旅素描~たびのスケッチ

気ままな旅のブログです。目に写る風景や歴史の跡を描ければと思います。

歩き旅のスケッチ33・・・中山道、倉賀野宿から本庄宿へ(前編)

 上州から武州

 

 群馬の街道は、碓氷峠から始まって、山間の道を潜り抜け、関東平野に入っていきます。道筋は、碓氷川の流れに沿って下り続けて、高崎からは、烏川とともに下流に向かいます。

 やがて視界はさらに広がり、街の様子も、住宅地と畑地を繰り返しながらも、徐々に都会の街の姿に変わります。倉賀野宿の次の宿場、新町宿を越えると県境。群馬を過ぎて埼玉です。

    群馬県は、かつての上野国(こうずけのくに)、上州とも呼ばれています。そして、埼玉県は、東京などとともに、武蔵国(むさしのくに)。こちらは武州です。街道は、上州から武州へと延びていきます。

 

 新町宿へ

 倉賀野の追分を出て、県道を少し進むと、JR高崎線を渡る陸橋です。この陸橋を渡り、続いて国道17号を横切ると、北向子育観音が佇んでいます。街道は、この辺りで右斜め方向の旧道に入り、少しだけ迂回をして、すぐにもとの道に合流します。

 

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※前方の交差点、左右の道が国道17号

 

 その後、次の交差点で右折すると、烏川に架かる柳瀬橋。橋から右手方向を眺めると、遠方に妙義山が望めます。

 妙義山の右に見える、雪をかぶった美しい山は、浅間山でしょうか。軽井沢から越えてきた峠道が、あの山の辺りかと思うと、はるばると歩き続けてきた足跡に感慨が深まります。そして、人間の歩様も捨てたものではないと、我ながら感心したものでした。*1

 

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※烏川に架かる柳瀬橋。

 

 柳瀬橋を渡ると、すぐに左方向の河川敷の道を歩きます。そして、右斜め方向の集落へ。河畔の中にあるような、小さな集落内の小道をジグザグに進んだ先で、烏川沿いに延びる舗装道路に合流します。

 

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※左、柳瀬橋から西方向の烏川を望む。遠方には、中央あたりに妙義山。やや右の雪をかぶった山は、浅間山でしょうか。右、烏川右岸の土手道。

 舗装道路は、左手に烏川の土手、右に工場などが続く道です。工場の一つに、三菱鉛筆(株)群馬工場もありました。

 中山道は、途中から河川の土手道を進んで行くようですが、現地の案内は、はっきりとせず、私たちは、そのまま舗装道路を直進しました。そして、関越自動車道の高架下を通り、そこから左に細い道を進むと、新町宿です。

 ここまで、倉賀野宿からは6Km。この日、高崎宿を出て、12Kmの行程を刻んできました。

 

 11番新町宿

 新町宿は、街道が緩やかに曲線を描くように延びています。沿道は、宿場町の面影はあまり無く、普通の集落という印象です。

 この集落を過ぎると、烏川に注ぐ小さな川を渡ります。川の向こうには、大木の下に包まれるように佇む弁財天が見えました。この一角だけが、新町宿の歴史の名残を感じさせるところです。

 

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※左、川を渡る前の新町宿。右、右の大木の下に弁財天があります。

 

 弁財天を右に見て、道なりにしばらく進みます。この道沿いも往時の新町宿。今では、新しい街に生まれ変わっています。

 弁財天迄の新町宿の道筋は、緩やかに蛇行した、いにしえの街道の雰囲気を保っていましたが、その後の道は、整備された道路です。宿場町も街道も、すべてが近代的な街そのものです。

 東に延びる街道の、途中の交差点を右折して、南に向かうとJR高崎線新町駅。街道は駅には向かわず、国道17号方面へと進んで行きます。

 

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※弁財天からの新町宿。

 

 埼玉県へ

 新町宿の出口に差し掛かると、見通し灯籠という常夜灯が現れました。街道は、この先で、国道17号に吸収され、その後、神流川(かんなかわ)という、烏川に注ぐ大きな支流を渡ります。

 かつては、この川を渡るのが大変だった様子です。度々の洪水により、中山道の道筋も、判別ままならない時期があったようで、道筋の目印としてこの灯籠が設けられたとのこと。

 

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※見通し灯籠。「右、碓氷峠、左、江戸」の道標も。

 

  見通し灯籠を過ぎると、間もなく国道17号です。この先が、神流川。川までの道は、久しぶりの上り坂。この日、高崎から歩きつなぎ、疲れが溜まった足にはこたえます。

 

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※左、見通し灯籠を過ぎて国道へ。右、神流川橋。ここから埼玉県です。

 神流川橋にさしかかると、橋の欄干は、少し趣のある意匠が施されていました。かつては、この橋のたもと辺りから、川の渡しがでていたのでしょうか。

 神流川に差し掛かる直前には、埼玉県の表示板。ここで上州ともお別れです。いよいよ武蔵の国。残るは、埼玉と東京です。

 

*1:元々、街道は交差点を越えて少し東に入り込み、そこで烏川の河川敷に出て川渡となったのでしょう。今は、川から河川敷を戻り、柳瀬橋を渡るのですが、私たちは、ショートカットをして柳瀬橋を渡りました。