安中宿まで、数百本もの杉が植えられた並木道だったとのこと。時代が進むにつれ、次第にその数は減少し、現在は新たな植樹分を含めても数十本。その本数の推移が案内板に記されていました。

 中山道の歴史の証である杉並木。何とか保存しようとする人々の願いが伝わってくるようです。

 

f:id:soranokaori:20200106135646j:plain

※安中の杉並木の案内板。

 

 新島襄の旧宅

 杉並木を後にすると、国道を横切って、安中の市街地に入っていきます。住宅地の街道を歩いていると、”新島襄旧宅”の案内が。少し道からそれるものの、一度立ち寄ってみたい気持ちになりました。

 案内標識に従って、右手の住宅地に入り込むと、200mほど先に、その旧宅が現れました。

 新島襄は、同志社大学の創設者。数年前にNHKの大河ドラマで放映された、「八重の桜」の主人公、新島八重(山本八重)の伴侶です。

 

 残念ながら、私たちが訪れた時は休館で、中を覗き見ることはできませんでしたが、明治維新前後の激動期を生きぬき、海外の考え方や知識を広げた方の住宅を目の当たりにして、時の流れと歴史の証に、何とも言えない感慨を覚えたものでした。

 

f:id:soranokaori:20200106135810j:plain

 新島襄の旧宅。

 

 新島襄の旧宅を出て、中山道に戻ると、間もなく安中宿。松井田宿からは、10Kmの道のりです。

 

*1:元々の安中の中心地は、松井田からさらに南東の方角に位置していますが、現在は、碓氷峠から坂本宿、横川、松井田宿辺りもすべて安中市の行政域です。

*2:この道から、右手を走る国道18号を過ぎ、さらに右奥(南の方角)の碓氷川を越えたところに、磯部温泉があります。そして、そこからさらに南方面に向かうと、富岡製糸場がある富岡市です。